イスラエルの天然ガス掘削と「ゴグ」預言

イスラエルと聖書預言に関心のある方には、全文必読の記事です。

天然ガスがイスラエルの歴史を変える
(ナショナルジオグラフィック・ニュースから)

こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。(エゼキエル38:11-12)」

極めて高価な「財産」の形成です。石油が中東の地政学を形作っているのは誰もが認めているところですが、イスラエルがエネルギーを隣国に依存せず、かつ輸出できるほどまでになれば、そこの地政学は根底から変化します。

アラブの春、特にエジプトでの春はムスリム同胞団の春となり、ヨム・キプール戦争以後の平和条約によるシナイ半島からの石油配給が途絶えた今、イスラエルが、今年の夏は日本と同じく計画停電を考案している中で、奇跡的にも経済的な力をさらに持つことになるでしょう。

プーチンが最近、イスラエルを訪問しました。極めて不気味な動きです。そしてオバマ政権下のアメリカがどんどんイスラエルと距離を離している今、危機の時にはアメリカは自国の国益のみを考えるしかない弱体化を見ている中で、イスラエル指導層としてはもう一つの大国、かつロシア系ユダヤ人によって歴史的なつながりのあるロシアとつながろうという向きは仕方がありません。

しかしこの天然ガスの可能性が見えてきた時の訪問は、ロシアがかつて(当時はソ連)、中東戦争で第四次に最高潮に達した、イスラエルへの関与と覇権をもくろんでいることは確かです。彼が、エゼキエルの預言した「ゴグ」であるかどうかは分かりません。けれども、イランとの軍事同盟、トルコとの友好関係、イランとトルコの反イスラエル姿勢を見るにつけ、酷似した不気味な動きをしていることは確かです。

近年、大地震、経済・金融危機もさることながら、アラブの春など、これまで中東地域を支えていた基盤がことごとく崩れていく出来事が続けざまに起こっています。注視して、私たちもますます、主の来臨を思って、霊に燃え、主に仕えていきましょう!

関連記事:「安定経済と核戦争危機」「ガザ支援船(?)拿捕事件 - トルコの怒り」「エジプトとイラン、そしてEU・アメリカ」その他、右側の検索欄に「エゼキエル」と入力すればさらに関連記事を見つけられます。

偽の救世主 その2 - 福音の真理より感情を優先

その1からの続き)

しかし、このように世界が悪化していくなかで、なおのこと福音の真理を拒むのであれば、先ほど言及したように、「権威あるもの、既存の制度」に対して悪口、罵倒、中傷をしていくようになります。米国内で起こっていることにも、また日本にも共通しているのは、「感情が優先される」という問題です。よく考えればやってはいけないことを分かっているのに、「感情があるから」という理由だけで大事な決断をしてしまう、という動きが非常に強くなっています。

権威に対する中傷は、終わりの日の背教のしるしとして聖書では描かれています。「しかし、この人たちは、自分には理解もできないことをそしり、わきまえのない動物のように、本能によって知るような事がらの中で滅びるのです。(ユダ10)」「汚れた情欲を燃やし、肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対しては、特にそうなのです。彼らは、大胆不敵な、尊大な者たちで、栄誉ある人たちをそしって、恐れるところがありません。(2ペテロ2:10)」

そして、神に対して救いを叫ばなければいけないのに、依然として人に対して叫んでいる姿は、まさに反キリストの出現を待望していることに他ならないのです。「わたしはわたしの父の名によって来ましたが、あなたがたはわたしを受け入れません。ほかの人がその人自身の名において来れば、あなたがたはその人を受け入れるのです。(ヨハネ5:43)」今、日本に抱えている問題、経済的衰退、膨大な債務、原発事故、教育、軍事的脅威などなど、これらを政治家にぶつけて、それで「真のリーダーを求める」と言っている人は、その問題をみな解決する人物が出てきたらその人を支持するのでしょうか?はっきり言いましょう、そんな人が出てきたら彼はそのまま反キリストです。あるいは反キリストに完全に帰依する指導者であります。

「私がその角を注意して見ていると、その間から、もう一本の小さな角が出て来たが、その角のために、初めの角のうち三本が引き抜かれた。よく見ると、この角には、人間の目のような目があり、大きなことを語る口があった。(ダニエル7:8)」

反キリストは「人間の目」とあるように、知能において極めて優れています。けれどもそれは「人間」の目であり、人間至上主義であります。そして権威ある存在に対して罵り、冒涜する存在であります。「彼は、いと高き方に逆らうことばを吐き、・・・(ダニエル7:25)」彼に追従する者たちも、世が困難になるにつれて、神の前にひれ伏し、へりくだるどころか、ますます罵りの言葉を吐き出すのです。「彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。 (黙示16:9)」(参照:聖書の学びダニエル書7章

そして教会内では、福音の真理より、感情を優先させる動きが極めて強くなっています。「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。(2テモテ4:3-4)」

なぜ今、イエス・キリスト以外の他宗教においても救いがあるという圧力が強くなっているのでしょうか?なぜ、日本において死後にも救われる機会があるという教えが広まっているのでしょうか?また神道とキリスト教を融合させようとするのでしょうか?アメリカでは、イスラム教とキリスト教の融合が流行っています。これらはみな、「気持ちでは受け付けられない」という抵抗があるからです。そしてその感情に付け足すようにして聖書の言葉を使用し、健全な教えから離れているのです。

