仲間の和解

昨日、紹介した「ハマスの息子」の著者モサブ・ハッサン・ユーセフ氏ですが、つい最近、似たような背景を持っているワリド・シューバト氏から非難を受けて、大きな痛みを受けています。

SON OF HAMASのブログ
(May 11,2011の”The Walid Shoebat Article”まで下がってから順にお読みください。)

ワリド・シューバト(Walid Shoebat)氏はかつてPLOテロリストでしたが、アメリカに移住後、信仰を持ちました。彼はイエス・キリストの救いに預かっただけでなく、ユダヤ人とイスラエルに対する愛も与えられ、パレスチナ人であるにも関わらず、イスラエルに対する強い支持と主張をしています。

私は彼の著書を読んだことがないのですが、ワリドさんからは欧米という安全圏にいる言っても、危害や迫害などの恐れも顧みず、はっきりと自分の信仰や主張を述べているところに、頼もしさを感じます。そして私はモサブさんからは、何と言っても、政治的主張よりもキリストの命令に従うこと、どんな人でも愛していくというキリスト者としての姿勢を学んでいます。

ワリド・シューベト氏が、モサブ・ハッサン・ユーセフ氏のアラブ・クリスチャンの衛星放送での発言に対して楯突いて、それから起こったやり取りが上のブログ記事に記されています。

実に悲しいことですが、同時に、キリスト者の間でしばしば起こることであり、聖書的な希望がある議論です。

パレスチナ人クリスチャンとは?

私は以前、パレスチナ人クリスチャンの証しをブラザー・アンドリュー著の”Light Force“を読んで知りました。パレスチナ人クリスチャンと言っても、アラブ系キリスト教の中にある歴史的・文化的にそうだと言っている人たちが大勢いるなかで、真にイエス・キリストを信じて、御霊の新生の体験をした福音的なクリスチャンたちがいる話です。ベツレヘムに、その人たちが始めた聖書学校があります。すばらしい証しですが、彼らの多くはパレスチナ人たちの政治的主張は捨てることはありません。イスラエルが先祖の土地に侵略し、今でも抑圧を続けているという立場です。

私はこの政治的主張に違和感を覚えます。ちょうど、日本の文脈に直してみると、原爆反対、イラク戦争反対など言っている左翼系の人がクリスチャンになったと言っても、その政治活動は依然と続けている、というイメージを持ちました。

けれども、福音的なパレスチナ人クリスチャンには希望があります。それは、「敵をも愛す」という強い動機です。彼らにはイスラエル人やユダヤ人に対する敵愾心がありません。政治的主張は変わっていないのですが、パレスチナ人が過激化して、過激派になったり、支持している暗澹とした状況の中で、その雰囲気が立ち込めているパレスチナ社会の中で、キリストの愛に突き動かされているのです。私は、イスラエル・パレスチナ紛争が解決するとしたら、政治的・外交的解決ではなく、真の霊的和解であると思っています。

私が2010年のイスラエル旅行にて、ベツレヘムを訪問した時のパレスチナ人のガイドさんが、先にふれた聖書学校を卒業した人で、彼からも同じスピリットを感じました。イスラエルへの敵愾心がないのです。最後に、「エルサレムの平和のために祈りましょう」と仰っていました。

そして、モサブさんの出演したアラブ人クリスチャンの衛星放送ですが、そこも政治的にならぬよう細心の注意を払っていると同時に、イスラム教の教えに対しては大胆に反駁し、キリストの福音を伝えている伝道師も出演するなど、福音宣教に重点を置いています。

真に聖書的になる

それに対して、ワリドさんの優れているところは、そうしたパレスチナ人クリスチャンが克服することのできていない、民族性や政治性をも聖書的立場から克服していることです。

彼は自らを「パレスチナ人」と呼ぶことさえ嫌っています。「私はユダヤ地方出身のアラブ人だ」と言い直しています。私はこの発言を聞いてほっとします。非常に聖書的だからです。「パレスチナ」という言葉そのものが、近代アラブ民族主義に基づく政治的主張を含んでいるからです。(ちょうど韓国の人が北朝鮮を「北韓」と呼び、北朝鮮の人は「南朝鮮」と呼びますが、名称だけで政治性を帯びています。NHKは政治的中立を保つために「ハングル講座」と名付けいます。)

モサブさんは政治的になりたくないと言っていますが、私たちは政治や周辺社会から完全に抜け出せるものではありません。そして、聖書的に、神学的に純正になりたければ、やはり「神はユダヤ人にあの土地を与え、そこは「イスラエル」と呼ぶ。」という見地に立たないといけないのです。当のイスラエル人がたとえ悪いことをしていたとしても、神は一時的に彼らを退けこそすれ、彼らを見捨てることは決してなさいません。

