若者・IT感覚でキリスト教を紹介

前記事の続き)

前の記事では、キリスト教会の様子を伝えたものですが、次の二つの記事は、キリスト教で何を信じているのかを、分かり易く紹介したものです。若者、IT感覚で伝えているのがとっても良いですね。

キリスト教とは?教え・宗派・世界のはじまりを解説【前編】

イエス・キリストとは何者か?33年6ヶ月の生涯【後編】

皆既日食と世の終末?

今、自分のフェイスブックには、続々と米国の友人たちからの皆既日食を撮った写真がタイムラインに流れています。ある方が、ご自身は思いっきり”引いた”形で次の記事をシェアしておりました。

【悲報】「今年の9月23日人類滅亡」ほぼ確定へ! ピラミッド、聖書、皆既日食など根拠多数、2024年8月8日まで終末状態が続く!

もう三年前以上に、以下のブログ記事を書いておりました。とても単純な部分で聖書の預言を読み違えています。

「赤い月」預言について

そして、いつも牧者JDファラグさんとアミールさんの聖書預言の解説を翻訳して発信しておられる、言波さんも、大切なことを書いておられます。

~~~~
(ブログ:「神さんのいうとおり」から))

つまり、天にしるしが現われるというのは、聖書に適った事ではあるけど、
私達が注目し、述べ伝えるのは、そこではない。という事。

なぜなら、聖書にはこう書いてある。

*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシヤ人は知恵を追求します。
しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えるのです。
第一コリント1:22-23 続きを読む 皆既日食と世の終末?

改めて「セカンド・チャンス」について

有るところで、「福音を生前に聞いたことのない人が、死後に救われる機会はないのか?」という内容の議論があり、私もその中に加わっていました。以前、以下の書籍紹介を当ブログでしていました。

「セカンドチャンス」は本当にあるのか

下に、私の立場を書かせていただきます。

①神は正しい方、そして慈悲深い方

私は、神の救済についておそらく、保守的な聖書理解に立っていると思います。つまり、全ての人が罪を犯したゆえに、神の前で有罪だということを信じ、受け入れています。聖書全体の中にも、旧約から新約まで、人は罪深く、不義を行ない、それゆえ神の憐れみなしには生きることはできない存在だ、ということが徹底しているからです。人は罪人であり、神こそが聖なる方、義なる方です。

そして、神を知らない異教徒についてはどうなのか?ということになりますと、その与えられた知識に基づいて裁かれます。ローマ1章後半では、神を知らないと言っても、実は被造物にある神の栄光があって、その知識を抑え込んでいる。死後に裁きがあることを知っているのに、あらゆる悪や貪りに心から同意している、ということが書いてあります。そして2章においては、自分を正しいとしている人たちについて、実は自分が正しいと思っていることさえ行なえていない、良心にある律法に背いていると論じています。そして聖書の知識のある人は、「知っているのに、行なっていない」という問題があるとして、3章において「全ての人が神の前に有罪だ」となるのです。ですから神は、裁かれる方です。

しかし、神は憐れみに富む方です。ご自分の義にしたがえば、裁かなければいけないのですが、しかし憐れみと富む方で、怒るに遅い方です。ですから、ご自分の御子をさえ惜しまずに、ローマの十字架によって死刑人とされて、それを私たちの罪の供え物としてくださいました。罪を赦していただくために、この方の御名を呼び求め、主と告白し、また死者の中から甦らせてくださったことを信じるなら、その人は、罪、死、神の怒りから救われると信じています。

そして主は、地上に生きているものを裁かれるし、また死後にも裁かれます。終わりの日には、死者を甦らせ、各々をその行ないに応じて裁かれます。

②死後は、神の主権、領域内にある

ソロモンが言いました。「ちりはもとあった地に帰り、霊はこれを下さった神に帰る。」(伝道者12:7) 続きを読む 改めて「セカンド・チャンス」について