ですから、敵は身近にいます。実に私たちの内にあるものが敵なのです。惑わしは、私たちの思いの中に襲ってくるのです。

ではどうすれば、感情に支配されないでいることができるのでしょうか?それは「手放す」ことです。人間的な言い方をすれば、「楽にする」ということです。難しい問題、自分では対処できないことが自分を覆いかぶさってきたら、ただキリストのうちにある自分に戻ってください。惑わしについて教えている使徒ヨハネは、反キリストの霊について教えているときに信者に対しては、「キリストから受けた注ぎの油があなたがたのうちにとどまっています。(1ヨハネ2:27)」と言って励ましました。不法の秘密が働いていて、世がその偽りにしたがっていくことを話した使徒パウロは、「主に愛されている兄弟たち。神は御霊による聖めと、真理による信仰によって、あなたがたを、初めからお選びになったからです。(2テサロニケ2:13)」と言って慰めました。

あなたが初めに信じたときの福音は、今も変わらずあなたに与えられているのです!その中に休んでください。牧者チャックが、政治家に対して「主にゆだねなさい」と勧めたように、今、私たちの周りに起こっている問題は、神のみに救いがあることを知る必要があるのではないでしょうか。それをせずに、気張って、ますます自分を苦しめているのが今日の人々の姿ではないでしょうか?主を見上げるという、とても単純なことを神は私たちに求めておられるのです。

偽の救世主 その1 - その出現は閉塞感の中から

世界はめまぐるしく変わっています。中東情勢を見ますと、ロシアのプーチンがイスラエルを訪問する というニュース、そしてシリアに対してロシア軍を進軍させたという動きなどを見ていますと、不気味なゴグとマゴグの預言(エゼキエル39-39章)を思い出させます。イスラエルは近年、石油や天然ガスが見つかっていますから、これを貪っているのかもしれません。

こうした世界情勢の動きと共に、私たちが気をつけなければいけないのは私たち自身と国内のことです。私たちが偽救世主の出現を間近にして、その相克の中に生きているということを忘れてはいけません。

ずっと気づいていることですが国内の状況が、アメリカと日本には今、似た流れがあります。アメリカ人から話を聞くと、まるで日本で起こっていることのように感じるときがあります。

日本はバブル崩壊以降の経済停滞から抜け出すことができず、その産業が右上がりになることはありませんでした。その構造を変革させるべく小泉首相が政治改革も試みましたが、結果は自民党の衰退、そして民主党への政権交代となりました。民主党はかつて自民党政権を批判していたその一つ一つを自らが行っているという状況であります。首相があまりにも短期間に交代していきました。それに追い討ちをかけるように東日本大震災と、それにともなう原発事故により、日本がこれからどこに行くのか、多くの人が深い懸念を抱いています。

アメリカは対イラク戦争から戦時体制に入り、対アフガン戦により国力が疲弊しています。それに加えてリーマンショックが起こり、アメリカの一極体制はそこで終焉を迎えました。これを変革すべくオバマ氏が大統領に選ばれましたが、その債務は天文学的にさえなり、国の基盤を揺るがしかねない方向に動いています。興味深いことに、イスラエルに何度も訪問している牧者チャック・スミス氏は、イスラエルにもアメリカと同じものを見、かつては愛国心に満ちていた雰囲気がなくなって自信を失っている、と言います。日本にも同じことが言えるでしょう、経済の底力が落ち、人々に自信がなくなっています。

そんな中で、人々の動きの中に、既成の制度や権威に対する不満が噴出しています。ヨーロッパにおける暴動、アメリカの「ウォール街を占拠せよ」、そして日本では反原発運動など、かつてはイデオロギーによる反権力運動としては存在していたものの、そうした確固たる信念のない、感情の捌け口としての動きが世界に広がっています。このように、先進国の中にある特有の動きは、アメリカにおいても日本においても共通しています。つまり行き場のない焦りと閉塞感です。

そしてその解決法も、極めて似ています。それは、「心を裂いて、主に叫び求める」というものです。「あなたがたの着物ではなく、あなたがたの心を引き裂け。あなたがたの神、主に立ち返れ。主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵み豊かで、わざわいを思い直してくださるからだ。(ヨエル2:13)」

重厚なキリスト教の歴史を持つアメリカと、その基盤のない日本では前者は、「主に立ち返る」という解決となるでしょうが、日本は「伝道の機会を精力的につかむ」と言ったら良いでしょう。いずれにしても神にのみ救いがあり、指導者もまた国民も主に叫び求めることをしなければ、国は深い淵の中に落ち込んでいくのではないかという危機を感じます。

このブログで何冊か本を紹介したジョエル・ローゼンバーグ氏が今、新しいノン・フィクションの本を準備しています。

Implosion

本題は日本語に訳すと「内破」であり、米国がかつて歴史上に起こった二つの霊的復興のように、三度目の霊的復興が起こらなければ、単なる衰退ではなく内部破裂するであろう、という警鐘の内容です。彼は最近、上に挙げたヨエル書から、心を裂いて悔い改めて、断食をし、祈ることに今、専念しなければいけないと強く勧めています。アメリカに内在している深刻な諸問題に、人間の考えられる方策が尽き果てたからです。(彼の講演の一つが日本語記事になっています。)

そしてまた、昨日、チャック・スミス牧師とマイク・マッキントッシュ牧師の、世界情勢ニュースについての対談の番組を見たら、同じことを話していました。

World News Briefing  2012年3月29日

(ちなみに、牧者チャックは肺癌を患って放射線治療を受け、それが終わった前後にこれを収録していると思われます。治療中も精力的に説教活動を行なっておられました。)