そして、イスラエルの地も「地中海からヨルダン川まで」、さらに「ユーフラテスからエジプトの川まで」というのが、神が定められた境界線です。ガザ地区や西岸はすっぽりイスラエルの地として神は与えておられます。シナイ半島の一部と、レバノンとシリアの大半も含まれています。これを「大イスラエル主義」と呼ばれ政治右翼にされるのですが、そうではなく、事実聖書に書かれているのです。

問題は、それが実現される方法です。それが人の手によるものなのか、純粋に神がもたらされるものなのか?の違いが出てきます。人の手であっても、その背後に神がおられるという見方もあります。私は、「今のイスラエルは、主イエス・キリストが再臨される前の、エゼキエルが預言された前段階の状態」だと見ています。主が戻られるには、そこにイスラエルの国とエルサレムがなければいけません。主が戻られるには、そこに御霊の新生を受ける前のユダヤ人がいなければいけません。それにまさに現代イスラエルが当てはまるのです。

方法論の差異

私は、今回起こってしまっている悲しいことは、「方法論」の違いに拠るものだと思っています。私は、モサブ氏が極めてパレスチナ寄りに聞こえるような発言に深く同情しています。彼の初めの応答の記事によれば、「パレスチナ人がイスラエル当局に通報すれば、命そのものが危うくなる。」という切迫した状況の中で、「自分はそれを行ったけれども、一般の、しかも新しく信じたばかりのアラブ人クリスチャンの質問者に、そんなことを強いることはできない。」という思いから、「パレスチナ当局に通報すればいいです。」と案じていったこということが言っています。

パレスチナやアラブ圏で宣教をしているその言葉を、西洋という安全圏から「彼がパレスチナの闘争イデオロギーを捨てていない」というワリドさんの発言はあまりにも酷です。大胆になるのは、あくまでもその人の自由意志であり、信仰の量りによるのです。「安全」であるとか、そういったものの要素が多分に含まれているのです。信仰や表現の自由が制限されているところで行っている宣教をそのような形で断じてはいけません。

けれどもワリド氏のように、原則論を話す人も絶対に必要なのです。要はここで起こってしまったのは、「方法論の違い」なのです。

パウロとバルナバの確執

そこで私が思い出したのは、使徒の働き15章36節から始まる、パウロとバルナバの確執です。

幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。(使徒15:36-41)

同じ主の働き人で、しかも同じように異邦人に対する宣教において一致し、同労者であった者通しがこのような激しい反目になってまい、残念なことでした。ここで私は原因と、そこから生まれる善を考えてみたいと思います。

原因は、その直前の出来事です。15章にはエルサレムにおける会議があります。アンティオケの教会にユダヤ主義者が来ました。「モーセの律法にしたがって割礼を受けなければ、救われない。」と言った者たちが来たのです。それで激しい対立が起き、その問題をエルサレムの教会に持っていったのです。そこでは、パウロとバルナバは一緒です。「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。(2節)」

その緊張が主の憐れみと聖霊の導きによって一気に解決しました。教会に一致があり、かつ主の恵みによる救いという真理が固辞されたからです。それは「福音真理の自由」という闘いでした。そしてその直後に反目が起こりました。その自由が反対もなく享受できる雰囲気になったところで、他の違いが見えてきたのです。マルコを一緒に連れて行くかどうかの方法論が見えてきたのです。

私たちは、「自由」のあるところには「肉の対立」という危険にいつも注意していなければいけません。自由が侵される懼れがあるところでは、対立という肉の働きは自ずと抑制されるのです。自由が与えられる時に、私たちは強い自制が必要になります。

民主主義圏では、表現の自由が許されていますが、それゆえに「言葉」が多くなります。神が働かれる領域に至るまで、言葉で解決しようとします。祈りによる御霊の一致と、神の主権的な働きを待たなければいけないのに、「言葉の表現」という自由が与えられているから、それを武器にして用いようとしてしまうのです。けれども、私たちは「愛」という鎖に縛られているのです。キリスト者の自由は、愛によって仕えるところに用いるのです。また、「言葉」よりも「行動」なのです。

対立から生まれる善

そして「対立から生まれる善」について話したいと思います。それは、パウロはヨーロッパ宣教をすることができ、バルナバは他のところで宣教することができ、福音を聞いた人々は倍増したことです。主がその反目をも用いられて、ご自分の働きを増やされました。

さらにすばらしいことに、パウロは後にマルコを受け入れています。彼は思いを変えたのです。このように「働きが増えた」という善と、さらに対立そのものも和解へと導くという神のすばらしい御業を聖書で読むことができます。

