続けて、ネタニヤフ首相の米議会演説の話題です。ネタニヤフ氏の米議会演説を先ほど、すべて観ました。
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今、日本語のニュースサイトでこの演説の内容を調べてみると、「強硬姿勢崩さず」という言葉が多く出てきましたが、私は、clarityという言葉を思いました。つまり「明快さ」です。
私が印象に残っている点を書き記します。
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イスラエルは、中東の内で初めから民主主義と自由を固持してきました。米国が唯一、中東において民主主義と自由を輸出しなくても良い国です。北アフリカと中東の中にあるアラブ人の民主化運動は、彼らに同じ自由を享受する権利を示しているが、イスラエル系アラブ人はその自由を何十年も持っていました。
米議会は拍手と起立の渦に巻き込まれていましたが、一人の女性が抗議の声を挙げ、少し中断しましたが、ネタニヤフ氏は、「これこそ自由の印であり、反対表明を言えるのだ。」と歓迎する態度を示しました。これを現在の中東で行なうと、実力行使で押し潰されるのは、見ての通りです。
そして、かつても民主化の動きがかき消されてしまった歴史を思い出す必要があります。1979年のイラン革命、レバノンのヒズボラの台頭がその一つです。
イランの核兵器開発は長いこと行なわれていますが、2003年に一時期とまった時があり、同じ時期にカダフィもあきらめています。それは、あらゆる手段を辞さない姿勢を示したからであり、私たち、特に六百万人の同胞を失ったイスラエルは自衛権を有しています。
イスラエルは平和を渇望しています。エジプトとヨルダンとの平和条約が、それが結ばれる前の戦いを考えると、どれだけ貴重であるかをよく知っている。今はパレスチナ人との和平を望んでいます。その為には、痛みを通らなければいけません。ユダヤ人の郷土である「ユダヤ・サマリヤ地方」の一部を放棄しなければいけません。イスラエルは、その地域において外国の占領者ではなく、古来からイスラエル人の土地でした。アブラハム、ダビデ、イザヤ等、歴史の歪曲があってはなりません。
パレスチナ人も、その尊厳と主権と、経済的繁栄を享受する権利があります。それ故、パレスチナ国家が存在すべきです。事実、ここ二年間、私たちが検問所を取り外し、パレスチナの経済は10パーセントの成長を遂げました。
オスロ合意以降、歴代のイスラエル首相が、ネタニヤフ氏も含め、パレスチナ国家を推奨してきました。ところが頓挫します。その理由は明快で、「パレスチナが、その国家を認めないこと」にあります。その国家が、「ユダヤ人国家との共存」を意味することにおいてです。イスラエル・パレスチナ紛争の本質は、パレスチナ人の国家が存在できるかどうか、ではなく、ユダヤ人国家の承認でありました。47年の国連決議で、ユダヤ人の地とアラブ人の地の割譲案に対して、ユダヤ側は承認、アラブ側が拒否しました。オスロ合意以降の首相は、六日戦争でイスラエルが確保した領土のほとんどを譲歩したにも関わらず、拒みました。残念なことですが、パレスチナは子供たちにイスラエルを憎むように教育しています。
私にとって、「パレスチナ国家を承認します」というのが痛いことであるのと同じように、私はアッバス議長にも同じ痛みをしてほしいです、「ユダヤ人国家を認めます」と。
国境線引きは、実際の人口の推移を踏まえなければいけません。すでに67年以降の領土において65万のイスラエル人が住んでいます。そしてエルサレムとその近郊にも既に数多く住んでおり、その現実を踏まえなければいけません。入植地は交渉の場で決着すべきでしょう。ある入植地はイスラエル国家の領域外になってしまうかもしれません。けれども、67年以前の境界線に戻れば、イスラエルの防衛が不能状態に陥ってしまいます。
そしてパレスチナ国家が認められれば、当然ながらパレスチナ難民はその国家内に移動すべきです。ユダヤ人国家は、離散のユダヤ人と難民になったユダヤ人を吸収しました。