マイクが、「この番組を政治家の人たちが見てくださっているかもしれないけれども、彼らに対する言葉は?」と質問し、チャックが次のような内容で答えました。「数々の問題があるなかで、政治家として自分が修正、変革をしなければいけないのだという心理的圧迫が圧し掛かっているのとだと思います。けれども、だれが行なおうとも状況は悪化していくのです。神がこれらのことを掌握しておられるので、主にお任せすることが必要です。」そして二人は国の指導者のために祈る時を持ちました。

今、数々の問題が山積している中で、主は「わたしが神なのだよ」という声を次第に大きくして、アメリカに対しても日本に対しても、声をかけておられるのです。それをマスコミそして迎合する一般国民が、かつて国力のあった時代と同じように、従来の方法で政治家へその解決を求めています。政治家も同じように、とてつもない問題・課題を自分自身の身に背負っていますが ― いや、ある人々は他人事のように無責任になっていますが ― いずれにしろ、魂の救いのみならず、この世界もイエス・キリストの名以外には救いはないことを知らないといけないのです。

その2に続く)

今だから考えたい「バビロン作戦」

イランの核兵器製造疑惑に関して、イスラエルのイラン先制攻撃が日増しに現実味を帯びています。米国防長官が「今年春に攻撃をするであろう、なぜなら核施設をイランが地下に埋めるなら、もはや攻撃不可能になるから、というイスラエルの見解があるからだ。」という旨のことを話しました。そしてイランは、最高指導者も大統領もイスラエルと同盟国を残滅する説教や演説をこれまでになく激しく行っています。

こうしたニュースは決して真新しいものではなく、イランの核兵器開発は1990年代からイスラエル指導層でも懸念材料になってきたものであり、長く続いてきたものです。現在進行中のイスラエルとイランにおける攻防戦は実際は水面下で行なわれており、断片的な情報しか浮上してきませんが、この時期に、私たちはかなり多くのことが公開されている歴史から多くを学ぶことができます。イスラエルは過去に二度、原子炉爆破を行なっています。

一つはイラクの原子炉を空軍機によって爆破させた「バビロン作戦」であり、もう一つはシリアの原子力施設爆破であります。前者は、世界からの非難を大いに浴びたと同時に、イスラエルとアメリカの軍事同盟をかえって生み出し、自衛のための大量破壊兵器に対する先制攻撃するという、イラク戦争において話題となった考えがこの時から始まりました。イスラエルは、ホロコーストという前代未聞の虐殺を経験している分、その安全保障に対する執念は世界の第一人者となっています。

概略としてはウィキペディアが良いでしょう。「イラク原子炉爆撃事件

そして、かつてNHKが特集を組んでいます。かなり良質で、しっかりとした作りになっています。

NHKハイビジョン特集「オシラク・オプション~イスラエル イラク原子炉攻撃の全貌~」

そして、図書館の返却期限が来てしまって途中までしか読んでいない本がありますが、おそらく下がバビロン作戦を包括的に、かつ最も詳細に描いているものだろうと思われます。

イラク原子炉攻撃!ロジャー・クレイア著

・・・・・
聖書信仰者は、ここから何を知らなければいけないでしょうか?もちろん、「目を覚ましなさい、用心しなさい。」というイエス様の弟子たちに対する言葉です。ユダヤ人は諸国における虐げを受けた後で、神に立ち返り、そしてメシヤが来られるという新旧どちらにも記されている神の約束が近づいていることを証明しています。イスラエルが建国し、そして周辺アラブ諸国が攻撃をし、それでもその国は守られています。しかし、それら中東戦争の中でじわじわとロシアがイスラエルに接近しています。そして今までは何でもない国であったペルシヤが一気に、イスラム革命によって台頭しているという状態です。

アラブの春の中でこれまでの独裁制が崩れていますが、それは自由民主主義を信じている改革派ではなく、むしろイスラム原理主義派が台頭する結果となりました。(アラブではありませんが、イランのイスラム革命がその先駆的存在です。)それら当該国はほとんど全て、聖書の中で神が詳細にこれからの行く末を宣言されている対象です。

そして、昨日、バラムについての学びを礼拝の中で行いましたが、そこで得た最も大きな教訓は、「聖書知識が正確でも、それに応答する主への献身がなければ、人々につまずきを与える偽教師に成り果てる。」ということです。「表向きは敬虔でも、その実を否定する」という、パウロがテモテ第二の手紙で警告したとおりのことが起こります。聖書預言も知識だけなら、私たちは無益どころか有害にさえなりえます。愛をもって応答していくよう、神から召されています。よろしければ、下の聖書講解もお聞きください。

民数記23章10節 「正しい者の死」 原稿 ・ 音声
民数記22-25章 「バラムの迷い」 原稿 ・ 音声

初めから物語る歴史 - イスラエル その5

その4からの続き)

参照図書:
イスラエル近現代史:「イスラエル全史

イスラエル建国:「イスラエル建国物語」「イスラエル建国の歴史物語

独立戦争:「おお エルサレム!

