「科学者とキリスト教」

今、科学とキリスト教、また進化論と聖書の内容について、未信者・求道者向けの文章を書きました。

科学はキリスト教を否定する?

個人的には悩みながら書きました。私は理系肌では全然なく、できればこの問題は避けたいとの思いがあるのですが、けれども人々が気にしている話題である以上、取り組まなければいけません。それで、何冊かの本を読みましたが、下もその一冊です。

「科学者とキリスト教」 渡辺正雄著

私たちは大抵、近代・現代科学はキリスト教のような宗教とは無関係のもの、いや対立するものと考えていますが、今の自然科学における基本になっている理論が、キリスト教の世界観によって構築されていったことを鮮やかに見ることができます。欧州の科学者にキリスト者が多かったという偶然的なものでは決してなく、むしろキリスト教信仰を支えにして、自然と宇宙の中にある秩序を発見しようという、信仰的情熱に支えられていました。

進化論は救いの教理を否定する

この書物では、途中で進化論を容認するような発言もあります。ご本人はおそらくキリスト教信仰を持っているように見受けられますが。このことについてちょっと論じたいと思います。

確かに、進化論の説くところは伝統的なキリスト教の世界観および人間観とは相容れないものがある。進化論は、『聖書』の記述とも合致しないところが少なくないのである。それでは私たちは、その一方をとって他方を棄てるべきだろうか。そういう気持ちに駆られることもないわけではないが、それは結局、科学への誤解と『聖書』の読み方についての誤解ということになってしまうのではあるまいか。ここでも私たちは、地動説をめぐる『聖書』と科学の問題に対してガリレイがとった態度を見習うべきではないかと思われる。(172頁)

そういって、本書の最初で取り上げたガリレイの述べたことを再び引用して、こう言っています。

『聖書』はもっぱら魂の救いについて教えているのであって、科学や天文学を教えようとしているのではないと述べ、『聖書』が私たちに教えようとしていることは、”how to go to heaven”「どのよいにして天国へ行くか」であって、”how the heavens go”「どのように天が動くか」ではない、と述べたのであるが、私たちもこれにならって、『聖書』と進化論の問題についても、『聖書』が私たちに教えようとしていることは、「人間はどのようにして天国にまで進むか」であって、「人間はどのように進化してきたか」という類の問題ではない、と答えることができるのではあるまいか。(同頁)

ガリレイの言葉から、進化論にまで引き延ばして同じことを言うことはできません。なぜなら、ガリレイの説く地動説によって、「救い」の教理は曲げられることは全然ありません。けれども進化論においては、救いの教理に極めて深刻な挑戦を与える思惟を持っています。

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、・・それというのも全人類が罪を犯したからです。 (ローマ5:12)

人間の創造の後、初めの人が罪を犯したことによって初めて死が世界に入りました。そしてこの地上も呪いを受けたのであり、それでローマ8章18-23節において、「神の子の現われを待ち望んで被造物全体がうめいている」と言っているのです。進化論によれば、人類の出現までに無数の死が存在していたのであり、「死」が「罪から来る報酬」という、救いの教理の根幹を否定する構図になっています。

そして、「すべての被造物を支配しなさい」という神が人に命じられた、上のローマ8章にもあるような万物の長、「神のかたち」としての人間存在も、「アメーバ―から始まり、そして植物、動物と進化し、その延長線上に人間がある」という構図によって否定されてしまいます。

初めが否定すると、終わりも否定することになります。神の子どもの現われ、つまり人の救いの完成によって被造物も回復させ、キリストを長子として人に万物を治めさせるというのが終わりの日の神のご計画です。人の堕落の逆算を神は回復において行なわれます。

ですから、単なる聖書記述や解釈の違い、という問題では済まされないのです。神の救済史の全体像に対抗する全体像を進化論は内包しているのです。

・・・とは言っても、本書は、「進化論によって懐疑の中で絶望の淵に陥ったテスニン」、「日本に来た進化論者で宣教師でもあったギュリックが、従来の進化論を修正したものとなっている」こと、また「日本に進化論が導入された時は、あまりにも無批判に取り入れられ、危険な思想である社会進化論がはやったが、少数のキリスト者が進化論に反対の立場を取った」など、科学の歴史を有体に順序立てて述べていることには好感が持てました。

参考になるブログ記事
天動説と進化論
有神的進化論反対の理由

後記: ダーウィン進化論を否定し、生物の主体的進化を提唱している今西錦司教授は有名ですが、彼のホームページには唯物論に対する批判論が展開されています。神や精神界が堂々と論じられており、唯物的な科学論ばかりが横行する日本においては新鮮な空気を感じます。「今西錦司の世界

「「科学者とキリスト教」」への1件のフィードバック

コメントは停止中です。