私は、ワリドさんとモサブさんの間でも、そのような御霊の働きが起こることを願ってやみません。そしてこれは私たち働き人の間でも現に起こっている問題であり、と同時に希望でもあります。同じように主を愛しています。同じような働きをしています。けれども、方法論が違います。その時に、私たちがどのように動けばよいのか、祈りと御言葉において奮闘しながら進んでいきたいものです。

(後記1)
英語の分かる方は次の記事をお読みください。互いに相手を偽者として非難してしまった口論ですが、両者の働きを評価し、かつ愛をもって勧めを行っている、ワリド氏の友人の記事です。「イスラム教のマーディ(メシヤ)が聖書の反キリストである」と主張している著者ジョエル・リチャードソンによるものです。

On the Shoebat-Yousef squabble

(後記2)
モサブ氏の友人、ジョエル・ローゼンバーグ氏も、特定の名前は言っていませんが、実にこの問題に当てはまる内容を話しています。ジョエル氏こそ、ヨエル3章2節にある神の御言葉「わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ」の警告を真剣に受け止め、現代の兆候を非常に案じている一人ですが、次の記事では多くの部分を、パレスチナ人クリスチャンの苦しみに敏感になり、愛を持って真理を語ることへの重要性を説いています。

A MESSAGE OF WARNING TO THE NATIONS: DO NOT DIVIDE THE LAND OF ISRAEL — Understanding the Book of Joel, Part 5

Worship in Hard Times(苦しい時でも賛美)

ゴールデンウィークのハードなスケジュールが終わり、今日も午前中に親しくしている日暮里の韓国人教会で説教をし、午後に第二礼拝を終えて、少しほっとしている時間になりました。

震災によってその救援活動で日本のカルバリーチャペルの人たちは物凄く忙しくなったと思います。元々、地震の起こる前に準備していた宣教活動や集会があって、それをこなしながら救援活動が加わったからです。

その一つが、カルバリーチャペル国分寺が主に奉仕をしてくださった「カルバリーチャペル・カンファレンス2011」でした。精力的に石巻への救援旅行をこなしています。間もなく、そちらのウェブサイトでカンファレンスでの牧師たちのメッセージを聞くことができるようになるでしょう。

そして、カルバリーチャペル宜野湾が主体となって行なっていたのが、”Worship in Hard Times”(苦しい時でも賛美)という主題の集会です。4月初めに、韓国のカルバリーチャペル大田(テジョン)にて、そして四月の最後の週には、長野のマラナサ・グレース・フェローシップで行なわれました。

そこの牧師は「カズ」こと菊池一徳さんです。私が1994年秋に初めてカリフォルニアのバイブルカレッジを訪れた時に出会った日本人学生の一人でした。私が親しくさせてもらっている静岡の牧師さんたちともつながりがあり、そこでも出会いました。彼のブログはいつも楽しみにして読んでいます。

そして五月のゴールデンウィークに、沖縄で、宜野湾・沖縄・那覇・名護のそれぞれのカルバリーで行なったようです。ブログに詳しくその様子が載っています。

題名から、私はピリピで鞭打たれたパウロとシラスが、牢屋の中で祈りと賛美をしていたことを思い出しますが、沖縄にいる兄弟がブログで少し紹介しています。

ワーシップ・カンファレンス①

そしてカルバリー西東京の牧師、山東さんが動画をYoutubeにアップしてくださいました!

私は「ハクガイジン」のティムが大好きです。今、名護で教会を開拓していますが、なんと日本語だけの礼拝を持っています。沖縄の人たちにはこのような宣教師魂を持っている人たちが多いです。

※ カルバリーチャペル宜野湾のチャックさん・由美さんのブログに、この集会についての報告があります。
CC Worship Conference “Worship in Hard Times” (CCワーシップカンファレンス”苦難の時にも賛美”)

第三回目 相馬・東松島旅行 5月3日

今回の旅で最も苦しかったのは、高速道路の渋滞です。予測はしていましたが、こんなに酷いとは思いませんでした。首都高と東北道での混雑は、救援のボランティアの車両よりもほとんどは行楽の自動車でいっぱいでした。

那須辺りでようやく渋滞が解けてきて、急いで福島市で高速から降り、国道で山地を横切り相馬市へ向かいましたが、時は既に5時半です。農家の家の方々は、すでに私たちのために残してくださっていた仕事を片付けておられていました。

けれども、ほぼ完成した掃除の姿を見ることができました。もうこれで三回目ですから、初めからどのようにきれいになったのかをはっきりと見ることができました。そして仰ってくださったのは、「あの時期(4月初め)に、もっとも助けが必要な時にボランティアとして来てくださったのは、「この地域であなたたちだけだった。ほぼ終わったというこの時期に、要約、申請していたボランティアが役所から送られてきた。おかげで、次の家の解体の作業をどの家よりも早くやってもらうことができるようになった。」とのことです。

