東松島とイスラエル

私たちロゴス・ミニストリー、また母体のカルバリーチャペルは、神がイスラエルという国に対して確かな計画を持っておられることを堅く信じています。その信仰は、私たちに特異なものではなく、主の弟子たちが抱いていた希望であり、主ご自身が予め語られたことです。

そして、実は48年にイスラエルが建国される前に、神が預言として与えられたという理由だけで、イスラエルの回復を祈り求めた人たちが少なからずいました。当時は、ブリタニカ百科事典でさえあまりにも非現実めいたこととして書き記しているほどで、狂信扱いされていたのです。けれども、この日本において、しかも霊的復興が進展している中でその祈りが捧げられたのは、ホーリネス教会の創始者、中田重治師によるものでした。

この聖書の字句をそのまま信じていく姿勢と、聖霊の力による宣教は、当時、天皇主義を強力に推進した国家弾圧の対象になりました。当時の特高(注:今の「公安」と同じ)の捜査は極めて優れており、ホーリネスの教会指導者らは、逮捕され、取調べを受けてもなぜ捕えられたのかよく分からなかった程でした。しかし、彼らの信仰体系、すなわちキリストが地上の王として君臨されること、そしてユダヤ人の救いと回復というのがまさに訴状だったのです。過去に三つの記事でこのことをまとめています。

何を予期すべきか 1
何を予期すべきか 2
靖国神社について その3

それを冷ややかに見ていたのは、当時の数多くのキリスト教会でした。彼らは、そうした信仰を敵国の米国から輸入されたものであり、過激、極端であるとして距離を置いたのです。けれどもそれは、自らの聖書信仰をなし崩しにするものでした。教会指導者は、法廷において「キリストの再臨というのは、心の中でキリストが王となることであり、霊的なものだ。」「キリストが既に紀元70年のエルサレム破壊で再臨したのだ。」と言って、使徒信条にももとる言い逃れをしたのです。(参照記事 )

話を戻しますと、中田重治師の説いた大衆伝道、その原動力となった切迫的再臨信仰と、聖霊体験は、一部に行き過ぎがあったものの、それらの教訓も含めて私たちには大いに学ぶべき所があります。(参照論文:「第35回 日本の教会」「ホーリネス・リバイバルとは何だったのか」)このような素晴しい遺産を、私たちは米国の霊的復興や神学の中のみならず日本国内で実に見出すことができ、慰めを得ることができます。

そして最近まで知らなかったのですが、中田師は巡回伝道を精力的に行っていた中で、再臨運動等の時期には松島にも立ち寄っています。(参照記事:ウィキペディア「中田重治」)そして、何と1932年には、奥松島の野蒜海岸にて、イスラエルの回復を祈ることを公に奨励していたとのことです。

四月から始まった東北救援旅行において、神は主に私たちのチームを東松島に導いてくださいました。第一回目は鳴瀬地区にある牛網に、そして二回目からは、仙台人が東京人にとっての湘南海岸のように、行楽地として親しんでいる、奥松島(野蒜&宮戸島)の月浜地区に導かれました。

そして、東日本大震災の3月11日の前日までの数日、私たちは沖縄のカルバリーを初訪問したのですが、その間、チャックさんと由美さんのお宅に泊まらせていただいたのですが、お二人が神様に呼ばれて、東松島に教会開拓の幻が与えられ、十月末に仙台に引っ越されました。

東松島市には、唯一、「宮城聖書教会」という教会があります。その教団はホーリネスの群れの一つである「基督聖協団」です。

その牧師、田中時雄さんのお誘いで、チャックさんと由美さんが11月20日に行われた野蒜海岸における祈り会に参加されたようです。イスラエルにいるユダヤ人教会指導者や宣教師の方々がいらっしゃいました。

Prayer Time on Nobiru Beach with Asia Messianic Forum 2011 (アジア・メシアニック・フォーラム2011 野蒜海岸で祈りの時を持ちました)

私は、東北地域にリバイバルが来ると予告はしませんが、これが主ご自身の情熱であることは強く信じています。なぜ津波の苦しみを負われているのか?その報いは何なのか?実に、神の惜しみない豊かな愛の注ぎと、キリストによる救いそのものが、罹災者の方々が受けておられる苦しみに対する報いであると信じています。イエス様は、九十九匹の羊を置いて、失われた一匹を捜されました。東北の被災地はその圧倒的な愛を受けるに実にふさわしいと思います。

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