ギルアド・シャリート兵士の解放

今、イスラエル間で大きな喜びとなっているのが、ギルアド・シャリート兵士の解放です。

イスラエルとハマスが捕虜交換

2006年6月、ガザとの境界線を警備中、地下道経由でパレスチナテロリストがイスラエルに侵入して軍拠点を襲撃したグループに拉致されました。イスラエル軍は直ちにガザ攻撃を開始しましたが、シャリート氏の解放は実現しませんでした。その後、水面下で交渉は続けられ、ついに実現した次第です。(参照:ウィキペディア

交渉の取引は、収監されているパレスチナ囚人1027人との引き換えです。その中には、残酷な形でイスラエル人を殺害した者たちもたくさん含まれており、遺族の中には「国は今、私たちの血の中で踊っている」という批判もあり、その多大な心痛もありながらの喜びです。

イスラエル軍と諜報機関モサドについて常々思っていたことは、「一人の命が重い」ということです。たった一人の兵士のために国の総力を挙げて取り返すという姿勢を一貫して見ることができます。今でこそ最新鋭の兵器を有しているイスラエルですが、国土が小さく、圧倒的な軍事力を有する周辺諸国に対抗するには、人そのものが貴重な財産です。これは、迫害を生き延びたユダヤ教的価値観にも反映されている考えです。

一般市民を盾にして闘うハマスとは対極をなしています。また、他のアラブ人や、また東洋人とも(かつては日本軍の軍事行動にもあった人命軽視も含めて)対比することのできる、命の尊厳の重視であります。

霊の救いにおいても、私たちは同じ心を持たねばならないでしょう。愛というのは計算しません。今回は1:1027というあまりにも不釣合いな取引ですが、イエス様は99人の羊を置いて、一匹の迷った羊のために捜しに出かける方でありました。

あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか。見つけたら、大喜びでその羊をかついで、帰って来て、友だちや近所の人たちを呼び集め、『いなくなった羊を見つけましたから、いっしょに喜んでください。』と言うでしょう。あなたがたに言いますが、それと同じように、ひとりの罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない九十九人の正しい人にまさる喜びが天にあるのです。(ルカ15:4-7)

この情熱的な愛を、私たちが回りの人々に、同胞の日本人に、そして世界の人々に抱いているかどうか、問わなければいけないでしょう。

追記:ちなみに兵士の名前は、聖書にしばしば出てくる、ヨルダン川の東岸の地域「ギルアデ」と同じ綴りです。

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