昨日、紹介した「ハマスの息子」の著者モサブ・ハッサン・ユーセフ氏ですが、つい最近、似たような背景を持っているワリド・シューバト氏から非難を受けて、大きな痛みを受けています。
SON OF HAMASのブログ
(May 11,2011の”The Walid Shoebat Article”まで下がってから順にお読みください。)
ワリド・シューバト(Walid Shoebat)氏はかつてPLOテロリストでしたが、アメリカに移住後、信仰を持ちました。彼はイエス・キリストの救いに預かっただけでなく、ユダヤ人とイスラエルに対する愛も与えられ、パレスチナ人であるにも関わらず、イスラエルに対する強い支持と主張をしています。
私は彼の著書を読んだことがないのですが、ワリドさんからは欧米という安全圏にいる言っても、危害や迫害などの恐れも顧みず、はっきりと自分の信仰や主張を述べているところに、頼もしさを感じます。そして私はモサブさんからは、何と言っても、政治的主張よりもキリストの命令に従うこと、どんな人でも愛していくというキリスト者としての姿勢を学んでいます。
ワリド・シューベト氏が、モサブ・ハッサン・ユーセフ氏のアラブ・クリスチャンの衛星放送での発言に対して楯突いて、それから起こったやり取りが上のブログ記事に記されています。
実に悲しいことですが、同時に、キリスト者の間でしばしば起こることであり、聖書的な希望がある議論です。
パレスチナ人クリスチャンとは?
私は以前、パレスチナ人クリスチャンの証しをブラザー・アンドリュー著の”Light Force“を読んで知りました。パレスチナ人クリスチャンと言っても、アラブ系キリスト教の中にある歴史的・文化的にそうだと言っている人たちが大勢いるなかで、真にイエス・キリストを信じて、御霊の新生の体験をした福音的なクリスチャンたちがいる話です。ベツレヘムに、その人たちが始めた聖書学校があります。すばらしい証しですが、彼らの多くはパレスチナ人たちの政治的主張は捨てることはありません。イスラエルが先祖の土地に侵略し、今でも抑圧を続けているという立場です。
私はこの政治的主張に違和感を覚えます。ちょうど、日本の文脈に直してみると、原爆反対、イラク戦争反対など言っている左翼系の人がクリスチャンになったと言っても、その政治活動は依然と続けている、というイメージを持ちました。
けれども、福音的なパレスチナ人クリスチャンには希望があります。それは、「敵をも愛す」という強い動機です。彼らにはイスラエル人やユダヤ人に対する敵愾心がありません。政治的主張は変わっていないのですが、パレスチナ人が過激化して、過激派になったり、支持している暗澹とした状況の中で、その雰囲気が立ち込めているパレスチナ社会の中で、キリストの愛に突き動かされているのです。私は、イスラエル・パレスチナ紛争が解決するとしたら、政治的・外交的解決ではなく、真の霊的和解であると思っています。
私が2010年のイスラエル旅行にて、ベツレヘムを訪問した時のパレスチナ人のガイドさんが、先にふれた聖書学校を卒業した人で、彼からも同じスピリットを感じました。イスラエルへの敵愾心がないのです。最後に、「エルサレムの平和のために祈りましょう」と仰っていました。
そして、モサブさんの出演したアラブ人クリスチャンの衛星放送ですが、そこも政治的にならぬよう細心の注意を払っていると同時に、イスラム教の教えに対しては大胆に反駁し、キリストの福音を伝えている伝道師も出演するなど、福音宣教に重点を置いています。
真に聖書的になる
それに対して、ワリドさんの優れているところは、そうしたパレスチナ人クリスチャンが克服することのできていない、民族性や政治性をも聖書的立場から克服していることです。
彼は自らを「パレスチナ人」と呼ぶことさえ嫌っています。「私はユダヤ地方出身のアラブ人だ」と言い直しています。私はこの発言を聞いてほっとします。非常に聖書的だからです。「パレスチナ」という言葉そのものが、近代アラブ民族主義に基づく政治的主張を含んでいるからです。(ちょうど韓国の人が北朝鮮を「北韓」と呼び、北朝鮮の人は「南朝鮮」と呼びますが、名称だけで政治性を帯びています。NHKは政治的中立を保つために「ハングル講座」と名付けいます。)
モサブさんは政治的になりたくないと言っていますが、私たちは政治や周辺社会から完全に抜け出せるものではありません。そして、聖書的に、神学的に純正になりたければ、やはり「神はユダヤ人にあの土地を与え、そこは「イスラエル」と呼ぶ。」という見地に立たないといけないのです。当のイスラエル人がたとえ悪いことをしていたとしても、神は一時的に彼らを退けこそすれ、彼らを見捨てることは決してなさいません。
そして、イスラエルの地も「地中海からヨルダン川まで」、さらに「ユーフラテスからエジプトの川まで」というのが、神が定められた境界線です。ガザ地区や西岸はすっぽりイスラエルの地として神は与えておられます。シナイ半島の一部と、レバノンとシリアの大半も含まれています。これを「大イスラエル主義」と呼ばれ政治右翼にされるのですが、そうではなく、事実聖書に書かれているのです。
問題は、それが実現される方法です。それが人の手によるものなのか、純粋に神がもたらされるものなのか?の違いが出てきます。人の手であっても、その背後に神がおられるという見方もあります。私は、「今のイスラエルは、主イエス・キリストが再臨される前の、エゼキエルが預言された前段階の状態」だと見ています。主が戻られるには、そこにイスラエルの国とエルサレムがなければいけません。主が戻られるには、そこに御霊の新生を受ける前のユダヤ人がいなければいけません。それにまさに現代イスラエルが当てはまるのです。
