仙台から戻ってきました 4月18-20日②

月曜日 (4月18日)

救援部隊は一度所沢に集まり、午後4時ごろ出発しました。避難所の責任者の千葉さんは、救援物資はもう必要ないし、また清正のグループがすでに、仙台のサマリタン・パースから手押し車やシャベルをそこに置いていっていたので、私たちは食事を出す材料と子供用具を車二台に入れて出発しました。

所沢から現地まで、混雑にはまることもなくスムーズに来ることができました。松島の大松荘に午後9時半頃到着しました。規模は小さい旅館ですが、満室状態でした。駐車場も満車です。救援車両のような気がします。医療チーム、建築会社など、援助団体がここやこの一帯のホテルに泊まっていることを知りました。お風呂に入って、就寝。明日は早朝出発です。

5時に、朝食の調達で外に出ました。夜に到着していたので、ここの景色が分かりませんでしたが、海岸に非常に近くて、日本三景の松島湾がすぐそこでした。その岩の小さな島と松の生えている姿は、すごく美しかったです。

コンビニでおにぎり等を買って、6時半のデボーションに戻ってきました。列王記第二4章から分かち合いました。エリシャがシュネムの女と時間を過ごしました、関係づくりのために。そして大変なことが起こりました。ゲハジが彼女に大丈夫かと聞いたら、すぐに大丈夫だと答えました。実際はそうでなかったのに。なぜでしょう?彼女はエリシャとの信頼関係があったからです。彼女はエリシャのほうに行きました。息子が死んでしまった、というあの話です。

エリシャは祈りました。そしてその子の上に載りました。口と口、目と目、手と手を合わせて。彼は等身大で接したのです。ここにも「関係」の法則が見えます。神が奇跡を行なわれました。新しい命です。これこそ私たちが願っていることです。ここにある緊急時であっても、所沢であっても、どこでも、人々のそばにいてあげる、ということです。私たちが彼らの生活の一部になる時に、主が事を行なわれます。もちろん、私の言葉や行動によって、人々が救われればと願います。けれども神のみがお救いになります。私たちはその御業の中に入り、栄光が神に帰すことを願っています。デボーションは賛美もとても良かったです。交わりも良かったです。良い一日の始まりを切ることができました。

7時半ごろに出発しました。沖縄チームは今回が初めてなので、石巻を見せに行きました。正直なところ、災害地を少し見ていると無感覚になってくる変な気持ちがします。すべてが同じように見えてくるのです。初めのショックや感情はまだ残っているのですが、少し離れてしまったような気がするのです。ニュースで何度も何度も見ていると経験するようなものです。もちろん祈ってあげる必要があります。

15分しか石巻にはとどまらず、東松島牛網の避難所に引き返してきました。9時頃に到着し、千葉さんが迎えてくれました。子供たちは私たちの名前まで覚えています。そして他の人々にも挨拶しました。

千葉さんは、昼食より夕食がいいだろうとのことで、私たちはおしゃべりで時間を過ごしました。10時ごろに20人の子供たちが集まってきて、先生がそこで教えるためにやってきました。雨が降ってきたので、そこで私たちも時間を過ごしていました。

10-15分後に雨がやみ、千葉さんは私たちのうち5人を招集して、軍手、シェベル、手押し車をもって、千葉さんの家の清掃をするため歩いていきました。彼は他の人の手助けで精一杯で、自分自身のお世話をする暇がなかったのです。家の中はめちゃくちゃでした。ごみ、家具、真っ黒な塩分の含む泥を取り出していきました。津波が押し寄せた痕が残っていましたが、2メートル弱まで浸かったようです。

時間はすぐに過ぎて昼食になりました。私たちはお店にいって何かを買うつもりだったのですが、千葉さんが、ここにあるものを食べなさいとのことでした。ご飯、味噌汁、こんぶ、そしてにんにくの漬物です。避難所の方々の食べ物を食べてしまうのにためらいましたが、でもとても感謝でした。私たちが清掃をしている時は、ジョアナとたかこさんと、たりやさん、そしてアレックスが、子供たちが勉強が終わった後にいっしょに遊んであげました。

お昼は子供たちと遊んでいました。沖縄の人たちが自分たちの用意していた工作を作りました。でももう夕食の準備の時間です。雨がまた降ってきたので、バーベキューではなく、自衛隊の人たちと千葉さんが、巨大な、ガス付き鍋を貸してくれました。すごいいいです!26キロの鶏肉をつっこみ料理を始めました。今夜のメニューは、「醤油チキン、ソーセージ、トストグリーン、そしてご飯です。デザートに、アイスクリームも後でお店に行って買って来ました。

山東さんは、台所のチームを指揮しました。彼はプロです。牧師になる前に10年料理人をしていました。その手さばきは強烈です。キャベツを機械にかけたように切っていきます。台所に私が立ち寄ってみると、鉄腕シェフがここにいるとみなが言いました。料理番組みたいになりました。

夕食を出せるようになりました。雨が降っていたので室内での食事です。自衛隊の人たちも来ました。みんなが食べている時に、私はギターとカホンを手に取って演奏しはじめました。何人かが、ハワイの音楽やフラを願ってきました。私は、自分がフラを踊ったら、また地震が起こるぞ!と冗談を言いました。それで、たりやさんにお願いしたのです。彼女は沖縄出身ですが、お母さんがハワイから来た人でフラの先生です。でも、たりやさんがフラが嫌いだったのは知りませんでした。ヒップホップのほうがお好きなようです。けれども、彼女はなんとかOKしてくれました。

たりやさんは、知っているのは「真珠のような貝」という歌だけだと言いました。よく踊ってくださいました。そして私は、ずっと昔はフラは男だけで踊られていたのだと説明して、リッチに助けを求めました。部屋全体が、「リッチ!リッチ!リッチ!」と掛け声をかけるので、彼は出てきました。そして女の人たちの一人も出てきました。そして自衛隊の6人が出てきて、いっしょに踊りました。まさに真珠のような貝です。なんという光景でしょうか。部屋は大爆笑に包まれました。

千葉さんは後で、これがこの旅のハイライトだったと教えてくれました。ものすごく大笑いされていました。私たちにとっては当たり前に行なっていることなのですが、このような喜びをもたらすように主がしてくださり、大変光栄です。動画はたくさん撮られたと思いますので、掲載したいと思います。自衛隊の人たちには、君たちユーチューブで有名になるよと冗談を言いました。

午後8時にホテルに戻り、次の日に備えました。