アミール・トサルファティ(Amir Tsarfati)さんの集会

以前、翻訳サイトとしてお勧めしていた「DIVINE US」ですが、木下言波さん、また彼女を助けておられる人々によって、このサイトが豊かに用いられているようです。

その中で、ここ1‐2年、集中して日本語字幕を付けている話者が、ミニストリー”Behold Israel“のアミール・トサルファティさんです。そこのプロフィールにも書かれているように、カルバリー・チャペルの人たちと長い付き合い、深い親交がありまして、牧者チャックからも、しばしばイスラエル人の聖地旅行ガイドとして、またジャック・ヒブズというカルバリーチャペルの牧者との協働で、講演をしたりしていたので、よく知っておりました。

私は、木下言波さん、またお手伝いされている人々がどのような方なのだろう?とずっと気になっていました。そうした中で、なんとアミールさんご自身が来日、講演されるというニュースを受け取ったのです!私は7月12日の講演の第一部に参加させていただきました。
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宮城キリシタン探訪

毎年、この時期に仙台の実家に戻るのですが、ずっと気になっていたことを行ないました。それは自分の故郷での切支丹の歴史を辿ることです。だれか案内してくださる方がいないかと思っていたところ、今年二月、N牧師と話している時に、ご自分の奥様がとても詳しいということで、お頼みしました。14年前に信仰をもった両親にも見せたいと思い、両親と、それから車の運転を手伝ってくださったN姉妹と共に、行きました。

仙台キリシタン殉教碑

広瀬川の殉教者(女子パウロ会)


仙台の西公園の端、広瀬川の大橋の横に、この記念碑が立っています。冬の極寒の中、水牢によって殉教した切支丹と伴天連を記念しています。しかし、彼らだけが処刑されたのではなく、ここら辺には裁判所もあったそうで、他にも多くの切支丹が殉教したと言われています。

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日本宣教と「ヘブライ的思考」

以前、「西洋につながらないアジア宣教」において、話させていただいたことの続きです。また、「宗教改革五百年:福音宣教のパラダイムシフト」でご紹介したように、今年は宗教改革五百周年ですが、今のプロテスタントの趨勢を見ますと、圧倒的に非西洋圏(アフリカ、アジア、中南米、中東の一部)においてキリスト者の急増、教会の発展を見ても、欧米圏は衰退していている中、神によって日本に置かれている我々キリスト者もまた、この趨勢の中にいることを知らないといけないと思いました。

そこで「距離を置きたいような神学論議」において紹介させていただいた、次の書物を改めてご紹介したいと思います。

「私たちの父アブラハム」(マービン・R・ウィルソン著)
OurFatherAbraham

私たちが手にしている聖書は、西洋の産物ではなく、今のイスラエルから発したものです。それがパウロ等の福音宣教によって、欧州の文化の中に伝えられていきました。既に、ギリシヤの時代にユダヤ人のギリシヤ化が行なわれ、アンティオコス・エピファネス王による迫害は有名です(ダニエル書8章と11章)。その後に、元来のヘブル人の信仰を伝統的に保持したユダヤ人と、ヘレニズム(ギリシヤ)化したユダヤ人へと別れて、言語的にも、文化、ユダヤ教の中でも大きく分かれました。ヘレニズム文化と思想を熟知していながら、元来のユダヤ教の伝統を身に付けていたパウロだからこそ、欧州への宣教のために用いられたと言えるでしょう。 続きを読む 日本宣教と「ヘブライ的思考」

核戦争待望とキリスト待望

昨日、私たちの教会の礼拝は、聖書講解でダニエル書9章を読みました。午前と午後の二つの礼拝でそれぞれ前半と後半に分けて、じっくりと学びました。ダニエル書は個人的に、ずっと親しみをもって読んでいき、また何度となく教えて来た書物の一つです。けれども、時代が時代だけにますます真実味をもって読むことができました。

ダニエル書9章1‐19節(原稿 ・ 音声
ダニエル書9章20‐27節(原稿 ・ 音声