六日戦争:”Six Days of War
英書しかないのが残念ですが、「エルサレムに朝日が昇る」という邦訳本があります。(注:2012年12月24日後記:なんと邦訳が今年の始めに出ていました!!!「第三次中東戦争全史」ぜひ、次の日本語の書評をお読みください。内容と概要がよく分かります。「日本経済新聞」「弁護士会の読書」)

ヨム・キプール戦争:「ヨムキプール戦争全史

アラブによる反イスラエル主義:「アラブはなぜユダヤを嫌うのか

最後に、Youtubeからのビデオを紹介しましょう。(シリーズなので、続きがあります。それを見るにはYoutubeのページを開いてみれば、続きが「関連動画」の中で見つけることができます。)

イスラエルの誕生(BBCドキュメンタリー)

イスラエル:国の誕生 パートⅠ(在米イスラエル元大使のナレーション)

50年戦争 イスラエルとアラブ(PBSドキュメンタリー)

(注:これは、NHK BSドキュメンタリーで放映されたようですのでそのビデオを入手できれば日本語で視聴できそうです。)

独立戦争(「イスラエル全史」の著者マーティン・ギルバートによる)

六日戦争(全史)

六日戦争(戦闘 History Channel)

六日戦争(戦線)

ヨム・キプール戦争

後記

今年、イスラエルがイランを先制攻撃だろうという米国防長官の発言がニュースになっています。事態は緊張していますが、これでイスラエル旅行を考えていたのを断念しないようにお願いします。私自身2010年にイランとイスラエルの間で戦争があるというニュースが流れても、旅行に行きました。実に、チャック・スミス牧師は1973年にイスラエル旅行を導いている最中にヨム・キプール戦争が勃発しました。それでも旅行は続けられたのです。

2010年の旅行の団長であるアーノルド・フルクテンバウム師は、東日本大震災による原発事故後、周囲からの反対があったにも関わらずセミナーの講師として来日しています。彼は世界中を旅行していながら、しばしばマスコミの情報と現地で起こっていることは異なっていて、前者は誇張しすぎることが多いということを話したそうです。主催者からの要請がない限り行く、と答えたそうです。私もその姿勢で準備を進めていきたいと思っています。現地旅行社から来るのは危険であるという連絡を受けないうちは、表面的な情勢の変化で計画を変えるつもりはありません。

初めから物語る歴史 - イスラエル その4

その3からの続き)

シオニズム運動の背後にある、福音的クリスチャン

話は少しずれますが、興味深いことに、宗教と化したキリスト教会の中で霊的復興が起こり、聖書を神の御言葉として信じる人々が熱心に世界宣教へ行きました。大英帝国の時代、その中にいるクリスチャンは世界に宣教師を送り出しただけでなく、ユダヤ人のパレスチナ帰還を聖書預言の通り起こるのだと信じる人々が出てきました。その英国が国際連盟からパレスチナを委任統治するようにされ、そして外務大臣で熱心なキリスト者であったバルフォア伯爵が、ユダヤ人のパレスチナ郷土を宣言した「バルフォア宣言」というものがあるのです。

興味深いことに、時代が少しずれて同じことを米国が行なったのですが、イスラエル建国の国連承認で活躍したのがトルーマンですが、彼の母が熱心なキリスト者であり、ユダヤ人に対する約束の地への帰還が自分の良心にあったため、国務省の反対を押し切っていち早く承認した、という経緯があります。けれども、今のオバマ大統領のように親イスラエル路線の根幹を揺るがすような発言を繰り返しているように、かつての英国も親ユダヤから反ユダヤへと変換し、1939年の「白書」ではユダヤ人移民の制限を設けました。その後の英国の没落はすばやかったですが、今の米国の没落も、聖書信仰に基づく霊的な力がなくなってきたことと無関係ではありません。

イシュマエルの子孫、アラブとの確執

近現代のイスラエルの歴史は、イスラムという宗教との確執だけではありません。ユダヤ人の親戚であるアラブ人との確執があります。先日、「今、モアブ人やアモン人は存在しているのですか?」という質問を受けました。どちらもヨルダン領にあった国ですが、「いません」と答えました。聖書時代の諸民族で残っているのは、イスラエル周辺地域ですとアラブ人です。そして、アラブ人の父祖はイシュマエルだと言われています。

主がイサクを約束の子とされましたが、アブラハムのもう一人の息子イシュマエルにも祝福の約束をされたことを思い出してください。「イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。 (創世記17:20)」けれども、イシュマエルは兄弟に敵対するようになるとも主は予告されました。「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。(創世記16:12)」

事実、それが今、起こっているのです。アラブ人はユダヤ人との間だけでなく、自分たちの間でも争いが絶えません。映画「アラビアのロレンス」に出てくる部族間の争いは、ヨルダンのフセイン国王も「これは事実である」と言わしめる現実であり、反イスラエルで一致しているように見えるアラブ諸国は、一枚岩どころか、自らの利益の主張によって滅茶苦茶になっています。それが独立戦争の敗戦の大きな一因であったとも言えるでしょう。けれども、アラブ民族は広大な土地、そしてその中にある石油資源によって恵まれているのです。聖書時代から生き残っている民であり、確かに神は彼らを祝福されています。

したがって、ユダヤ人が約束の地に大量帰還している中で、アラブ人の中で民族意識が芽生え、それがアラブ民族運動と発展していきました。それが一連の中東戦争の背後にあります。

(注:しばしば、イスラエル・パレスチナ紛争の根っこに、「イギリスの二枚舌(あるいは三枚舌)外交」があると言われます。「バルフォア宣言」をユダヤ人に行なったのに対して、アラブ側には「フサイン=マクマホン協定」「サイクス・ピコ協定」を結んだのがいけないのだ、と言います。けれども、その地図を見ますと、バルフォア宣言で約束されたところとおおむね重なっているわけではなく、矛盾していません。)