4月7日に、リッチといっしょに津波の塩水で重くなっていた畳を運んだのを懐かしく思い出しますが、それだけ貴重な助けになっていたのかと思うと、本当に私たちも嬉しいです。後で母に電話をしたら(その農家は母の友人の実家です)、いっしょに東京に行って助けてくれた人たちを訪問してみよう、と誘ったとのことです。実現してほしいなと願います。

そして、私たちは常磐道に乗って北上し、そのまま東松島市牛網にある避難所に行きました。そこで千葉さんが待っていてくださいました。すでに消灯時間が過ぎている中、和室で団欒の時を持ちました。木村さんが同じ地元の人なので、かなり地元の話が弾みました。

そしてリッチたちのグループを待ちました。彼らも早く出たのですが、府中の人たちだけでなく所沢の人たちもいて、それで出るのが少し遅れ、なんと到着したのが夜の10時過ぎです。リッチは「こんなに長時間の乗車時間は初めてだった。」と言いました。

私たちは松島にある「湯の原温泉」に向かいました。昔からある典型的な湯治宿です。

そしてリッチは、一部は避難所の和室で、残りは松島の近くのホテルで一泊です。

第三回目 東北救援旅行 5月3-5日

皆さん、こんにちは。

ゴールデンウィークに、東北救援旅行に行ってきました。ボランティアで混むというニュースは聞いていましたが、やはりこの時期でないと休みが取れない人たちのために行くことに決めました。カルバリー府中のリッチも同じことを考えていて、自分の教会から、またカルバリー所沢からのチーム13名で同じ東松島に向かいました。

今回の私たちのメンバーの一番の特徴は、「被災者自身が救援活動に加わった」ということです。私たちの自宅の近くに武道館があります。避難所に使われていましたが、基本的にボランティアを受け付けませんでした。それで困っていたボランティアの方々が、たまたま近くの韓国人教会の人たちと出会い、教会を活動場所に使わせてもらいました。それでそこの避難している人々が教会に来るようになったのです。

4月10日に、私がその教会で説教の奉仕をさせていただきましたが、その時に東松島市の奥松島出身の木村さんという方に出会いました。武道館はほとんど福島原発の避難者なので東松島からということで驚きましたが、相手も、私が仙台出身で、彼の住んでいた月浜海岸に行ったことがあることを聞き、もっと驚いておられました。私たちが12-15日に旅行に行くということで、私はその家の写真を撮ってくると申し出ました。

それで今回、木村さんが車の運転またその他の救援活動に加わることになりました。また、同じく武道館に避難されていた福島県富岡町からの植田さんも運転手として加わってくださいました。

そして私たちのLCFのメンバーである瀬谷さん、久喜さん、新井さんが加わり、さらに沖縄に10年間住み、今は札幌のカルバリーで奉仕しているカナダ人宣教師、トレバーさんも加わりました。私たちを含んで合計八人の旅行です。

2日の午後に、その韓国の教会の人たちが避難所の人たちのためのキムチをこしらえてくださいました。そして3日の早朝に出るので、前日、木村さんと植田さんは、近くに住むボタンティアの方の家に宿泊し、トレバーは私たちの家に泊まりました。彼については、カルバリー宜野湾や沖縄の人たちからたくさん話を聞いていたので、会うのがとても楽しみでした。彼はものすごく日本語が上手です。漢字もかなり読めます!

沖縄のカルバリーチャペル

昨夜、無事に東京から沖縄に戻ってきました。主に感謝。

前記事の続きですが、7日晩に宣教報告、そして8日は名護にみんなで遊びに行きました。そこには日英語で歌うラップバンド「ハクガイジン」のティムさんとアユさんが開拓をしている、カルバリーチャペル名護にちょっと立ち寄りました。

ハクガイジンの紹介

そして次にパイナップルパークに行きました。パイナップルが以前の沖縄の主要な農産物の一つでしたが、ドールがパイナップル市場を占有していらい、さとうきびに移ったそうです。

それから海洋博公園に行きました。世界で第二の大きさの水槽を持つ「美ら海水族館」と、昔の沖縄の住まいを復元した「おきなわ郷土村」を主に見学しました。沖縄の自然、そして伝統に魅了されました。

そして9日は朝にCCBCで講義をしたあと、そこから車で15分ぐらいのところにある「カルバリーチャペル沖縄」に向かいました。そこで牧師リックさんが暖かく迎えてくださり、夕方までずっと交わりの時間を過ごすことができました。

