(その①の続き)
月浜での活動は、クリスマス・コンサートに加えて炊き出しもあります。今回、宜野湾カルバリーのチームには、沖縄バイブル・カレッジで学生の毎食の食事を用意するジョエルさんがいらっしゃいました。彼は、到着すると仮設住宅の談話室にある小さな台所を使って、夕食の準備を始めました。1時過ぎから4時半頃に出すまで、延々とそこで働き続けました。
仮設住宅には、談話室の他に隣接する小さな公民館があります。どこかのボランティアの方々が建ててくださったと聞きました。談話室は炊き出しの準備があるので、公民館を借りることにしました。
準備が終わり、まだ開始まで時間があるので、トミー牧師はザック、オーストラリア人のトムを連れて散歩しようと持ちかけました。私が案内を申し出ました。月浜海岸の説明をし、そこで8月にバプテスマ式を行ったことも話しました。月浜集落が、ニ・三軒を除いて全壊していますが、当時は瓦礫の山であったことも説明しました。そのまだ立っている家屋は、興味深いことにすべて岩の上に建っています。イエス様による、岩の上と砂の上の家の例えを思い出しました。
そしてトミーさんが、集落の奥にある神社の裏手に小道を見つけたので、行ってみました。その小山からは、月浜の裏手(西)にある海岸も見ることができました。そして、下の写真はその小山から撮った月浜集落です。
ちなみに私は改めて、津波直後の集落の姿と比べてみたいと思ってYoutubeで調べたら、上の写真の左手にある「かみの家」と呼ばれる民宿(避難所にも使われた)から三月末に撮影された動画があったので、比べてみてください。
そして私たちは、直前に家々を一軒ずつ挨拶していって、コンサートの案内をしました。
小さな公民館にたくさんの方々が来られました。小野駅前と同じように、チャックさんの日本語の挨拶、ザックのクリスマスの歌、それからクリスマス・メッセージです。
小野駅前仮設の方々よりも、熱心に、耳を澄まして聞いてくださった感じがします。前者の多くが初めて会う人々であるのに対して、こちらは何度もお会いして、掃除のお手伝いや炊き出しを続けてきました。その中で信頼関係が作られていったような気がします。
チャックさんと由美さんが、ついに東松島に引っ越すことができそうになったことを発表しました!そうしたら、みなさんがとても喜んでくださいました。もし、津波もなく普通の時にこのような引越しを話したら、決して簡単には受け入れられなかったでしょう。津波によって、むしろ結ばれている絆というものがあります。そして私たちの願いは、福音によってキリストとの絆が結ばれることです。
(その③に続く)
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