遅れの報告ですが、私たちのところに8月22-25日、韓国にあるカルバリーチャペル天安(チョナン)の金インウォン牧師ご夫妻が来日され、23-24日に東松島市と石巻市に行ってきました。
インウォンさんとは長い付き合いで、以前、日本でカルバリーチャペルのカンファレンスに参加されたとき、私たちの家に泊まったこともあり、最近は今年一月末に私どもが来韓した時、お世話になりました。
月浜仮設住宅
今回は前回と同じように、宮戸島の月浜地区にある仮設住宅の木村さん宅をお借りして宿泊しました。そして東京で用意したキムチと、韓国から持ってきた団扇と高麗人参茶を用意して、そしてトラクトも用意し、その仮設住宅を一軒一軒廻り、挨拶しました。
大きな収穫は、そこの区長さんとじっくり月浜の状況をお話しできたことです。6月20-22日の旅行で月浜海岸を掃除したのですが、今回の台風などでまた汚くなっているとのこと。これを、数回に渡り掃除をすることによって、また、東日本の海岸地域の人たちが同じように掃除することによって、海にあるごみが全体的に減ることによってきれいになる、とか、貴重な情報をいただきました。
そして、月浜地区は民宿の密集地域でしたが、軽トラックが走ることのできるような網目状の道路があったけれども、それは他の地区にはないとのことです。何百年前に大火事によって集落が焼かれた時に、それを契機にして宅地整備をしたのではないかという推測をされていました。したがって、このような災害が、地域復興の根本的な改革をすることのできる契機として捉えていることなども教わりました。
さらに、仮設住宅には十畳ほどの談話室があり、水道もガスもあるので、そこで炊き出しができる可能性があること、またボランティアが宿泊もできるのでは、と提案してくださいました!仮設の人々とほとんど寝食をともにする奉仕で、これほどすばらしいことはありません。
世界的にも有名な建築家である妹島和代さんが、宮戸島全体の復興プランに携わっており、ちょうどその日が彼女のプランのプレゼンテーションとのことで、お誘いを受けました。言ってみると、NHKや河北新報、TBCなど地元のマスコミも集まっていました。
そしてそこで、月浜避難所の担当者の方にも再会できましたが、前のキムチがおいしかったのでぜひおみやげをもらいに行きたいとのこと!それで、私たちが泊まっているところまで来てくださり、初めて個人的に団欒の時を持つことができました。
今回は、最近、沖縄カルバリーチャペルでご奉仕されていた日系アメリカ人のロイ・トマさんが仙台に引っ越し、宣教拠点を移したのですが、彼が23日の夜、この仮設住宅に泊まり、いっしょに時間を過ごすことができました。そして次の日、石巻に連れて行っていただきました。
石巻渡波地区訪問
ロイさんは、コミッティド・リリーフという、米国側のカルバリーチャペルで、日本への救援活動を取りまとめている組織の中で奉仕されています。石巻には既に、カルバリーチャペル国分寺の牧師、桜井知主夫さんが取りまとめている「カルバリー東北リリーフ」が長いこと奉仕している渡波地区があります。そこにロイさんは連れて行ってくださり、これまで見慣れてきた東松島とは違う被災状況を眺めることができました。やはり大きな違いは、石巻は大きな都市だという事です。そのためか、東松島よりもまだまだ実際的な奉仕(泥出しや家屋の改修など)が必要であることを感じました。
そして、今建設中のカフェも見学しました。渡波地区の交通の多い通りに面しているので、これから良い働きができるのではないかと思います。
さらに、その日ちょうど、サマリタン・パ―スの人たちが渡波地区等で同じく救援活動をしているキリスト教会の人々を集めて、顔合わせと交わりをする会合を用意されていました。そこに少し顔を出し、そして私たちは、引き返して牛網地区に行きました。
牛網の仮設住宅へ
8月の初めに牛網の避難所でわずかに残っていた人々は、すぐ近くにある仮設住宅の完成を待っていました。大きな所帯も入居できる住宅なので、それを狙っていたわけです。それで、ようやく私たちが長いこと奉仕していた牛網学習等には、ちょうど私たちが尋ねた24日で最後の一人が出所され、誰一人もいなくなったそうです。
そこには、牛網地区の人たちの他に宮戸島の付け根にある野蒜地区の人々も入居しているそうで、その人たちはもっと大変なところを通られています。その被害状況の大きさは私たちが第一回目の救援旅行でも目撃しました。米軍や自衛隊がその救援のためにかなり関わったところです。
この仮設住宅にも、月浜のよりもさらに大きい談話室があり、使えそうです。ただ問題なのは、牛網の避難所にいた人々は、複数の仮設住宅にばらばらになったので、元の人たちにどのようにしてまた接することができるのか、ということです。それで、牛網の人は「続けて牛網学習等で活動されたら、いかがでしょう。」という提案をしてくださいました。そうすれば、仮設に移った人々もその日だけ元避難所を訪問できるし、また自宅に住んでいる近辺の人々も訪ねることができるのでは、とのこと。一案として考えてみたいと思っています。
そして私たちは東京に戻りました。
また、秋の季節のための継続的な救援活動のために祈っていきたいと思います。
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