四回の中東戦争

それで、イスラエルが独立宣言をした翌日に一斉に周辺アラブ国が攻め入ってきた独立戦争を第一回とし、シナイ作戦、六日戦争、ヨム・キプール(贖罪日)戦争と四度の中東戦争がありました。

これで重要なのは、独立戦争と六日戦争です。独立戦争はもちろん、イスラエルという国の確保という重要な意味合いがあり、そして六日戦争は「エルサレムの奪取」という大きな意味合いがあります。イエス様が、異邦人の時代が終わるまではエルサレムは荒らされたままになる、と言われましたが、そのエルサレムをイスラエル軍は、トランス・ヨルダン(当時のヨルダン)との戦いで攻め取ることができました。しかし、当時の指揮者である国防大臣モシェ・ダヤンが、ムスリム宗教局にすぐに神殿の丘の管轄を任せたことによって、厳密には異邦人の支配はまだ続いていると言えるでしょう。

そしてイスラエルはいつも戦争ばかりしていると思われがちですが、ヨム・キプール戦争後は、国家間の戦争はなくなりました。敵国エジプトがこの戦後処理を梃子にして、平和条約をイスラエルと結んだためであり、ヨルダンとも平和条約を結びました。したがって、今、イスラエル旅行をする時に、同時にエジプト領にあるシナイ山観光や、ヨルダン領にあるネボ山やペトラ観光を計画することもできるのです。聖書遺跡がたくさん残っているレバノンやシリアには、イスラエル出入国のスタンプ(そして、陸路のエジプトやヨルダンのスタンプも)がある時には、入国できないのです。彼らは「イスラエル」という国自体の存在を認めていないのが正式立場だからです。

そしてその後の紛争は、テロリスト組織との戦いになります。PLOはヨルダンにおいても「黒い九月」という内乱を起こしましたが、イスラエル軍によるレバノン侵攻を彼らのせいで招きました。けれどもラビン首相とアラファト議長が結んだオスロ合意により、PLOがパレスチナを代表する機関として認められ、大幅な自治権が与えられているのです。

テロリストにはPLOのような世俗組織と、イスラム原理主義の二種類があります。ガザ地区を実質支配しているハマスはムスリム同胞団の枝分かれであり、レバノンのシーア派ヒズボラもイスラム原理主義です。その背後には、1979年に起こったイランのイスラム革命の波及があることを忘れてはなりません。

これらイスラエル近現代史を少し理解すれば、単なる聖地旅行以上の、「今現在も神がこの地に心を留めてくださっている」という情熱をイスラエル旅行で感じ取ることができるでしょう。

その5に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その3

その2からの続き)

シオニズム運動の誕生

その2では、離散の歴史まで話しましたが、次に帰還の歴史が始まります。これは、聖書全体に貫かれている神の回復の物語であり、イスラエルの民が約束の地から引き抜かれても、神は地の果てから彼らを集め、彼らをご自身に立ち返らせるという約束をくださっています。

私があなたの前に置いた祝福とのろい、これらすべてのことが、あなたに臨み、あなたの神、主があなたをそこへ追い散らしたすべての国々の中で、あなたがこれらのことを心に留め、あなたの神、主に立ち返り、きょう、私があなたに命じるとおりに、あなたも、あなたの子どもたちも、心を尽くし、精神を尽くして御声に聞き従うなら、あなたの神、主は、あなたを捕われの身から帰らせ、あなたをあわれみ、あなたの神、主がそこへ散らしたすべての国々の民の中から、あなたを再び、集める。(申命記30:1-3)」

イスラエルに対する神の契約は、イエス様の再臨によって実現するのです。

人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マタイ24:31)」

したがって、離散の時代から帰還へ、そしてイスラエル建国という、私たちに最も近い時代は、聖書物語そのものに入っているのです。「歴史」といえば過去のことですが、永遠の神が語られた歴史は、現在も未来も含んでいるのです!

「その2」で紹介した二つのサイトを、読み直してください。「シオンの架け橋」サイトでは、「ディアスポラ後のユダヤ人」の「シオニズム運動の誕生」から、そして「ミルトス」のサイトでは、「外国の占領下」の「オスマン・トルコ時代」あたりからの話です。

ユダヤ人の離散は全世界にまたがりますが、ヨーロッパ北部のアシュケナジ、イスラム支配下時のスペインから始まったセファラディ、そして中東地域のミズラヒなどいますが、現代イスラエル国の中核を作り上げたのは、ヨーロッパ系のアシュケナジ・ユダヤ人です。

離散の地にある迫害から、「離散ということ自体がユダヤ人迫害の問題点である。ユダヤ人国家を作らなければいけない。」というヨーロッパ型の啓蒙思想が、神がもともとユダヤ人に与えられていた郷土帰還への想い(詩篇137篇参照)と相まって始まったのが、「シオン主義」つまり「シオニズム」です。そして、その時ヨーロッパは社会主義が勃興しており、社会主義的共同体を農耕によって形成するという「キブツ」の夢を掲げた人たちが、オスマン・トルコ時代に荒廃化した土地を緑化したという経緯があります。それがエゼキエル36章にある土地の回復です。

