3)- c) 今を見て
在米の日系の方で、私たちと親交の仲にある姉妹の方がいます。かなり前に米国に移住し、そしてある時、イスラエル旅行を通して救いの確信に至り、それ以来、日本人の霊の救いのために、またイスラエルのために祈る熱心な人となりました。
彼女が久しぶりに日本に帰ってきた時、東京の街中で、イラク戦争募金をお願いしている人が立っているのを見たので(おそらく統一協会の人でしょう)、彼女は熱くイラク戦争の正当性を語り始めました。それを見た弟さんが、「お姉さん、何をやっているんだよ!」と言って、手を引っ張ってその場から引き離した、とのことです。私は、「私も彼だったら、同じことしていると思います。」と答えました。
おそらくそのままにしていたら、暴力傷害沙汰になっていたかもしれません。それほど当時、イラク戦争を支持することを公にすれば、身の危険を感じるほどの反米感情が日本にはあったからです。
これは政治的な事だから信仰とは関係がないと片付けることはできません。なぜなら、マスコミは米国におけるイラク戦争支持は、キリスト教右派の福音主義の支援によるものと宣伝(煽動?)していたからです。
そして福音主義が何かについて議論がありました。「聖書を文字通り信じ・・・」という文句も覚えています。イラク戦争を契機に、「イエス・キリストの福音こそ人を救う力がある。」と信じる者たちへの圧迫が始まったのです。
そして、イスラエルやユダヤ人に対する陰謀的な話も流布しました。聖書預言を信じ、キリストの再臨を固く信じる人々は、インターネットや新聞上で、イスラエルを支援するアメリカの福音派と一括りにして批判の的になったのです。
この議論がキリスト教会の中でも展開されました。クリスチャンと呼ばれる人々が、到底クリスチャンとは呼べない汚い言葉を使って責め立てます。そして指導的な立場にいる人までがそれを後押しします。
私の知り合いの牧師さんは、礼拝中に暴言を吐く人が現れたとのこと。彼の親イスラエル的な立場の為でした。
私も個人伝道をしている時、また兄弟姉妹の相談を受けていた時に苦労しました。「ブッシュはクリスチャンなのに、なんで戦争するの?」という質問が必ず出てくるからです。ブッシュ大統領ではなく、イエス・キリストについて話したかったのに、そこで話が途切れてしまうのです。
このように、アメリカが戦争を行なっていた時のかつての日本と、今が重なり合うのです。
米国のキリスト教会の反応も同じでした。私が、当時のブッシュ大統領が明治神宮参拝をした時、私は必死になって、米国のクリスチャンにそれを止めさせるよう嘆願のメールを出してほしいとお願いしました。ところが、彼らの多くは無関心で、逆に批判する人もいました。そしてあるキリスト教系ニュース・サイトは「神道は宗教ではなく日本の伝統であるという意見もある」などという、戦前と変わらない論評まで出していました!
在日の米国宣教師もほぼ同じ態度でした。日本のキリスト教会の精神構造が変わっていないだけでなく、米国キリスト教会も変わっていないのです。
以上が、私はこの薄い「何を予期すべきか?」の冊子を読むと、魂が動かされる所以です。あまりにも身近で、個人的な問題を、一つの教会のグループに起こった事件の中に見てしまうからです。
まあ、だからとって今しなければならないことは何も変わりません。主にあって忠実に働き、福音を言い広めるのに専念することですから。:)
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