前記事「アスラン王と魔法の島」の続きです。
さっそく、上映開始日である今日、朝一で当映画を観に行きました!
第一章は神の壮大な救いのご計画を一望する内容、第二章は、神がキリストにあって行なってくださった御業を、現実の過酷な状況の中でも信じ続ける教訓がテーマでしたが、第三章は一言
です。詳しい内容は「オフィシャルサイト」の作品紹介にある「あらすじ」を見てください。また、小説の第3巻「朝びらき丸東の海へ」の解説そして、英語のできる方はWikipediaのあらすじへどうぞ。
ナルニア国は多くの領域を征服し、平定を確立しつつありました。けれども、七人の貴族を探すため、また七つの剣を探して、くらやみ島から出てくる「邪悪な霧」を打ち消すべく、カスピアン王子、エドマンド、ルーシー、そして二人の従兄弟であるユースチス、またナルニア住民の船員たちが航海します。
この邪悪な霧の背後に働いているものが、まさに悪魔の誘惑であり、今度はルーシーも含め、それぞれの心の中にある闇との闘いが始まりました。
もう一つの物語が、この主題と共に織り込まれています。彼らが向かっている東方には、創造主アスランの国のある島があります。第二弾で出てきたねずみのリーピチープは、この島に想いをはせています。そこはまさに、天の御国であり、主の御座のある所です。ナルニアが地上に確立される神の国(黙示20章)であるならば、アスランの島は神の御座のある「天」そのものであり、新しいエルサレムです(黙示21-22章)。
私がまず興味を持ったのは、ルーシーに対する誘惑です。彼女は純粋な信仰の持ち主であるはずなのに、思春期を迎えている彼女は、姉のスーザンにあこがれ、彼女のように美しくなりたいと願います。それが仇となり、夢の中でスーザンになったルーシーは、アメリカでピーターとエドマンドと正装して肩を並べて歩いているのですが、「ルーシーは誰?」「ナルニアって?」というピーターとエドマンドの言葉に恐れを感じ、我に返って目覚めました。自分の魂をあこがれの美に売り渡してしまったばかりに、自分自身を失い、そして恋い慕うナルニアまでも失うという恐怖を味わったのです。
そしてアスランがルーシーに現れ、「あなた自身にある召命と賜物を忘れてはいけない」という神の御言葉につながる内容の言葉を話します。
そしてエドマンドに対しては、彼は「兄ピーターの下にいる自分」「今はカスピアンの下にいる自分」に不満を覚えていたところを、隙を狙われます。なんと、第一弾でエドマンドを虜にした白い魔女が、その霧の中に何度も何度も現れるのです。そして「あなたを王にしてあげよう」と誘います。
現在自分が抱いている権力欲が、過去に犯した罪の痕跡の形をとって表れているのです。
そして従兄弟ユースチスは、まったく神に関わることは無関心、非常にひねくれて、不満だらけの子でしたが、金水島で財宝を貪ったために何と竜になってしまいます。けれどもそこで初めて、朝びらき丸の乗組員たちと心を一つにして協力し、一番仲の悪かったリープチープと最も仲良くなります。
罪によって懲らしめを受けるが、その訓練によってかけがえのない価値観を見出す、という教訓を与えてくれます。
そして、私が涙が出そうになったのは、最後の、アスランの島で海の波の壁が立っているところです。そこを越えるとアスランの国になります。けれども、一度入れば戻ってくることができません。カスピアンはそこに父のいることを知って行きたくなりましたが、ナルニア国の王として果たすべき任務があるとしてその願いをこらえました。
けれども、リープチープはこのために航行してきたのです。彼は小さな舟に乗り、オールを漕いで、その波を越えていきました。私も、魂の奥底に、錨のように垂れ下がっている希望は、天そのものなのだということを強く感じました。神ご自身にまみえたい、天に入りたい、その言葉に言い尽くすことのできない栄えによって我を忘れたい、という熱烈な思いがあります。
けれども同時に、カスピアンのように、この地で果たさなければいけない務めがあります。「私は、その二つのものの間に板ばさみとなっています。私の願いは、世を去ってキリストとともにいることです。実はそのほうが、はるかにまさっています。しかし、この肉体にとどまることが、あなたがたのためには、もっと必要です。(ピリピ1:23-24)」
最後にアスランは、エドマンドとルーシーにもうナルニアには戻ってこられないことを告げました。けれども、人間の世界からでも、ナルニアを介さずにアスランの国に行く道があることを言及しました。
これは、地上にいる私たちに、キリストが天から戻ってきてくださる事を暗示し、また、今ここにいる自分がイエス・キリストに出会い、父なる神と共にいることを教えています。
わあ、何という深い神の知恵と経綸に根ざした物語でしょうか!!DVD化されたら、さらに何度も観たいと思います。