聖書信仰による世界観

おすすめしたい講演の動画があります。ラジオ伝道者、高原剛一郎さんによるものです。

<第一部>

<第二部>

私は最近までこの方のことを知りませんでしたが、ある方から紹介されて見てみました。世界を視る物差しがしっかりしていて、とても好感が持てました。そして聖書信仰にしっかりと立っておられます。(ほんの少し、細かいところの解釈は違いましたが、ほんの些細な違いです。)そして、関西人ということも手伝ってか、分かり易く、面白く、そして何よりも福音の種を蒔きたい情熱が伝わってきます!ある伝道集会のプロフィールには次の紹介になっていました。 続きを読む 聖書信仰による世界観

イラク人キリスト教徒への支援

先日、「キリスト者の迫害と急増」という題名で、現在進行形で起こっている、キリスト教徒への大迫害のニュースをお伝えしました。イラクとシリアという舞台で起こっている出来事を見る時に、あまりにも心が痛くなるのは、神の以下の約束があるからです。

その日、イスラエルはエジプトとアッシリヤと並んで、第三のものとなり、第地の真中で祝福を受ける。万軍の主は祝福して言われる。「わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリヤ、わたしのものである民イスラエルに祝福があるように。(イザヤ21:24‐25)」

上は主が再臨された地上の神の国において、イスラエルを中心にして、南はエジプトから北はアッシリヤに至るまでに広域が、主を礼拝する場として整えられることを示している幻です。アッシリヤはイラク北部地域であります。そこが主イエスを礼拝する場となり、その民が主に立ち返ることを約束されている希望があるのですが、主の来臨が間近になっているからでしょう、悪魔がイスラム過激思想によって猛反抗をしています。そこにいるキリスト教徒を、全ての財産を置いて退去させ、あるいは宗教税を支払わせ、あるいは殺す暴挙に出ています。しかも、斬首、生き埋め、十字架、女性は性奴隷という残酷な手段で行っています。これはアッシリヤ人が使っていた恐怖による支配とまさに同じ手法であり悪魔の正体がここまで露わにされたことはないと思います。 続きを読む イラク人キリスト教徒への支援

もはや敵ではなくなったアラブ

今回のガザ戦をきっかけに、とてつもない預言的絵図が浮かび上がってきました。

1.国際社会の反イスラエル・反ユダヤ

わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民を、よろめかす杯とする。(ゼカリヤ12:2)」

イスラエルが国際社会によって、これまで以上に非難されました。ヨーロッパではあからさまな反ユダヤのデモが繰り広げられ、ナチスの時代を彷彿とさせます。 

2.キリスト者の大迫害

わたしのために、みなの者に憎まれます。(ルカ21:17)」

ガザ戦は、ハマスというイスラム原理主義過激派の仕掛けた戦争ですが、中東、アフリカ、アジアにイスラム過激派によるキリスト者への大迫害が展開しています。ISISによって文字通り、キリスト者が血を流し、預言が成就しています。

3.アラブ諸国との敵対関係の終焉

これは、私にとって最も驚きでありました。イスラム過激派の存在によって、イスラエルと周辺アラブ諸国の利害が一致したのです。

Saudi Arabian Newspaper: “There Is No Longer an Arab-Israeli Conflict” (サウジアラビア新聞「アラブ・イスラエル紛争はもはやない」)

イスラエルの建国から始まった中東戦争は、合計四回ありました。最後のは1973年のヨム・キプール戦争ですが、それ以来、アラブ諸国とは通常兵器による国と国の戦争は終わったのです。そして、パレスチナとの連帯によるアラブ連盟のイスラエルへの敵性行為は次第に薄くなり、ついに今回のガザ戦で無きものとなってしまいました。 続きを読む もはや敵ではなくなったアラブ

キリスト者の迫害と急増

ガザ戦争は収束に向かわず、ハマスが休戦を拒否、消耗戦に持ち込もうとしています。そして、イスラエルに対する不均衡な非難がマスコミを占有しているなか、アラブ連盟は沈黙によって、イスラエルの軍事行動を支持していたことをお話ししていました。しかし、人権を軽視している、民主化していないアラブ諸国でさえ、イスラム過激派のおぞましい残虐な行為が自分たちの庭で起こっているので、ハマスどころではない、いやハマスこそが問題の一端を担っているという見方をしていました。

