先日「カルバリー・チャペルの特徴」をご紹介しましたが、次の本も牧者チャック・スミスによるものです。
「なぜ恵みはすべてを変えるのか」
(クリックすると、日本語訳がpdfファイルで出てきます)
「神の恵み」という言葉は、教会にいる者でしたら何度も聞き、古臭ささえ感じるものです。けれども、これをやはり本当の意味で知っていない、ということをこの本を読むと気づかされます。
一昨日の夜、礼拝で伝道者の人が、「罪を犯すと死にます。あなたは本当に自分が、死ななければいけない罪人であることを認めていますか。」と説教されました。そして、「このことが分からなければ恵みが分からないし、恵みが分からなければ献身することも分かりません。」と言われました。
私は、ガラテヤ6:14の「主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。」と思い出しました。パウロにとって、毎日が、自分の罪のために十字架に架けられているキリストが実体となって迫っていたのでしょう。伝道者の方も、「ローマ6:23の、『罪から来る報酬は死です』というのは教理ではなく、彼の信仰の表明なのです。」と言われていました。
そして昨夜、ロゴス・ミニストリーのメールアカウントに、ローマ6章を聞いておられる方からの便りがありました。これまで律法主義的な聖書理解をしていた。神の恵みがだんだん分かってきた、というご感想を述べておられました。
そこは私自身が話し教えた箇所でありますが、では私自身がそれをいつも体得しているか?・・・これがいつも神様に語られる言葉なのですが・・・キリストの十字架の前に立っている自分であり続けなければいけないことを思わされます。