私たちが大地震を経験した先週の金曜日に、イスラエルを激しく怒らせた一つの事件が起こりました。
Fogel family identified as victims of Itamar terror attack
(フォゲル家が、イタマルのテロ攻撃被害者であることが判明)
パレスチナ人が、夜に、子供を含めて五人をずたずたに切り裂き逃走しました。
イタマルとはサマリヤ山地にあるユダヤ人入植地で、ナブルス近郊にあります。私が2010年のイスラエル・ヨルダン旅行でご紹介したように、5月末に私はヘブロンとナブルスの旅行を決行しました。インターネットの情報とは裏腹に、検問所は非常に緩く、むろん不便は強いられていますが、パレスチナの人々も平穏で、笑顔が出ていました。そして議長府のあるラマラは、繁栄しているように見えました。
その後、イスラエルのネタニヤフ首相は訪米し、ぎくしゃくしていたイスラエル・米国関係の親善アピールをしていました。彼が、「私はいつでもパレスチナとの交渉の席に着く用意をしている。ラマラは道が混雑していなければ、エルサレムから10分以内で着くところだ。なのに一度もアッバス議長に会えていないのは実に残念だ。私が首相になってから、検問所は緩くし、パレスチナの経済支援を行なってきた。」という内容を話していました。それは、私が実際経験したことだったので、まったくその通りだと思っていたのです。
私も怒りが込みあがってきます。常にパレスチナ人がイスラエルから虐げられているされているという非難を世間はしていますが、イスラエル人も自治区を通ることができず、非常に不便していることを伝えていないこと。そして、イスラエルはいつでも、テロさえなければ検問所を次の日でも無くし、またパレスチナが経済的に繁栄することを全面的に支援していることなどは報道されていないからです。私は、アッバス議長が、アラブ連盟に対して依然と対イスラエル闘争路線を言及しているのを聞いて、その破壊的、憎悪的姿勢に唖然となりました。
そして、今回の事件です。ネタニヤフ氏は、「入植地に家を一つ建設すると、何カ国かは即座に非難するのに、幼子が残虐な死を遂げたのに、それらの国は何ら反応していない。」全くその通りです、この明らかな悪意に満ちた二重基準は、以前、このブログでご紹介した「ケース・フォー・イスラエル」でも説明されています。
今は日本の大地震で、この事件は完全に葬られていますが(おそらく平時でも葬られていたことでしょう)、イスラエルが再び強硬な姿勢でパレスチナに臨むだろう部分だけが取りざたにされ、再びイスラエルは非難を受けることでしょう。
「見よ。わたしはエルサレムを、その回りのすべての国々の民をよろめかす杯とする。(ゼカリヤ14:2)」
私たちは、今も地震の揺れでよろめいていますが(イザヤ24:19-20参照)、反イスラエルの姿勢によっても神からの酔いの杯を受け取るのです。
参照サイト:
Wikipedia “Itamar killings”
フォゲル家の惨殺写真(かなり残虐です、心の用意のない方は絶対に観ないでください。)