キリスト者の流す血

今、シリアでは戦争の死者が十七万人を超えました。そしてシリアとイラク北部ではIS(イスラム国)が、おぞましい残虐行為を行っています。初代教会から連綿と続いてきたキリスト教徒共同体が完全に破壊されました。イスラムに改宗するか、人頭税を払うか、もしくは死ぬかという選択肢を与えられ、かつてアッシリヤのニネベであった、イラク第二の都市モスルでキリスト教徒は皆無となりました。

<イラク>「イスラム国」によるキリスト教徒への迫害深刻化

そして他のキリスト教徒の町にISが次々に襲い、「組織的虐殺」と行っています。文字通り子供を含めて「首切り」をさせられています。それを串刺しにして、公園にさらしにされている頭もあります。女は強姦、男は吊るしにされています。 続きを読む キリスト者の迫害と急増

親イスラエルの聖書的根拠

前記事からの続き

近現代イスラエルの聖書的位置について論じましたが、彼らを支持する聖書的根拠をこれからご紹介したいと思います。

思いを超える神の取り計らい

イスラエルの救いというのが、ローマ9‐11章の中で論じられているのを思い出してください。そこにあるのは、私たちの思いを超えたところにある神の主権と選び、その背後にある神の憐れみを取り扱っているのを思い出してください。「神がパロの心をかたくなにする」という難しい話題を取り扱っている箇所です。近現代のイスラエルは、神がご自分の計画を完成される、その前段階の狭間にいるため、その捉えどころのない姿に人々は悶々とします。

ヨブ記が、今のイスラエルを体現していると言ってよいでしょう。つまり、自分には全く気づかないところで、神の取り計らいが進行しており、そのためにヨブの友人三人は、彼が恐ろしい罪を犯したといって責めました。もちろんイスラエルが、ヨブのように正しいと言っているのではありません。前記事に書いたように、彼らは不信仰のままで、霊的に新生していません。ですから他の人間と同じように、間違いもします。しかし、彼らのしていることが、今、受けている非難に値すると言ったら大間違いです。次元の全く違う非難を彼らは受けています。

反イスラエルから、反ユダヤへ

イスラエルに向けられる非難の根拠を問いつめていけば、「あなたたちは、その土地から出ていかなければいけない。その国をあきらめなさい。」となっていきます。事実、アメリカでは政府の中でも有名だった熟練ジャーナリストが、そうした発言をして職を辞さなければならなくなりました。キリスト教関係者であっても、「あなたたちは要らないよ。」に類似した恐ろしい言葉が口から出てくるや知れません。

イスラエルに反対する声を挙げるなら、同時に反ユダヤ主義に強烈に反対する姿勢を見せなければ、事実、反ユダヤになります。黒人の公民権運動の指導者キング牧師は、「反イスラエルとは、反ユダヤのことだ。」と、反イスラエル主義を非難していました。この論理がヨーロッパで起こった反ユダヤ主義の歴史であり、今回のも、反ユダヤ運動がガザ戦争反対のデモ中でヨーロッパ中の街中で巻き起こり、キリスト教にも潜在的にそうした論理を依然として内包しているのです。 続きを読む 親イスラエルの聖書的根拠

現代イスラエルの聖書的位置

今回のガザ戦争において、キリスト教関係者から批判の声、そして親イスラエルのクリスチャンに対する批判の声を聞きました。このような人々の中にも、温度差がありますが、福音的な信仰を持っている代表的な人物を取り上げ、そこから、私の説明を提示したいと思います。

批判者:「不信仰のユダヤ人には相続の権利はない」

ジョン・パイパー(John Piper)という人です。彼は改革神学を持っている人です。彼は福音宣教に対して情熱を持った人で、聖書信仰を持っています。しかし改革神学の中では、イスラエルの地位はあくまでも「霊的イスラエル=教会」となっております。いわゆる「置換神学」です。そうした背景から彼の聖書的見解を読んでみたいと思います。

