みなさん、お祈りありがとうございます。無事に東松島から帰ってきました。
今回の旅行は、カルバリーチャペル所沢のトラビスさんが大いに手伝ってくださり、楽をさせてもらいました。炊き出しの食事は、ハワイの現地の人がよく食べているカルア・ピッグとキャベツで、その豚肉の仕込を前もってしてくださっていたので、月浜で準備することがほとんどありませんでした。そしてワゴン車で私たちの自宅まで来てくださったので、私たちの方で運転手も必要なくなりました。さらに、朝ごはんや朝のデボーションまでしてくださり・・・トラビス、本当にありがとう!
そして、既に沖縄から仙台に引っ越したチャックさんと由美さんが全行程を共にして、主に仕えました。さらに、16日の夜は同じく沖縄から仙台に数ヶ月前引っ越したロイさんご家族もいらっしゃいました。
現地に到着したら、牛網の避難所でよく知り合いになった方のお宅に訪問させていただきました。私自身、今回の旅行で心備えをしていたのですが、NHKスペシャル番組「シリーズ東日本震災助かった命がなぜ」で、東松島の人々の多くが鬱やPTSDを患っているという話を見ていました。仮設住宅や改築した家に戻っている人々は一見落ち着いた生活を送っているが、その中で喪失感に襲われている、とのことで、その苦しみを私たちがこれまで触れてきた方々も多かれ少なかれ持っているだろうと思って接しました。
案の定、家を失ったことに対する心の内を話してくださいました。そこの家庭のお母様は、近くの他の避難所におられたそうですが、二ヵ月半、切り干し大根の味噌のほとんど入っていない汁を飲んでいたことを何度も話しておられました。顔は笑っておられますが、もっともっと聞き手になっていかねばならないと感じました。
それから私たちは、いつもの月浜仮設住宅に行き、夕食の準備をしました。もう寒く、日没も早いので、前回外に出していた福音伝道文書のコーナーは室内に置きました。談話室は狭いので一度家でご飯を召し上がっていただいた後に、コーヒータイムにお誘いしました。
一人、男性の方が仕事から帰ってきたばかりで、そのまま談話室にいらっしゃいました。「私たちは全てを失ったので、こうやって来ていただけることが本当に嬉しいんです。」と、目に涙を浮かべて話しておられました。そして、トラビスさんがギターで歌を披露しました。(下は、同じおじさんが、早朝に漁をしてご自分の家の跡地で捌いておられました。)
次の日、牛網の人にさらに何人か会おうと思って、トラビスが牛網避難所のリーダーだった千葉さんに電話したところ、なんと月浜に後十分間で到着するというではありませんか!なんという奇遇でしょう、お仕事でこちらに立ち寄ろうとしていたのです。(下の写真は、トラビスさん、チャックさん、そして千葉さんです。)
そして私たちは、今泉さんの仮設住宅に立ち寄り、再び千葉さんに会いました。彼が今育てている大根、キャベツ、白菜を見た後、東松島市の北隣の美里町でラーメンをご馳走してくださいました。彼は何度も、4-5月に再び野菜を植える、そして家も新しく建てるから、ぜひ来てほしいと仰っています。
私たちはこれからも、続けて牛網と月浜に通おうと思います。さらにチャックさんと由美さんの働きを応援して、長期的に救援・伝道の働きを続けていきたいと思います。
後記:チャックさん&由美さんも、ご自分のブログに東松島の報告を書いています!
Outreach at Tsukihama Temporal Housing (月浜の仮設住宅で炊き出し)