何を予期すべきか? 3

3)世に組み込まれたキリスト教会

「美濃ミッション事件」というのは、簡単に言えば「マスコミによる市民騒動」ということができます。これが他の迫害と異なる大きな特徴について、美濃ミッションのホームページがこう説明しています。

1929年~1933年 児童の「神社参拝拒否」に端を発して、その保護者、教会、美濃ミッションを排撃する運動が、大垣市から日本全国に広がった事件。
信仰の「迫害・弾圧事件」は、国家によるものが多いが、「美濃ミッション事件」は学校・住民といった地域が行ったものに、国家・警察、教育関係者、軍隊までを巻き込んで拡大していったのである。

a)「民」による迫害

新聞報道などの媒体が、これらの騒動に大きな役を演じたことが、「何を予期すべきか?」に克明に記されています。私がこの歴史的事件を思い起こすにあたって身震いするのは、この故です。

他の国もそうですが、殊に日本ではその世相がそのまま国全体を動かす力を持っています。非常にまとまりのある民なのです。悪く言えば、国全体が変な方向に行くのを国民こぞって行なう素質を持っています。

それが日本を戦争へ駆り立てた大きな理由の一つであり、新聞とラジオによる煽動と、それに乗ずる大衆の圧力があって、決断がなかなかできなかった東条内閣を動かした、とも言えるのです。この部分で、ドイツのヒットラーの独裁とは異なっていました。

その証拠に、戦争に敗れるやいなや、国民総動員で懺悔を行ない、自分たちが行なっていたことをすっかり忘れたかのように、今度は戦後民主主義の中で、世界で類をみない平和国家としての自負を持っているのです。他の国々で戦争があるときに「なんと後進的なことをしているのだ。」と見下げる態度を取るのは、その為です。

マスコミというのは、非常に恐ろしい凶器となります。最近も「松本サリン事件」についてのドラマを見ましたが、誰かに非難の矛先が向けば、ものすごい攻撃をマスコミを通して一般人らは行います。

「国家主義は恐ろしい」ということを人々は言いますが、私はそれ以上に「大衆主義」の恐ろしさを感じます。今は媒体に、テレビとインターネットが加えられ、その勢いはさらに増しています。

これが「世の流れ」としてあり、キリスト者を迫害する潜在的な要因となっていますが、美濃ミッション事件において、迫害の一端を担っていたのが他ならぬキリスト教会であったという、恐ろしい事実があるのです。

(「何を予期すべきか? 4」に続く)

「何を予期すべきか? 3」への2件のフィードバック

コメントは停止中です。