Israel, Gaza, ‘Divine Right,’ and John Piper
(イスラエル、ガザ、「神からの権利」、そしてジョン・パイパー)

1.神は、世界の諸民族から、ご自分の所有としてイスラエルを選ばれた。

2.土地は、アブラハムとその子孫に約束された、永遠の相続の一部である。

3.アブラハムへの約束は、土地の約束も含めて、真の、霊的なイスラエルによって、永遠の賜物として受け継がれる。不従順の、不信仰のイスラエルに対してではない。

4.イエスは、ユダヤ人のメシヤとして世に来られ、ご自分の民はこの方を拒み、神との契約を破った。

5.したがって、イスラエル世俗国家は、(約束の)地に対して、今、神からの権利を持っていない。しかし、今の神からの権利に基づくのではなく、国際的な正義の原則、憐れみ、実効性に基づいて、平和的な居住を求めるべきである。

6.ユダヤ人のメシヤであるイエス・キリストへの信仰によって、異邦人は土地の約束も含めて、アブラハムの約束の相続者となる。

7.キリストの民のこの相続は、キリストの再臨し、御国を立てられる時に起こるのであり、その前ではない。それまでは、私たちキリスト者は私たちの相続に対して武器を取ってはならない。しかし、できうる限り多くの人に、自分の相続を分かち合うべく、自分の命を捨てていかねばならない。 続きを読む 現代イスラエルの聖書的位置

聖書を学ぶことの難しさ、イスラエルも

信仰の基本に戻る

バプテスマ式を終え、この前の日曜日に新しい教材を使っての、新しい信者の学びについての説明を教会の人々に行いました。信仰的に新しい人々だけでなく、他の人々にも開かれた学び会にしたいと思っています。

というのは、これをずっと前に学んだ人が「最近になってようやく分かった」と仰られたからです。その時はただ宿題をこなすような気持ちだった、とのこと。これは信仰者全般の課題で「分かっているようで分かっていない。」というのが現状です。何度も聞いているから、分かっていると漠然と思っていたけれども、いざ言葉として口から出すことができるのか、また聖書に書かれてある通りの意味合いで、例えば、「悔い改め」「救い」「信仰」「聖霊」などの言葉を使っているのか。そして伝道の時に、福音の神のご計画を、相手に合わせながら、かつ真理を曲げることなく語ることができているか、そんな課題があると思います。

私も同じです。大学二年生になる直前に明確に信仰を持ちましたが、教会や伝道に熱心になっていた自分が就職二年後に渡米し、そこで牧会訓練校に通い始めたのですが、「悔い改め」という言葉を忘れたクリスチャン生活であったことに気づいたのです。それで、牧師などという大袈裟な話ではなく、クリスチャンのイロハに戻ろうという初心に帰りました。

こうした過程が、信仰生活の中であると思います。これはヤコブ書1章にある、「聞いているだけでなく、御言葉を実践する者になりなさい。」につながる過程です。つまり、聞いていて分かっているつもりが、生活の中で生かされていないという課題です。これをじっくりと、時間をかけて主に働きかけていただくことが霊的生活ではないでしょうか。

分かっているつもりで分かっていない聖書

聖書の学びも同じでしょう。知識的には分かっているはずの話、聖書箇所であったりします。そして教会生活が長くなると、説教を聞けば「また同じ話をしている。」と思います。そして牧者に対しても批判的になります。「俺たちは現実の生活でもがいているのに、聖書ばかり見てなんかのうのうとしているな。」 続きを読む 聖書を学ぶことの難しさ、イスラエルも

「イスラエルを祝福する」は偏愛ではない

イスラエルを祝福するとは」と「怒る者から、執り成す者へ」の記事の続きになります。

創世記12章3節を取り上げて、「イスラエルを特別視する」ということを、親イスラエルのキリスト者に対して批判者は声を上げます。もちろん、しっかりと調べた上で、公正な目で状況を判断しなければいけないことは言うまでもありません。しかし、そのような批判者こそがまともに状況判断をせず、公平性に欠けている場合が多い、ということは言わなければいけません。イスラエル情勢を注視している者たちは、数々の偏見と不公正を見てきたので、強い反発を抱き、なぜ神がアブラハムに、「あなたを呪う者は呪われる」と言われたのかが、合点が行くようになります。