非ユダヤ人だけでなく、ユダヤ人の間でさえも、シオニズムに懐疑的な人たちが少なくありませんでした。先に挙げた申命記30章の約束には、神に立ち返るというしるしが帰還に伴っているのですが、そうして霊的復興もなくただ帰還するのは人間の恣意的な行動であると、特に宗教的なユダヤ人は考えたのです。けれども、実は神はこのこともご自分の御思いに入れておられ、イスラエルの帰還には二段階があり、メシヤが到来する前にすでに国が復興していなければいけないことをエゼキエル書37章は告げています。

そして、ホロコーストが帰還に拍車をかけ、その残虐さに国際社会も驚愕し、国連がイスラエル国家認知を1947年に行ないました。

興味深いことに、中東系の離散ユダヤ人が怒涛のごとく押し寄せたのは、その後です。しばしば「パレスチナ難民」のことは取り上げられますが、「ユダヤ難民」については全く取り上げられません。1948年に勃発した第一次中東戦争(独立戦争)によって、自分の家を離れて避難したアラブ人がパレスチナ難民の起源ですが、同じ時にアラブ諸国にいたユダヤ人も強制退去を命じられました。その大量の難民を誕生したばかりのイスラエル国は「吸収」したのです。パレスチナ難民をある程度吸収したのに成功したのは「ヨルダン国」ですが、大部分のアラブ諸国は政治的意図をもって彼らを吸収せず、難民の位置のままに留めているのです。

そして、あの巨大国ソ連が崩壊しました。その後、そこで迫害下に置かれていたロシア系ユダヤ人が怒涛のごとくイスラエル国に押し寄せました。そのため、今のイスラエルではヘブル語、アラブ語、英語の他にロシア語も使用言語の一つとなっています。

宗教(イスラム)との確執

ヨーロッパに歴史を通じてあった根強い反ユダヤ主義は、「キリスト教」がその背景にありました。イスラエル旅行に行かれるクリスチャンは、そこで言われている「キリスト教」が自分の信じているものと異質であることに、すぐに気づかれることでしょう。極めつけは主が十字架につけられた「聖墳墓教会」ですが、そこにはプロテスタントを除く様々な教派が縄張り争いをしていて、聖職者が文字通りの喧嘩をする事件も散見されます。イエス・キリストに対する信仰が「宗教」に成り下がるのです。

その宗教としてのキリスト教の中では、ユダヤ人が「キリスト殺し」とされました。「ちょっと待って!それは当時の腐敗したユダヤ教指導者が行なったことで、それよりも私の罪のためにキリストがご自分の命を捨ててくださったのでは?」となるのは、福音的な、御霊の新生を経験しているクリスチャンであり、宗教としてのキリスト教は違うのです。イスラエルは呪われた民であり、侮蔑の対象として扱ってきました。

それに対して、イスラム教の中ではどうだったかと言いますと、生存権まで脅かされることはありませんでした。二流市民であるかぎり、その生活を否定することはなかったのです。イスラムには、「征服神学」があります。ユダヤ教はキリスト教に発展し、イエス・キリストはその中の偉大な預言者であるが、最後の使徒ムハンマドにアッラーが啓示を与え、それがコーランであると信じています。ユダヤ教もキリスト教もイスラムによって完成するのだ、と考えているため、イスラムが支配していること自体が大切なのです。ですから、イスラエルに行くと、ユダヤ教とキリスト教のゆかりの地にモスクが立てられています。極めつけは「神殿の丘」に「岩のドーム」が建てられていることです。イスラム教徒は、そのドームに背を向けてメッカに向かって拝礼しています。そこを敬っているのではなく、ユダヤ・キリスト教に対する征服自体が大切なのです。

ところが、近代に入り、彼らの神学体系を根底から覆す歴史が始まりました。ユダヤ人が大挙してパレスチナの地に押し寄せてきたのです。しかも、彼らは土地を買い取り、そこを開墾し、町々を建て、そしてなんと国造りまでしていました。イスラム主権ならず、ユダヤ人主権が広がっていくということは、彼らにとって屈辱以上の、絶対にあってはならない出来事なのです。

そこで近現代の歴史が「ヨーロッパ中心の反ユダヤ主義」から、「イスラム圏の反イスラエル主義」へと変わっていったのです。

その4に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その2

その1からの続き)

外国の支配からイスラエル建国

イスラエル旅行を考えている方、またイスラエル全般を知りたい方は、次の二つの記事の一つを読むことを必須にしたいと思います。

イスラエルの歴史」(「シオンとの架け橋」から)

イスラエル・ユダヤ情報バンク」(「ミルトス」から)の「イスラエルの歴史」

出エジプトを紀元前13世紀とするなど、多少、私の見解と異なる記述はあるものの(私は1445年だと思っています)、全体を眺めるには良い記事です。シオンとの架け橋サイトであれば、「ディアスポラ(離散)後のユダヤ人」、ミルトスのサイトであれば「外国の占領下」から、聖書時代からそれ以降の歴史を眺めることができます。

    ペルシア・ギリシア(Persia – Greece)時代
    ハスモン王朝(Hasmonean)
    ローマ支配(Rome) → ここがイエス様が地上におられた時代
    ビザンチン時代(Byzantine)
    アラブ征服時代(Arab)
    十字軍時代(Crusader)
    マムルーク時代(Mameluke)
    オスマントルコ帝国時代(Ottoman Turk)
    英国委任統治時代時代(British Mandate)
    独立への道(Independence)

