原発危機と日本

昨日、午後の第二礼拝の後、その疲れを取るようにチェンネルサーフィンをしていたところ、次の番組に釘づけになりました。

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NHKスペシャル シリーズ 原発危機 第1回 事故はなぜ深刻化したのか

いまだに危機的な状況が続き予断を許さない原発事故。当初の想定を超え、水素爆発やメルトダウンなどが進行し、後手後手の対応の中で、汚染は拡大していった。
なぜ、ここまで事故は深刻化したのか。事故対応にあたった官邸、保安院、原子力安全委員会、そして東京電力はどう動いたのか。
当事者たちの証言と内部資料をもとに徹底検証する。
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非常に衝撃的な内容でした。先日の記事「政府や東電を信用するな?」に書きましたが、私は、「いわゆる意図的な隠蔽工作はしていないだろうが、それぞれが目の前にある問題に対処するのに精いっぱいで、全体像を見ていないために、その実直さが裏目に出たのだろう」と思っていましたが、まさにその通り、いやそれ以上でした。

詳しいことはぜひこの番組を見ていただきたいのですが、再放送が「6月13日(月)午前1時30分~2時28分 総合 (12日深夜) ※近畿ブロックは午前1時43分~2時41分)」にあります。

情報の錯乱と連絡系統の破綻

東電は、予備電源不能、ベントなど「もうこれで終わりだ」という絶望に近い声を上げ、保安院そして官邸までの連携が取れず、官邸では各党の党首と会う菅首相が会っているので待っている状態。原子力委員会は「水素爆発は起こらない」と判断したこと。あまりにも情報が官邸に上がってこず、官邸と保安院と原子力委員会の連携が破綻したため、菅首相は有識者らの集まりを別に設定、そこで「二号機も爆発する」と言った人がいたにも関わらず、それが知らされず自衛隊が出動し、ちょうど到着して車両のドアを開けた時爆発し、自衛隊員が被爆したこと、避難民への指示も「マスクを口に当てて」ということしか言っておらず、そして風向きの情報が官邸にあったにもかかわらず、その指示を出さず風向きに避難してしまったなど・・・情報錯乱と混乱の連続の姿を見ることができました。

けれども同時に、分刻みの記録は東電も保安院も克明に記しています。官邸も、届いた情報に基づき、国権で全力挙げて東電を手助けしている様子も伺え、菅首相も与えられた情報と混乱収拾のために、常識ある行動をしていたことも見ることができます。

しかし、「不確かな情報を流すことはできない(官邸)」「官邸はどう見ているのだろう(保安院)」など、慎重さと相手への配慮(?)が大きな仇となりました。また、東電の現場を指揮する吉田所長は下請けの作業員に被害を負わせてはいけないと判断し「撤退」と言った言葉が、東電社員は残っているにも関わらず、官邸の首相を激昂させ、東電本社に乗り込み、「撤退は絶対に許されない」という怒号を上げたことなど、それぞれが真剣であるがゆえに、その混乱も拡大されていった様子も伺うこともできます。

問題は現政府にあるのではない

ところで、私はちなみに、原発推進論者でないことを前もって言っておきます。けれども、「想定外という東電の言い分は間違っている」というのは、はたしてその通りなのでしょうか?反原発の人たちは、今回の未曾有の津波を想定したのでしょうか?けれども、核分裂というとてつもない危険な作業をしている発電所は、あらゆるシナリオを想定しなければならず、千年に一度と言われる地震が完全に予想できなかったわけではないことも踏まえると当然責任はあり、このような混乱をもたらした危機管理の不備は菅政権にその責任を問われてしかるべきだと思います。

しかし菅首相を退陣させることによって、問題は解決するのでしょうか?菅直人という個人の判断ミスというよりも、むしろその危機体制を整備していないことこそが問題であり、今後誰が首相の座に就こうとも、全く同じ問題が起こると思っています。これは、小泉政権以後、次々と首相が変わる日本全体がおかしくなっていることにも関わっています。

私がいつも思い出すのは、アッシリヤによって滅びる前の北イスラエルの後期の姿です。新たに王が立てられるや、その家臣が引きずりおろし、自らが王となり、それが繰り返されてころころ変わっていく姿です。

「彼の侍従、レマルヤの子ペカは、彼に対して謀反を企て、サマリヤの王宮の高殿で、ペカフヤとアルゴブとアルエとを打ち殺した。ペカには五十人のギルアデ人が加わっていた。ペカは彼を殺し、彼に代わって王となった。(2列王記15:25)」
「そのとき、エラの子ホセアは、レマルヤの子ペカに対して謀反を企て、彼を打って、彼を殺し、ウジヤの子ヨタムの第二十年に、彼に代わって王となった。(同30節)」

北イスラエルは、「主の目の前に悪を行った」という根っこの問題があったために、王を摩り替えてもアッシリヤに滅ぼされたと同じように、日本にも現政権よりももっと深い、根っこにある問題があるように思われます。

太平洋戦争の教訓

私は東電・保安部・官邸にある意思決定のありさまを見るにつけ、太平洋戦争を決定せしめた指導部の意思決定を思い出しました。同じくNHKスペシャルがかつて、「日本人はなぜ戦争へと向かったのか」というシリーズで、「第4回 開戦・リーダーたちの迷走」という題名で取材をしています。

