フェイスブックの投稿から:
かつて、イスラエルの首相ネタニヤフ氏が、こう言いました。「もしアラブ人(過激派)が、武器を降ろしたら、戦争は終わる。もしイスラエルが武器を降ろしたら、イスラエルが無くなる。」
これは、いろいろな戦いについて言えます。今は明らかに、「もしロシアが武器を降ろしたら、戦争は終わる。もしウクライナが武器を降ろしたら、ウクライナがなくなる。」と言えます。
いわゆる「喧嘩両成敗」で物事を見ることが、いかに不正であるかを物語っています。国レベルの戦いにおいても、個人レベルの対立においても、日本には、「戦い」そのものを毛嫌いする傾向があります。力の行使のすべてを悪とみなす誤った平和主義が、不当な侵略や攻撃を後押しすることさえあるのです。
キリスト者はなお一層のこと、戦いに召されています。悪魔にそそそのかされて、罪を犯した時以来、万物が神の支配に入る時まで、戦いが続いています。私たちの神は、「万軍の主」と呼ばれています。主が、戦っておられる方なのです。