カルバリーチャペル沖縄

現在の日本のカルバリーチャペルを全体的に話しますと、多く集まっているのが東京西部と埼玉と沖縄です。初めに始まったのが神奈川県のカルバリーチャペル鎌倉と、そしてカルバリーチャペル西東京(当時はアンテオケ教会)でしたが、どちらも日本人の牧師が行なっておりました。けれども、2001頃に沖縄ではリックが自分の故郷の沖縄に戻ってきて、そして所沢カルバリーチャペルのトラビスが開拓目的として長期宣教師として来て以来、アメリカ人の宣教師による教会が増えていきました。

このリックとは、まだ数回お会いしただけでお互いに深く知りませんでした。けれども、今回、教会の中をじっくりと見せてもらい、また副牧の方々と一緒に宣教報告、そして沖縄美浜にあるアメリカンビレッジでお食事をし、じっくり交わる時間を持つことができました。

そして夕方に、ヨハネ7-9章から、イエス様ご自身を宣教者として眺め、監視や反対のある所へどのように働きを行なわれたかについて、御言葉を分かち合いました。

それから再びカルバリーチャペル宜野湾(CCBC)に戻り、次の日はカルバリーチャペル那覇の牧師である大城さんとその教会の人たちと交わりをすることができました。

カルバリーチャペル那覇

朝に昨晩と同じ内容の説教を今度は英語で行ない、それから皆さんといっしょに昼食を取り、そして午後は那覇観光をしました。最初に首里城に行き、それから国際通りに行きました。首里城では、現場に来ているのに、琉球王国の歴史を知るための紹介テレビの画面に釘づけになり(?)、国際通りではその中の平和通りにある市場やお店の見学がとても面白かったです。

今年の沖縄は例年より寒いとのこと。確かに、東京よりは暖かったですが寒かったです。けれども、信者たちの心の温かさで心はとても暖かくなりました!

沖縄CCBC(カルバリーチャペル・バイブルカレッジ)

私たちは今、沖縄にいます。3月7日夕方に那覇空港到着、そして明日に発ちます。

私にとって沖縄は初めてで、妻も以前来たことがありますが、仕事で来ただけで全然沖縄を見る機会はありませんでした。

まず初めに不思議な気分にさせられたのは、飛行機で東京から三時間もかかるのにまだ日本であったことです。ソウルに行くのに二時間ですから、日本は自分が感じていた以上に大きいのだな、と思いました。

そして私にとって一番興味のあったことは、ここは初めから日本ではなかったところだということです。北海道もそうですが、日本は決して単一民族ではありません。沖縄は琉球王国という列記とした他国だったところであり、昔、日本の薩摩藩が攻めてきて以来、日本の影響下に入りました。

CCBCで、熱心に聖書を学んでいる地元の若者がいます。彼の祖父母は現地の言葉(日本語の方言ではなく、完全に異なる言語)で会話していたので、彼自身も聞けば分かるそうです。そしてクリスチャンの家系で、そのおじいさんはその言葉で高年齢の兄弟姉妹といっしょに礼拝を守っておられるそうです。

CCBCに話を移しますと、私はとても楽しみにしていました。特に日本語だけしか分からない学生をCCBCに受け入れ始めて、それでロゴス・ミニストリーの中にある聖書メッセージもカリキュラムの中に取り入れ始め、それで日本人の学生は私の声をいつも聞いています。それで、私たちが入ったら、大きな歓迎の声をあげて迎え入れてくださいました。

Kiyo and the Crew

若い人たちがたくさん集まっています。多くがアメリカ人ですが、ドイツ人と韓国の人が一人ずつ、そして日本人学生が数人います。多くが日本語にも訳されており、英語を習得した学生やインターンの人には、積極的に通訳の奉仕を任せています。私は、沖縄CCBCは、どんな英会話教室よりも、集中的に、効果的に英語を話せるようになる(そして将来の宣教に備えることのできる)良い学校だと思いました。

そして学生は本当に和気藹々としていて、団結力が強く、かつ勉強熱心です。どこにいても、ノートパソコンと教科書をもってレポートを書いています。彼らは本当に、良い働きのためのすばらしい主の奉仕者になれると思います。

牧師のトミーは、すばらしい働きをしています。お母さんが日本人のハーフですが、カリフォルニア州のカルバリーチャペルで牧会をした後、日本でのCCBC設立のビジョンをもってここにやってきました。彼の働きもこれから応援し、また祈っていきたいと思います。

2011年カルバリーチャペル宣教会議②

2011年カルバリーチャペル宣教会議の二番目の説教者は、マット・コットマン(Matt Kottman)牧師でした。彼は長年、宣教の働きに携わっていますが、現在、イギリスのカルバリーチャペル・レザーヘッド(Leatherhead)という教会で牧会をされています。