日本の国策決定の場は、全ての組織の代表者が対等な権限を持つ集団指導体制で、全会一致が建前。常に、曖昧で、玉虫色の決定が繰り返された。各組織のリーダーたちは、戦争に勝ち目がないことを知りつつも、戦争できないと言うことが自らの組織に不利益を与えると考え、言い出すことができない。海軍、企画院、陸軍、首相、それぞれが互いに責任を押しつけ合い、重大案件は先送りとなっていく。しかし、日米交渉が暗礁に乗り上げ、妥結の見通しがみえない中、首脳部は、国力判断、すなわち国家の生産力・戦争遂行能力のデータを総動員して、譲歩か、戦争かの合議を行う。結論は、各組織の自壊を招く「戦争回避」より、3年間の時間を稼ぐことのできる「開戦」の方に運命を賭ける。
日本のリーダーたちは、国家の大局的な視野に立つことなく、組織利害の調整に終始し、最後まで勇気をもった決断を下すことはなかったのである。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110306.html

彼らは、冒険主義ではありませんでした。それぞれの組織の中で誠実であり、むしろ慎重な姿勢を貫きました。しかし、だれもが「責任」いいかえると「指導権」を取ることを避けました。そして、彼らが最も気にしていたのは、実は「国民」でした。「戦争できないということが自らの組織に不利益を与えると考え、言い出すことができない。」がそれです。

これは第4回ですが、第3回には、「”熱狂”はこうして作られた」という題で、こう要約しています。

日本が戦争へと突き進む中で、新聞やラジオはどのような役割を果たしたのか。新聞記者やメディア対策にあたった軍幹部が戦後、開戦に至る時代を振り返った大量の肉声テープが残されていた。そこには、世界大恐慌で部数を減らした新聞が満州事変で拡販競争に転じた実態、次第に紙面を軍の主張に沿うように合わせていく社内の空気、紙面やラジオに影響されてナショナリズムに熱狂していく庶民、そして庶民の支持を得ようと自らの言動を縛られていく政府・軍の幹部たちの様子が赤裸々に語られていた。
時には政府や軍以上に対外強硬論に染まり、戦争への道を進む主役の一つとなった日本を覆った“空気”の正体とは何だったのだろうか。日本人はなぜ戦争へと向かったのか、の大きな要素と言われてきたメディアと庶民の知られざる側面を、新たな研究と新資料に基づいて探っていく。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/110227.html

実はファシズムと言われていた戦時中の日本と今の日本は同じであり、指導層は、マスコミによって煽られた人々の空気に縛られていました。小泉以後の自民党政権にしろ、現民主党政権にしろ、いや日本だけでなく、実はブッシュ大統領以後の米国の政権にも見ます。

要は、「相手が気になる」「全体を調整しなければいけない」という、実際は「リーダーシップの回避」という問題があります。「実直さ」「慎重さ」によってさらに増幅されて、制御できない原子炉のように全体がどんでもない方向に突入していくのです。

大局のない人々

とどのつまり、これは私たち一人一人の課題です。それは大局から計画し行動する、ということです。政府や東電を批判する前に、私自身それができているのか?と思うことがあります。

今回、被災地に行き、特に初動段階では、リーダーシップの必要性を切実に思いました。先がどうなっているのか情報が入ってきません。ですから、常識で考えたらすべてが「やらないほうがいい」ということになります。けれども、祈りつつ、「これではないか」と感じることを次々と自分で判断して、決定して行わなければいけません。それを行なうと、自分がもっとそのことに時間と労力を費やさないといけません。その過程で、批判や誤解が生じても、勇気をもって行動に移す時に、事が進んでいきました。

それを別の言い方をすると、「御霊に導かれる」ことです。御霊に導かれるときには、相手がどう思うかとか、全体の調整を見て判断することはできず、ただ自分の意志を独りで働かせることしかできません。指導者とは、つまり全体に与えられている姿を見て、信仰者であれば神から示された幻として受け止めて、それに信仰をもって反応し、行動に移すことです。「この人はどう思うだろうか。」「これをやったら、自分が労苦しなければいけない」などの懸念を振り払って行っていきます。

以前、「ロゴス・ミニストリーと日本の教会」という論考を書かせていただきましたが、そこに「内から外へ向く御力」という部分がありますが、神が与えてくださるのは大局なのです。そして小さな事柄は、その大局に付いてくるものです。小事を調整するあまり、大きな方向性が誤ったところに向いていることに気づかないのです。

私の住んでいるマンションの総会に妻が参加しましたが、ほとんどの人が発言を控えていました。一人だけが延々と話していたとのことです。けれども、これが太平洋戦争前の日本の縮図であり、原発事故の危機管理の縮図でもあります。「どうしようもないな菅政権」と人差し指を差している時、三本の指は自分自身に向いているのです。リーダーシップを取ろうとしない姿、全体の和を崩したくない姿、自分の生活を乱したくない姿、すべてを静かに丸く収めようとする姿、それゆえ何が実際に起こっているのか真相をつかめない姿、けれども、文句だけは人一倍言っている姿です。