私たちとリッチのチームは、湯治宿でいっしょに朝のデボーションを持ちました。それから牛網に戻りました。それぞれが分担を持って、ある人は昨日の家の清掃の続き、ある人はマッサージ、それから瀬谷さんはデザインのある習字(Tシャツ用)を教えました。キャンディスはフラのレッスンを施しました。
そして前日から私たち数人に、千葉さんが「畑に種を植えよう」という話を持ちかけていました。私たちは何かお手伝いをしたいと思っていましたが、いったいどういう意図を持って、という疑問を少し持ちながらいっしょに自転車に乗って行きました。
わかってきたのは、千葉さん宅の隣にある千葉さん所有の小さな畑地を野菜の庭園にしようというアイデアです。私たちがここで蒔いた種が実を結んだらぜひ食べてください、とのことでした。そして津波によって運ばれてきた砂まみれになっているこの畑から実が出ることを願って、「被災地からの豊かな実」という象徴的意味も含まれていたようです!千葉さんはまだ信仰者ではないのに、何と言う発想をするのでしょうか!本当に救われてほしいと願います。
彼の小さなトラクターで耕し、それから肥料を加え、種を蒔きました。とうもろこしと枝豆です。そしてすいかの苗も植えました。そして千葉さんは私に、「砂をこの袋に入れて」といわれて大きな袋に津波で運ばれてきた砂を入れました。そして肥料もそれに加えて混ぜて、避難所に運んでいきます。
そして用意していたのは、石巻の瓦礫から拾ってきた酒樽です。そこに先ほどの砂を入れて、そしてトマトを栽培しようとのことです!
お昼は再びリッチがバーベキューを用意しました。自衛隊の部隊の人は新しく来たばっかりで、私たちが炊き出しをする時には人がたくさん来ることを計算に入れていなかったようで、少しご飯が足りなくなってしまいました。
私は途中で木村さんに、石巻の知り合いの人に会いたいからいっしょに来てくれないかと頼まれました。二人の人がこの牛網の避難所まで来てくださいましたが、なんとその一人が千葉さんと釣り仲間だそうです。世間は狭いです。
そうして私たちは1時半に現地を出発しました。三陸道、仙台東部道、仙台南部道は空いていましたが、東北道に入ると、これまで見たことのない渋滞でした。ニュースにも載っていましたが40キロだったということ。私たちの教会の三人はかろうじて終電に間に合いましたが、私たちが家に到着したのは次の日の12時半です。いつもなら5時間そこそこの移動時間が11時間になってしまいました。今後の平日での旅が、とても楽に感じることになるでしょう。
お三人はいつも笑いを絶やさず、喜んで主に仕えておられました。そして新しい友達トレバーはとってもいい人です。そして何よりも、木村さんと植田さんはご自身が被災者なのに、不平も漏らさずに、一緒に救援活動に携わってくださったことに、とても感動しています。どうかお二人のためにお祈りください。これからもずっと生活がどうなるかわからない状態が続きます。そして何よりも、キリストにある希望と救いを知ることができるようお祈りください。
今、御心なら再び似たような旅程で五月中旬に行くことを考えています。お祈りください。
主に感謝。