「神の召し」ハガイ2章1-9節

(要旨)
神の召しを受けて、かつて宣教の先駆者アブラハムが入った約束の地で神殿の再建を行なったが多くの反対に遭い、落胆していたユダヤ人一団に対する神の励ましの言葉である。

1-3節:現状
彼らは三つの過ちを犯していた。
1)外見を気にしていた。「以前の栄光に輝くこの宮を見た(3節)」
弟子たちもマルコ13章で「なんとすばらしい石なのでしょう。」と神殿の外側を見ていた。
私たちの奉仕の働きで、外見を見るという過ちを犯していることは多々ある。「讃美チームが与えてほしい」「おっ、あの人はギターが弾ける!」など、内的実質を見ないで外側に注目することがある。

2)過去の栄光にすがっていた。「以前の栄光・・」
イギリスは、かつてスポルジョン、ウィットフィールド等を通して驚くべき神の御業を見たが、今はない、と言ってがっかりしてしまう。

3)比較「まるで無いに等しいのではないか(3節)
他の奉仕者の働きと自分のを比べてしまう。

4-5節:励まし
「強くあれ」
私たちが落胆して力を失っている時、神は強くあれと励まされる。神は命令されるとき、その命令に従うことのできる力も与えてくださる。
「仕事に取りかかれ」
私たちは、神の仕事を落胆により止めてしまう、またはただ今していることを維持するだけで、将来に向かい危険を冒すことをあえてしない。
「わたしが共にいる」
私たちは、神が召されると、独りでその働きをしなければいけないと勘違いする。しかし、神が既に働かれているところに私たちが参与する、と言ったほうが正しいのだ。
「あなたと結んだ契約により」
神は約束を与えてくださる。
「わたしの霊が」
神が臨在しておられる。
「恐れるな」
宣教の働きのとき、私たちは恐れと戦う。

6-9節:励ましの根拠
「この宮を栄光で満たす」
かつては幕屋、神殿、そして主ご自身(ヨハネ1:14)、そして今は私たち教会が神の栄光の宿す所である。

「宝物で満たされ」
神は人々を連れて来たいと願っておられる。

「先のものよりまさろう」
神は、自分が持っている幻よりもさらに大きな幻を持っておられる。

(感想)
人はすぐに落胆する弱い存在だなと、自分のことを考えると特にそう感じます。「外見を見る」「比較する」というのは、いつも付きまとっている落胆の要因です。

けれども神はそのことをよくご存知で、絶えず、「強くあれ」「働きなさい」「わたしが共にいる」と励ましてくださいます。「強くあれ」という言葉だけでも、本当に強められますね。また、「主が共におられる」というのは、人間的な感覚ではいつも忘れてしまう真理です。なぜか、「私が、神から命じられていることを、独りでこなさなければいけない。」と思ってしまうのです。

そして「教会が神の栄光の満ちるところ」であることは、今の私たちの集まりが神の目にいかに尊いのかを思いました。そして神は人々を救いたいと願われていること、そして自分の今の夢よりももっと大きな幻を持っておられることなど、いつも、この神の前で砕かれながら、そして喜び叫ぶ日々を暮らしたいと思いました。

2011年カルバリーチャペル宣教会議①

ずっとこのブログに書こうと思って、できないことがありました。今年1月3-6日に南カルフォルニアのミュリエッタ(Murrieta)の会議センター行なわれた、2011年カルバリーチャペル宣教会議のことです。

さまざまな牧師や宣教師が御言葉を分かち合ってくださったのですが、それの要約と私が主から教えられたことをここに書き記そうと思っていました。私自身が、初心を忘れずに、主から与えられた幻を新たにするためです。

今回の会議のテーマは、”Let the Nations Be Glad.”です。訳すと、「諸国が喜びますように」で、詩篇67:4の「国民が喜び、また喜び歌いますように」から来ています。福音に触れて変えられた人々を見る喜び、私たち宣教師がキリストの使節である特権などについての話をたくさん聞きました。(宣教会議の内容は、mp3のCDまたはDVDにて視聴できます。)

初めの説教者は、この会議の主催のカルバリーチャペル・コスタメサの副牧師ブライアン・ブローダソン(Brian Brodersen)です。彼はカルバリーチャペル・ヴィスタで牧会した後に、妻のシェリル(Cheryl)と子供たちと共にイギリスでの宣教の働きに携わりました。(その時、私たちはコスタメサの教会に通っていましたが、チャックが大きな試練を受けていると説教で話していたのが、実は娘のシェリルと孫たちがイギリスに行ってしまうことだったのです!)