そして、交渉の相手は、イスラエルとの和平を望んでいる人々でなければいけません。ハマスは、その憲章でイスラエル懺滅を唱えているばかりでなく、ユダヤ人を殺せと提唱しているのです。ハマスは、パレスチナのアルカイダ版です。
そしてエルサレムは、イスラエルの主権下にあったときにだけ、三つの宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)の自由が保持されました。エルサレムは分割してはなりません、イスラエルの首都であり続けるべきです。
(参照: イスラエル外務省の原稿の起こし)
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本当に原則的な話ばかりで、難しいことは話していません。実に、「民主主義」「自由」「安全保障」を大事にした演説です。彼は非常に流暢な英語で、米議会の人々を拍手の渦に導きました。これほど友好関係を築いている二国があるものか、と感心します。
彼が話したことは、私が日頃感じていることのほとんどであり、至極当たり前だと思っていることです。けれども、聖書を信じる立場として、ジョエル・ローゼンバーグ氏は、「神の土地の割譲」と「米国への依存」においてその間違いを指摘し、イスラエルが神に立ち返ることによってのみ平和は可能であることを述べています。
けれども、私はネタニヤフ氏の「パレスチナ国家案」には驚いていません。イスラエルは、その建国当時からアラブ人との共存、二国家、二民族の立場を有しており、戦争をしても、すぐに交渉の席に着き、譲歩をしてきた歴史を読んだので、その延長線上にあると思っているからです。エルサレムをヨルダンから奪還した時も、神殿の丘の管轄をダヤン国防大臣はすぐにイスラム宗教局に譲渡してしまいました。
しかし、何かにつけてパレスチナはイスラエルの譲歩がある度にかえって態度を硬化、そして暴力手段に訴えます。そのため、イスラエルが応戦します。その結果、管理地あるいは領土が拡がります。この繰り返しでした。私は、イスラエル人当人がパレスチナ人へ土地を譲渡する姿勢があっても、神ご自身がその主権の中で、ご自分の地を守られていると感じています。
(さらに、私は戦争が起こるのを望みません。ネタニヤフ氏の原則を曲げない姿勢より、かえって、大きな譲歩を申し出た首相の時のほうが、流血が増えています。そういった意味で、二国家を提案しつつ、さまざまな条件を付ける彼の手法は非常に賢いと思います。)
さらに、パレスチナ自治政府が、周囲のアラブ諸国で起こっている民主化の痛みを通らなければいけません。デモが起こった時に、今の指導層は許すでしょうか?イスラエルは、イスラエルの国を否定する人々の意見の表明までを許していますが、パレスチナ自治政府は、イスラエル国への支持をパレスチナ人自身が発言するのを許すでしょうか?
この点で私はネタニヤフ氏の提案に無理があると思います。自治区内に、真の民主化運動が起こり、激変が起こらない限り、真実な和平相手になることは決してないと思います。一般の人々に民主的思想が根付いてこそ始めての「国家」です。
そして最後に、自治区はもちろんのこと、イスラエル国内でさえその宣教が制限されている点においては、見逃されています。イスラエル国家自体は世俗民主主義なので、信仰の自由がキリスト者にも与えられていることはネタニヤフ首相の言っている通りです。彼は特に、福音派キリスト者に対しては他の指導者以上に寛容です。
けれども、実際は建国当初からユダヤ教正統派を政府の中枢に取り入れているため、さまざまな弊害が国内で起こっています。キリスト者の宣教活動については、そうした人々による反宣教監視活動が繰り広げられているのです。もちろんそれで神の働きが起こっていないということではありません。その制限の中で、福音の戸が開かれています。
(後記)こちらに28歳の時のネタニヤフ氏の討論映像があります。もう33年を経ているのに、彼の基本姿勢は変わっていません。そして論理的・雄弁であり、討論相手に対して紳士的であることも変わっていませんね。