つまり、イスラエルを祝福するのは、それが自体が目的ではなく、神の正義と公正を追及した結果、そういう立場になるのです。

聖書全体において、イスラエルを神が祝福することが、すなわち神の国の成就であり、イザヤが幻の中で見た、正義と平和が満ち満ちた世界を見る事につながります。イスラエルを祝福することと、神の正義を求めることは表裏一体なのです。

現地からの小さき声

私が目に留まった小さき声をここに紹介します。 続きを読む 「イスラエルを祝福する」は偏愛ではない

イスラエルを祝福するとは

以下の記事について話します。

イスラエルを祝福する者は祝福される?

教会の中にも、この文章を読んで疑問に感じた方もおられたので、おそらく同じように考えておられる人がいるであろうという公益も踏まえ、こちらで私の聖書理解とその立場を書き記したいと思います。

霊の救い以上のアブラハムへの祝福

「イスラエルの定義」について。これは、ご自身が引用されたアブラハムへの祝福によって定義されます。アブラハムへの祝福は、キリスト・イエスにあって、エペソ1章にあるように、またガラテヤ書にあるように、天にある霊的祝福に表されています。したがって、今はキリストによって、ユダヤ人のみならず、異邦人にもこの祝福は伸ばされています。難しい用語を使うのであれば、村上師の主張は「教会論」においては全くその通りです。(参照記事:「日本におけるメシアニック・ジュー運動」)

しかしここで抜け落ちているのは、アブラハムへの祝福はさらにもっと大きな約束が含まれているということです。霊的祝福に留まらず、明確に、土地の所有、国が大きくなること、子孫の繁栄であります。それがモーセに受け継がら、ダビデによって確固たるものとなり、バビロン捕囚の直前、エレミヤによって新しい契約の約束によって予告されていたものでした。

何百、いや千を越える膨大な約束が、このように旧約時代の聖徒らに啓示されていました。新約聖書に出てくる、このような非常に濃厚なユダヤ的背景において、これらの約束が前提にあって、そこで、信仰による義であるとか、罪の赦しであるとか、聖霊の約束であるとか、霊的祝福が語られていたのです。 続きを読む イスラエルを祝福するとは

今と昔の日本・イスラエル関係

前記事「ネタニヤフ・イスラエル首相訪日」の補足記事ですが、首相の訪日中は情報を更新していきますので、一度ご覧になった方ももう一度戻って見てください。

私は今回の非常に静かな(?)ネタニヤフ首相訪日を通して、興味深い日本とイスラエルの関係を見つけることができました。

安全保障の協力

一つは、「イスラエル友好議連」という議員たちの集まりを主催している、中谷元衆議院議員の存在です。ネタニヤフ首相がこの場でお話しをしました。
『日本・イスラエル友好議員連盟』主催 歓迎昼食会

中谷氏は、元陸上自衛官であり、テロリズム対策のための法整備等で動いている人です。イスラエル公安大臣イスラエル武官とも会っています。そこで今回の共同声明には、サイバーセキュリティーと日本の国家安全保障局とイスラエルのそれとの意見交換、また両国の防衛当局の交流拡大を図るというものがあります。ネタニヤフ首相は、北朝鮮の核脅威とイランの核脅威の共通課題があるから、協力しなければならないことを強調しました。

かつての日本も、ユダヤ人への働きかけは軍人から始まっています。「安江仙弘」という人物がいます。彼は反ユダヤ主義の古典「シオン賢者の議定書」に興味を示し、翻訳までしましたが、パレスチナとエジプトに訪問した時に、観念的な反ユダヤ文書によるユダヤ人理解の誤りを悟りました。けれども、ユダヤ人の流浪の姿に同情して、陸軍きってのユダヤ通になったと言われています。そこで安田は、満州国におけるユダヤ人保護に尽力しました。彼はイスラエルの「ゴールデン・ブック」に偉大なる人道主義者としての名前が刻印されることとなりました。 続きを読む 今と昔の日本・イスラエル関係