ベルリンの壁崩壊後のヨーロッパにて、霊的餓え渇きの強い若い世代にカルバリーチャペルが神に用いられましたが、彼もその御業を見てきた人です。今もコスタメサの教会で、牧会だけでなく宣教に関わる奉仕に熱心に関わっておられます。

題名:「主の臨在(Presence of the Lord)」出エジプト記33:12-15

「さて、モーセは主に申し上げた。「ご覧ください。あなたは私に、『この民を連れて上れ。』と仰せになります。しかし、だれを私といっしょに遣わすかを知らせてくださいません。しかも、あなたご自身で、『わたしは、あなたを名ざして選び出した。あなたは特にわたしの心にかなっている。』と仰せになりました。今、もしも、私があなたのお心にかなっているのでしたら、どうか、あなたの道を教えてください。そうすれば、私はあなたを知ることができ、あなたのお心にかなうようになれるでしょう。この国民があなたの民であることをお心に留めてください。」すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」それでモーセは申し上げた。「もし、あなたご自身がいっしょにおいでにならないなら、私たちをここから上らせないでください。」

第一回目の説教ということで、彼はこの会議に期待していることを分かち合いました。彼は、教会の指導者として人々を主のご臨在の中に導きいれる責任を感じています。

主の臨在は、さまざまな影響力があります。

一つは、私たちに力を与えます(詩篇68:8)。例えばイエス様が弟子たちとおられたとき、嵐をしかりつけられました。長血を患った女は癒されました。二つ目に、人の生活に変化をもたらします。三つ目に、見方を変えてくれます(詩篇73篇)。ペテロもイエス様がおられることによって、「私は罪深い者です」という告白をしました。四つ目に、主の臨在は私たちに喜びをもたらします!(これが会議のテーマです。)詩篇16:11,30:11,105:3をお読みください。五つ目に、清新(refreshment)の時を与えてくれます(使徒3:19)。もう一度、新たに主の働きを始める活力のことです。

このご臨在のある所に、人々は集まってきます。「ここに神がおられる」ことを感じることができるからです。

では、主のご臨在にまで人々を導く手助けをどのようにすれば良いのでしょうか?
1)ご臨在を願うことです。ダビデは、世における楽しさの千年よりも、主の庭の一日のほうがまさることを話しました。2)少し礼拝に変化を与えます。お決まりに型にはまらないようにするため。3)神に尋ね求めます。4)主のご臨在を期待します。

(感想)
宣教会議の基本を聞いたな、と思いました。会議で主に出会い、臨在に触れて、神の御声を聞くのは私たちがいつも期待していたことです。

そして、今回のテーマの「国民は喜びます」というのは、私たちが海外から日本に帰ってきてから、いや海外にいたときから続いている心の状態です。なぜ、こんなにも福音によって変えられる人々に出会わせてくださるのか、という喜びです。今も、LCFや恵比寿バイブルスタディを通して味わっています。

そして、主のご臨在は礼拝における課題です。信者の交わりの中に、そして御言葉の学びの中にご臨在があることを願っていますが、何よりも讃美の中で主の臨在に導きいれられることを今、強く願っています。先週の土曜日、讃美の奉仕者の方が与えられ非常に感謝しました。これからも祈り求めていきたいです。

キリスト者が祈るべき「エジプト」 - ③魂の救い

そして、②の聖書預言の前兆とも呼べるような良い知らせが、現在進行形で私たちに伝わってきています。

Is There Any Good News in Egypt?
Yes, there is, so let’s keep praying for our brothers and sisters

(エジプトに良いニュースはあるのか? - ある、だからそこの兄弟姉妹たちのために祈り続けよう。)

一部を意訳いたします。

(意訳開始)
・・・一ヶ月前にエジプトに行ったばかりですが、カイロの南にある村落の貧困は、インド、アフガニスタン、レバノン南部のパレスチナ難民キャンプよりも酷い、これまでに見たことのない程の最悪のものでした。けれども、イエス様に献身している人々が生活の助けを得ているのです。その礼拝は情熱あふれるものであり、彼らのイエス様への愛には圧倒されます。

聖書に登場する所での奉仕の働きにおいて、近年、非常に力強く神の動きを見ることができます。エジプト人は次々とキリストを信じ、その信仰は成長し、牧師たちは訓練と励ましを受け、教会全体が成長しています。例えば、あるミニストリーでは、3100人がキリストを受け入れる祈りをし、2010年だけでも数多くの教会が始まりました。これらの若きエジプト人の信者たちは、辺境の村落にまで福音を届け、その後、信者を弟子にしていく命溢れる教会が起こされています。神は確かに、このパロの地で力強く働かれているのです。・・・