方法論の差異
私は、今回起こってしまっている悲しいことは、「方法論」の違いに拠るものだと思っています。私は、モサブ氏が極めてパレスチナ寄りに聞こえるような発言に深く同情しています。彼の初めの応答の記事によれば、「パレスチナ人がイスラエル当局に通報すれば、命そのものが危うくなる。」という切迫した状況の中で、「自分はそれを行ったけれども、一般の、しかも新しく信じたばかりのアラブ人クリスチャンの質問者に、そんなことを強いることはできない。」という思いから、「パレスチナ当局に通報すればいいです。」と案じていったこということが言っています。
パレスチナやアラブ圏で宣教をしているその言葉を、西洋という安全圏から「彼がパレスチナの闘争イデオロギーを捨てていない」というワリドさんの発言はあまりにも酷です。大胆になるのは、あくまでもその人の自由意志であり、信仰の量りによるのです。「安全」であるとか、そういったものの要素が多分に含まれているのです。信仰や表現の自由が制限されているところで行っている宣教をそのような形で断じてはいけません。
けれどもワリド氏のように、原則論を話す人も絶対に必要なのです。要はここで起こってしまったのは、「方法論の違い」なのです。
パウロとバルナバの確執
そこで私が思い出したのは、使徒の働き15章36節から始まる、パウロとバルナバの確執です。
幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。(使徒15:36-41)
同じ主の働き人で、しかも同じように異邦人に対する宣教において一致し、同労者であった者通しがこのような激しい反目になってまい、残念なことでした。ここで私は原因と、そこから生まれる善を考えてみたいと思います。
原因は、その直前の出来事です。15章にはエルサレムにおける会議があります。アンティオケの教会にユダヤ主義者が来ました。「モーセの律法にしたがって割礼を受けなければ、救われない。」と言った者たちが来たのです。それで激しい対立が起き、その問題をエルサレムの教会に持っていったのです。そこでは、パウロとバルナバは一緒です。「そしてパウロやバルナバと彼らとの間に激しい対立と論争が生じたので、パウロとバルナバと、その仲間のうちの幾人かが、この問題について使徒たちや長老たちと話し合うために、エルサレムに上ることになった。(2節)」
その緊張が主の憐れみと聖霊の導きによって一気に解決しました。教会に一致があり、かつ主の恵みによる救いという真理が固辞されたからです。それは「福音真理の自由」という闘いでした。そしてその直後に反目が起こりました。その自由が反対もなく享受できる雰囲気になったところで、他の違いが見えてきたのです。マルコを一緒に連れて行くかどうかの方法論が見えてきたのです。
私たちは、「自由」のあるところには「肉の対立」という危険にいつも注意していなければいけません。自由が侵される懼れがあるところでは、対立という肉の働きは自ずと抑制されるのです。自由が与えられる時に、私たちは強い自制が必要になります。
民主主義圏では、表現の自由が許されていますが、それゆえに「言葉」が多くなります。神が働かれる領域に至るまで、言葉で解決しようとします。祈りによる御霊の一致と、神の主権的な働きを待たなければいけないのに、「言葉の表現」という自由が与えられているから、それを武器にして用いようとしてしまうのです。けれども、私たちは「愛」という鎖に縛られているのです。キリスト者の自由は、愛によって仕えるところに用いるのです。また、「言葉」よりも「行動」なのです。
対立から生まれる善
そして「対立から生まれる善」について話したいと思います。それは、パウロはヨーロッパ宣教をすることができ、バルナバは他のところで宣教することができ、福音を聞いた人々は倍増したことです。主がその反目をも用いられて、ご自分の働きを増やされました。
さらにすばらしいことに、パウロは後にマルコを受け入れています。彼は思いを変えたのです。このように「働きが増えた」という善と、さらに対立そのものも和解へと導くという神のすばらしい御業を聖書で読むことができます。
私は、ワリドさんとモサブさんの間でも、そのような御霊の働きが起こることを願ってやみません。そしてこれは私たち働き人の間でも現に起こっている問題であり、と同時に希望でもあります。同じように主を愛しています。同じような働きをしています。けれども、方法論が違います。その時に、私たちがどのように動けばよいのか、祈りと御言葉において奮闘しながら進んでいきたいものです。
(後記1)
英語の分かる方は次の記事をお読みください。互いに相手を偽者として非難してしまった口論ですが、両者の働きを評価し、かつ愛をもって勧めを行っている、ワリド氏の友人の記事です。「イスラム教のマーディ(メシヤ)が聖書の反キリストである」と主張している著者ジョエル・リチャードソンによるものです。
On the Shoebat-Yousef squabble
(後記2)
モサブ氏の友人、ジョエル・ローゼンバーグ氏も、特定の名前は言っていませんが、実にこの問題に当てはまる内容を話しています。ジョエル氏こそ、ヨエル3章2節にある神の御言葉「わたしの地を自分たちの間で分け取ったからだ」の警告を真剣に受け止め、現代の兆候を非常に案じている一人ですが、次の記事では多くの部分を、パレスチナ人クリスチャンの苦しみに敏感になり、愛を持って真理を語ることへの重要性を説いています。