そうした学びの準備の中で、以前からとても気になっていた批判がありました。9章にある七十週についての解釈について、それをどのように解釈するのか?という釈義によって議論するのではなく、政治的に利用されていることを殊更に取り上げて、結果的に、自身も政治的になっておられることです。 続きを読む 核戦争待望とキリスト待望

西洋につながらないアジア宣教

欧米のキリスト教を見つづける東亜三国

今年2月に行われた、東アジア青年キリスト者大会においての祝福の一つは、「実は東亜(日中韓)において、今日よりも戦前のほうがつながりと交流があった」ということが分かることです。今でこそ国においては日中韓で対立が続き、そしてそれぞれのキリスト教は、それぞれが宣教の課題を持っていて、たこつぼ的に動いています。

その中で、忘れられているのは、「我々はキリストにつながれており、西洋キリスト教につながれているのではない。」ということであります。福音を初めに伝えたのは確かに欧米の宣教師たちを通してなのですが、今に至るまで各国のキリスト者が、欧米キリスト教のみ(模倣にしろ、反発にしろ)に目を向けており、その色眼鏡で他の二国を眺めているということです。それで、必ずしも純粋に持っている信仰や教会形成ではない、欧米文化を多分に含むキリスト教となっています。それで宣教初期にあったような交流がないまま、互いに無関心、時には嫌悪感をさえ抱いている場合があります。

しかし、よくよく考えれば、欧米のキリスト教は、欧米文化や社会の中で福音が伝えられ、定着化したことによって存在しているのであり、それはそれでよいのです。しかし、私たちの信仰の発祥ではないのです。私たちは、その西洋宣教師の働きや信仰に感謝して受容しつつも、私たちは私たちで、主がこの地でいかに働いて、生きておられるのかをしっかりと見て、御霊に導かれ、キリストに根差した信仰を養う必要があります。

西アジアのセム人イェシュア 続きを読む 西洋につながらないアジア宣教

「2075年までにイスラム教徒が世界最大勢力に」

今の世界を見る時に、イスラム教の伸長とイスラム国によるテロ拡散は、私たちが心して見ていかないといけないことは、当ブログでもずっとお話しさせていただきました。イスラム研究者として、私がフォローしているのは、池内恵准教授の著作フェイスブックが第一にありますが、もう一つは、飯山陽(あかり)女史によるものです。

どこまでもイスラム国

ホウドウキョク

一つ目のブログはずっと滞っていましたが、久しぶりに記事が始まりました。その始まりが、度肝を抜きました。

2075年までにイスラム教徒が世界最大勢力に続きを読む 「2075年までにイスラム教徒が世界最大勢力に」

福音の政治化

これまでも、当ブログでこの話題についていろいろ書いたことがありますが、再び、あるところで書いた文章をこちらにも掲載したいと思います。(一部、元の文章から編集します。)

<政治的保守主義とキリスト教>

政治的保守主義とキリスト教(カナイノゾム研究室)

日本の教会において、政治的に「保守」という立場を取る人が少ない。そして、保守というと、すぐに軍部が支配する全体主義に後戻りすると思う傾向があります。さらに、真実なキリスト者ではないという発言まで聞きます。これは明らかに暴言です。世界中に政治的に保守主義を取っていながら、立派なキリスト者は無数にいます。

厳密に聖書を見つめるならばシェア元記事にあるように、聖書における政治思想はむしろ「保守的」です。いや、私の意見では、もっとはっきりと言うならば「体制的」であると思います。使徒ペテロが、「人の立てた制度に従いなさい。」と言いました。

なぜなら、例えば、共産主義国において、反共の思想(右)は「反体制」になりますが、キリスト者はその政権を神が立てたものとみなし、反体制運動を起こしません。思想的にはむろん、信仰上、共産主義を受け入れませんが、それと政治的行動を起こすこととはまた別です。

キリスト者は、自分の置かれている国の指導者を敬い、その人のために祈り、執り成します。それが人々から偶像視されている王であってもです。しかし自らは拝まない。神をむしろ畏れます。しかし、神を畏れるがゆえに、王を敬います。 続きを読む 福音の政治化