この政治的、経済的危機において、エジプトにいる友や仲間と連絡を取り続けていますが、世界中の信者が彼らのために祈っていることを感謝しています。彼らの家族のため、また、これらの優れた若き指導者たちのためにお祈りください。去年、福音を伝えたという廉で、9人の信者が投獄されました。けれども、神の恵みと聖徒の祈りによって、すぐに釈放され、その後も主に深く献身しています。彼らはこう言って、神に感謝しています。「私たち信者は迫害を受ける時、地下に潜ります。そして、私たちの根はさらに強くなり、健全なものとなります。そして、さらにキリストの大使としてふさわしい姿で表に出てくるようになり、さらに迫害の渦中で堅く立つ心の用意ができるのです。」・・・

このような困難な時に、エジプト人の信者はみなさんに愛の言葉を返しています。そして私たちの偉大な神に栄光を帰しています。Hという方が先ほど電話でこう仰いました。「エジプトで神がいま行なわれていることで、賛美しています。エジプトがニュースで取り扱われることによって、この国の歴史の中で、これほど多くの人がエジプトのために祈っていることはなかったと思いませんか?私たちは確信を持って、神がこれらの祈りを聞かれて、エジプトの教会を建て上げてくださると言えます。そして神が、不満を抱き、宗教に嫌気をさしている人々を、まっすぐイエス様の御腕の中に導かれるのです。」注目に値する視点ですね!
(意訳終わり)

このような、ものすごい速さで神がご自分の救いの業を、とてつもない困難な状況の中で行なわれていること自体が、今、私たちが終わりの日に生きていることを示す大きな徴なのです!日本にいる私たちが、目を覚まさずしてただ毎日を生きていていてはいけないのです。主が行なわれる御業に期待しましょう。そして、自分たちだけでなく、エジプトの兄弟姉妹のように、世界の他の地域にあるキリストの体のためにも祈りましょう。

韓国での宣教報告

このブログでは、すっかりお知らせするのを忘れていました。今、韓国の天安(チョナン)にいます。今回、ソウル、天安、そして大田(テジョン)にあるカルバリーチャペルの人たちに、これまでの宣教報告とまた、これからの東京での働きを紹介しました。2月3日に帰国予定です。

本当は、こちらの旧正月を避けて2月終わりか3月に行こうと思っていたのですが、不思議なことに飛行機のチケットが今の時期のほうが安く、この時期になりました。そして今の韓国は本当に寒いです。到着した日は最低が零下10度、最高が零下5度でした。でも、最近、韓国から日本に戻ってきた韓国の人たちに前もって寒いと聞いていたので、服の準備を万端にしていたので大丈夫です。

土曜日から日曜日が忙しかったです。土曜の晩にソウルでの英語礼拝、そして日曜の朝に天安で韓国語礼拝、そして夕方に大田での英語礼拝でお話しました。久しぶりに会う兄弟たちもいるし、新しく会う人々もたくさんいました。特に大田のカルバリーチャペルは初めてでした。
http://www.fareastmission.org/
http://web.me.com/ccdaejeon/ccdaejeon/Home.html

韓国のカルバリーチャペルは、ある意味、日本のカルバリーチャペルよりも状況が困難です。あれだけのキリスト教大国(?)の韓国でなんで大変なの?と思われるかもしれません。けれども、今日、天安のカルバリーの牧師さんと交わった時に、こうまとめてくれました。

1)まったく教会に行ったことのない人々
2)以前、教会に通っていたが今は離れてしまっている人々
3)熱心に教会に通っているが、聖書の教えに飢え渇いている人々

1)についてですが、今、キリスト者の数が韓国では徐々に減っています。そして雰囲気が、キリスト教会への反発が強くなっています。これはキリスト教そのものよりも、これまでの韓国の教会のあり方に対するもので、伝道を試みても強く拒むそうです。

そして次に3)について説明しますと、この人たちに聖書をきちんと教えるカルバリーチャペルが貢献できると期待してしまうのですが、実は違います。以前もお話したように、韓国では異端がものすごい量で増えています。そのため既存の教会が過敏になっており、中身を精査することなく、既存の教派(長老派など)でない新興のものはみな異端と切り捨ててしまう傾向があります。そこで、特に教団という形を取らず、また、神学校の卒業生に按手するという制度もないカルバリーチャペルは異端視されてしまうことがあるそうです。

1)も3)も、韓国の教会そのものが硬直化してしまっている問題と課題に起因します。そして2)の人たち、つまり、教会そのものへの偏見はないけれども、信仰から離れてしまった人たちに対して働きかけるのが、時間と忍耐が必要だけれども、今の韓国のカルバリーチャペルの働きがキリストの体に貢献できやすい対象ではないか、と話してくださいました。

日本は福音化されていない反面、むしろそうした教会文化がないために存在する自由がありそうです。

いずれにしても、韓国の兄弟姉妹とたくさん交わりができて、とても楽しいです!