参照図書は次の二冊です。
「ユダヤ人の歴史」(シーセル・ロス著)(紹介文 ・ 古本
「ユダヤ人の歴史」(ポール・ジョンソン著)(上巻 ・ 下巻

「独立への道」つまり、近現代のイスラエルの歴史は、また追ってお話したいと思いますが、最後にYoutubeでイスラエルの歴史を見てみましょう。英語で”history of Israel”と入れると、数多くの紹介動画が登場します。面白かったのは次です。

四分間で見るイスラエル史

五分間で見るエルサレムの四千年史

その3に続く)

初めから物語る歴史 - イスラエル その1

「今」を知るための物語

この前の日曜日、午後礼拝の後の交わりはとても楽しいものとなりました。来年のイスラエル旅行に思いを馳せる人が何人かいて、私はさっそく、今のイスラエルを知るための基礎知識を紹介しようとしました。けれども、今のことを話そうとしたとたん、私の口は聖書時代から話し始めていたのです。「今」を語るためには、連綿とつながっている歴史そのものを語り継げなければいけないことに気づきました。不思議に、一つのことを話そうとするとそれが数珠繋ぎになって「初め」へと戻されるからです。

聖書の中には、何度も何度も「物語」を語り継ぐ場面を発見します。誰もが、今の自分たちに至るまでの歴史を語り継げて、それで今の自分を見つめ、主に従うことを指導者は勧めます。申命記というモーセの説教しかり、ヨシュアの晩年の言葉(24章前半)もそうですし、ソロモンは逆に神殿を建てた後に、これからの歴史、つまり預言を祈りの中で行いました(1列王記8:27以降)。

モーセも、同じように過去のみならず、一つの「歴史」としてはるか終わりの日まで語り(申命記28-30章)、その父祖ヤコブも死に際に、息子たちに未来の歴史を語りました(創世49章)。神は、私たちに一貫した物語を人生として与えておられ、それをご自分の作品にしておられるような気がします(エペソ2:10)。

後世は、詩篇の著者が105,106,136篇など、いろいろなところでイスラエルの歴史を語り継ぎつつ歌をうたっています。バビロン捕囚からエルサレム帰還後にも、ネヘミヤ記9章においてレビ人らがイスラエルの歴史を初めから語り、神に祈り、悲しみの思いを告げています。

これは新約時代に入っても同じです。ステパノは、「律法に逆らう言葉を彼は話している」「神殿をこわせ、と彼が答えるのを聞いた。」という告発に対して、そのまま答弁するのではなく、イスラエルの歴史をアブラハムの時代から語り始めたのです(使徒行伝7章)。パウロも、ピシデヤのアンテオケの会堂で、出エジプトからイエスが現れてくださったことに至るまでの歴史を語っています(同13章)。

したがって、イスラエル旅行に行く時は、もちろんイエス・キリストが辿られた足跡を追うことが主目的ですが、その舞台であり文脈となっているイスラエルを知るには、初めからの歴史を順番に追って知っていくことが必要です。

聖書時代以外の歴史

私たちキリスト者、特に聖書が好きな信者たちは、聖書時代のイスラエルまたエルサレムの歴史は知っているでしょう。アブラハムから始まり、約束の地にヨシュアが入り、ダビデの時代にイスラエル王国が立てられ、その時にエルサレムがユダヤ人のものとなり、バビロンによる七十年の離散の歴史を経た後、帰還したということ。けれども新約の時代に入るまでに、ローマがその地を支配して、ユダヤ人には自治のみが許されていたことはご存知でしょう。

けれども、実は意外に知られていない二つの時代が聖書には書かれています。一つは「中間期」と呼ばれるものです。バビロンからの帰還の生活がエズラ記とネヘミヤ記に書かれていますが、その時代はバビロンを倒したペルシヤの時代に入っていました。そして旧約の最後のマラキ書はペルシヤ時代のものです。それ以降、イエス様がお生まれになるローマまでの時代は書き記されていないと思っていましたら、間違いです。「預言」として、いくつかの預言書に書かれているのです。

一つは「ダニエル書」です。ここに一番詳しく書かれています。ネブカデネザルが見た「人の像」には、バビロンから始まり、メディヤ・ペルシヤ、そして次にギリシヤとローマの姿が映し出されています。さらに、ダニエル自身が見た四頭の獣もバビロンとペルシヤの他にギリシヤとローマがありました(7章)。さらに8章には、ペルシヤとギリシヤの姿が詳しく描かれ、特にギリシヤ時代に出てくるアンティオコス・エピファネスと呼ばれるシリヤ(ギリシヤ帝国の四分割の国の一つ)の王がユダヤ人をギリシヤ化すべく大迫害を行なうこと、そしてそこからマカバイ家による反乱と、神殿の奪還の歴史が預言として記されています。さらに11章には、ギリシヤが四分割した後に、プトレマイオス(エジプト)とセレウコス(シリヤ)の長い戦争の歴史が記されており、詳細に中間期を描いているのです。

もう一つは「ゼカリヤ書」です。9章にはギリシヤの歴史、11章にはローマの歴史、特に紀元70年にエルサレムの神殿を破壊し、ユダヤ人を世界離散の民にした出来事が預言として記されています。

そして聖書時代を越えて語られているのは「離散と再集合の歴史」です。イエス様は、ユダヤ人が神を退け、実にその御子までをも退けたことによって、エルサレムが破壊されることを泣きながら予告されました。

ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。見なさい。あなたがたの家は荒れ果てたままに残される。あなたがたに告げます。『祝福あれ。主の御名によって来られる方に。』とあなたがたが言うときまで、あなたがたは今後決してわたしを見ることはありません。(マタイ23:37-39)」

