次の日、早朝起きて仮設住宅をちょろっと廻ったら、区長の奥様がちょうど歩いて来られました。貸家物件の可能性についてです。月浜海岸は津波で家屋がほとんど土台ごと流されているのですが、岩の家に建てられた数軒が残っており、その一つが丘の斜面に建てられている使用されていない別荘があります。私たちが海岸の掃除などをしていたときに、よく残っていたなと関心していたものです。大家さんは他の所に住んでいるので、元所有者の現地の方が仮設におられるので、この日は外見だけを案内してくださいました。大家さん本人に連絡したところ、明日の早朝、来て内部を見せてくださるそうです。
そして次に私たちは、8月24日の旅行で一度訪れた、牛網の新しい仮設住宅に行きました。ところで、すでにカルバリー所沢のトラビスとカルバリー西東京の山東さんが十月中旬に、千葉さんなど他の人たちと共に彼らのところに訪問しています。
私たちは、仮設住宅に移った彼らに対して、従来の炊き出しではなく、個々人のお宅に訪問して時間を過ごそうという思いで一致していました。これによって今後何年間も切れることのない絆を結び、またキリストを伝えることができると考えたからです。
訪れた今泉さんのところには、十人ぐらいの避難所の仲間が訪問してくださり、久しぶりの再会を互いに喜びました。仮設住宅に住まずに、牛網の修理・改築を済ませた自宅に住んでいる方々もおられました。避難所生活から離れて、かえって一人ぼっちになって寂しいという人もおられました。
そして次に、第一回の救援旅行の時に涙を流してトラビスのピアノ演奏を聞いていた斎藤さん宅を訪問しました。その時以来、避難所のリーダーの千葉さんと共に仲良くさせてもらっています。ご夫妻の家は冠水のみで改築と清掃で住めるようになっています。8月10日頃、宜野湾のチームも宿泊でお世話になっています。
彼女は、旦那様もそうですが、ミッション系の学校出身など、かなり教会の人々に囲まれている生活を送っておられていたので、直接的に、私たちはクリスチャンになった証しをしたり、伝道も試みました。今泉さんもそうでしたが、チャックさんと由美さんが引っ越してくる話を聞いたら、非常に喜んでくださいました。
そして、そこに避難所のリーダーだった千葉さんがやってきてくださいました!本業は家屋の壁紙貼りだったのですが、震災後はものすごく忙しくなっています。珍しくその週はいつもの石巻ではなく牛網での作業だったので、途中で抜け出して斎藤さん宅まで来てくださったのです。
彼にもチャックさんと由美さんのアパート捜しを相談していましたが、知人の不動産屋に電話してみるから再び五時半に会おう、ということになりました。チャックさんと由美さんは、仙台港にある沖縄からの引越しの荷物の一時保管するコンテナを、仙台港のところで見つけたので、契約を結びに行き、私たち四人は他の用事を矢本で済ませていました。
そういえば、月浜避難所でお世話になった小野さんにも、4日の炊き出しにお誘いしていたのでいらっしゃらなかったので、一か八か電話してみたところ、その時、東松島で最も大きい「グリーンタウンやもと」の仮設住宅のご自宅におられるではありませんか。それで急遽、私たちはそこに訪問して、たまたまもう一人、月浜仮設住宅在住の若いお母さんもおられて、時間をじっくり過ごすことができました。
そして牛網に戻りました。結局、千葉さんとは再び斎藤さん宅で会うことになり、再び団欒の時を持つことができました。そして千葉さんの連絡先から、可能性のある格安の売家の話が浮上しました。
そして私たち全員は、月浜の仮設住宅の木村宅に戻りました。