「荒れ果てたままに残される」ということが紀元70年から始まり、厳密に言えば今に至るまでその状態が続いています。エルサレムに神殿がなく、他の者に荒らされているということであり、「神殿の丘」に、イスラムの「岩のドーム」がある事実がそれを物語っています。

そしてそれが終わるのが、ユダヤ人指導者が「祝福あれ。主の御名によって来られる方に。」と言う時であるのですが、それはイエス様が再び戻ってこられて、彼らがイエスこそがメシヤであることを気づく時です。そしてルカ21章24節によると、「人々は、剣の刃に倒れ、捕虜となってあらゆる国に連れて行かれ、異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。(ルカ21:24)」とあり、この時代が「異邦人の時」とイエス様は呼ばれます。

したがって、その後の離散の歴史とエルサレムが異邦人の支配を受けていた時代を知ることは大事なのです。

その2に続く)

今一番、世界が見ないもの その2

その1からの続き)

③ 暗闇の中にある光を伝える

私たちの主イエス・キリストは、むごたらしい死を遂げられた後、よみがえられました。暗闇の中に光を投じられました。この復活の命は、世の終わりに至るまで続きます。世は確かに悪くなっていく一方です。けれども同時に、その暗闇の中で主の御霊の力強い働きが同時進行で、同じ場所で起こっているのです。

それを知るのに良い書物は黙示録です。人々は黙示録は恐ろしいといいます。神の裁きの部分に衝撃を受けて、その他の部分や全体の流れを見失っているからそうなるのです。裁きの前に主は天における情景をはっきりとお見せになりました(4‐5章)。そして、裁きが行なわれている間も、天における讃美と礼拝を書き記しています。そして地上においては、そのような恐ろしい災いがあるにも関わらず、それでも救われる人々(注:教会ではなく、患難中に信仰を持つ聖徒たち)を神が起こしてくださっている姿を見ます。そして最後の呼びかけは、「渇いているものは、ただでいのちの水を飲みなさい」というものです。

ですから、地震による被害で今も苦しんでいるハイチで、驚くべき神の御業を見ることができるのです。(記事

昨日の報道で、エジプトにおける選挙の結果、ムスリム同胞団を始めとするイスラム党が70パーセントを占めたという暗いニュースがある一方で、以下のような報道があるのです。

想像を超えた希望
五千人から一万人のクリスチャンが、タハリール広場で大晦日に集会を開いたそうです。ちなみにリンク先のSAT7は、中東地域とイスラム圏に衛星放送で福音を届けている局であり、今、神が世界で行なわれている御業の最先端を報道していると言って良いでしょう。

確かにコプト教会は迫害を受けています。けれども、カイロ郊外のスラムで始まった「洞窟教会」は、今、このような礼拝賛美を捧げています。

この記事と、次の御言葉を重ね合わせてください。「それがエジプトの国で、万軍の主のしるしとなり、あかしとなる。彼らがしいたげられて主に叫ぶとき、主は、彼らのために戦って彼らを救い出す救い主を送られる。そのようにして主はエジプト人にご自身を示し、その日、エジプト人は主を知り、いけにえとささげ物をもって仕え、主に誓願を立ててこれを果たす。主はエジプト人を打ち、打って彼らをいやされる。彼らが主に立ち返れば、彼らの願いを聞き入れ、彼らをいやされる。(イザヤ19:20-22)」

イランも激しい人権弾圧が行なわれています。しかし、リバイバルが爆発的に起こっており、米国からはペルシヤ語による福音宣教放送が行なわれているのです。(Youtubeビデオ)これによって、毎週、イエス様を受け入れると反応している人が1000人もいるとのことです!

この国にも希望の預言があります。「わたしはエラム(イランの古代の国名)にわたしの王座を置き、王や首長たちをそこから滅ぼす。・・主の御告げ。・・しかし、終わりの日になると、わたしはエラムの捕われ人を帰らせる。・・主の御告げ。・・(エレミヤ49:38-39)」

これらが、私たちキリスト者が最も注目しなければいけない流れであり、同時に、世界がもっとも注目しない、あるいは報道しない出来事であります。私たちは世から一歩進み出て、この聖霊の流れの深みにまで潜らなければいけません!

④ 感謝と祈りを捧げる

ツイッターで、カルバリーチャペル西東京の牧師、再び山東さんが良いコメントを残しています。

原発や国政に意見を唱えると同じだけ、いやそれ以上、指導者を覚えて祈ることが求められている。そせて、神がそのことも支配し、運んでいる視野を忘れてはならない。1テモテ2:1から思う。
https://twitter.com/#!/Santou/status/160507559193739267

金曜の夜、健康ランドで教会の男性会を持ちましたが、そこで話題に上がったのが「日本には感謝が足りない。」ということでした、現代日本人は問題を指摘することには長けていますが、感謝すること、そして執り成しの祈りをすることには非常に後進的であります。モンスターペアレントのようになっています。

もしかしたら、教会の指導者に対してもモンスター信徒になってはいませんか?(参照:昨日説教「神の家の中にある反逆」(原稿 ・ 音声

けれども、そうした総国民モンスター化の状況で、感謝をささげ、執り成しの祈りをささげるところに、エジプトやイラン等にあるように、暗闇に光を投ずる神の驚くべき働きの一歩になると信じます。今日も、今週も聖霊に満たされましょう。主の愛に満たされて、少しでも周りの人々にイエス様のことを知っていただきましょう!