初めから物語る歴史 - イスラエル その4

その3からの続き)

シオニズム運動の背後にある、福音的クリスチャン

話は少しずれますが、興味深いことに、宗教と化したキリスト教会の中で霊的復興が起こり、聖書を神の御言葉として信じる人々が熱心に世界宣教へ行きました。大英帝国の時代、その中にいるクリスチャンは世界に宣教師を送り出しただけでなく、ユダヤ人のパレスチナ帰還を聖書預言の通り起こるのだと信じる人々が出てきました。その英国が国際連盟からパレスチナを委任統治するようにされ、そして外務大臣で熱心なキリスト者であったバルフォア伯爵が、ユダヤ人のパレスチナ郷土を宣言した「バルフォア宣言」というものがあるのです。

興味深いことに、時代が少しずれて同じことを米国が行なったのですが、イスラエル建国の国連承認で活躍したのがトルーマンですが、彼の母が熱心なキリスト者であり、ユダヤ人に対する約束の地への帰還が自分の良心にあったため、国務省の反対を押し切っていち早く承認した、という経緯があります。けれども、今のオバマ大統領のように親イスラエル路線の根幹を揺るがすような発言を繰り返しているように、かつての英国も親ユダヤから反ユダヤへと変換し、1939年の「白書」ではユダヤ人移民の制限を設けました。その後の英国の没落はすばやかったですが、今の米国の没落も、聖書信仰に基づく霊的な力がなくなってきたことと無関係ではありません。

イシュマエルの子孫、アラブとの確執

近現代のイスラエルの歴史は、イスラムという宗教との確執だけではありません。ユダヤ人の親戚であるアラブ人との確執があります。先日、「今、モアブ人やアモン人は存在しているのですか?」という質問を受けました。どちらもヨルダン領にあった国ですが、「いません」と答えました。聖書時代の諸民族で残っているのは、イスラエル周辺地域ですとアラブ人です。そして、アラブ人の父祖はイシュマエルだと言われています。

主がイサクを約束の子とされましたが、アブラハムのもう一人の息子イシュマエルにも祝福の約束をされたことを思い出してください。「イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。確かに、わたしは彼を祝福し、彼の子孫をふやし、非常に多く増し加えよう。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民としよう。 (創世記17:20)」けれども、イシュマエルは兄弟に敵対するようになるとも主は予告されました。「彼は野生のろばのような人となり、その手は、すべての人に逆らい、すべての人の手も、彼に逆らう。彼はすべての兄弟に敵対して住もう。(創世記16:12)」

事実、それが今、起こっているのです。アラブ人はユダヤ人との間だけでなく、自分たちの間でも争いが絶えません。映画「アラビアのロレンス」に出てくる部族間の争いは、ヨルダンのフセイン国王も「これは事実である」と言わしめる現実であり、反イスラエルで一致しているように見えるアラブ諸国は、一枚岩どころか、自らの利益の主張によって滅茶苦茶になっています。それが独立戦争の敗戦の大きな一因であったとも言えるでしょう。けれども、アラブ民族は広大な土地、そしてその中にある石油資源によって恵まれているのです。聖書時代から生き残っている民であり、確かに神は彼らを祝福されています。

したがって、ユダヤ人が約束の地に大量帰還している中で、アラブ人の中で民族意識が芽生え、それがアラブ民族運動と発展していきました。それが一連の中東戦争の背後にあります。

(注:しばしば、イスラエル・パレスチナ紛争の根っこに、「イギリスの二枚舌(あるいは三枚舌)外交」があると言われます。「バルフォア宣言」をユダヤ人に行なったのに対して、アラブ側には「フサイン=マクマホン協定」「サイクス・ピコ協定」を結んだのがいけないのだ、と言います。けれども、その地図を見ますと、バルフォア宣言で約束されたところとおおむね重なっているわけではなく、矛盾していません。)

四回の中東戦争

それで、イスラエルが独立宣言をした翌日に一斉に周辺アラブ国が攻め入ってきた独立戦争を第一回とし、シナイ作戦、六日戦争、ヨム・キプール(贖罪日)戦争と四度の中東戦争がありました。

これで重要なのは、独立戦争と六日戦争です。独立戦争はもちろん、イスラエルという国の確保という重要な意味合いがあり、そして六日戦争は「エルサレムの奪取」という大きな意味合いがあります。イエス様が、異邦人の時代が終わるまではエルサレムは荒らされたままになる、と言われましたが、そのエルサレムをイスラエル軍は、トランス・ヨルダン(当時のヨルダン)との戦いで攻め取ることができました。しかし、当時の指揮者である国防大臣モシェ・ダヤンが、ムスリム宗教局にすぐに神殿の丘の管轄を任せたことによって、厳密には異邦人の支配はまだ続いていると言えるでしょう。

そしてイスラエルはいつも戦争ばかりしていると思われがちですが、ヨム・キプール戦争後は、国家間の戦争はなくなりました。敵国エジプトがこの戦後処理を梃子にして、平和条約をイスラエルと結んだためであり、ヨルダンとも平和条約を結びました。したがって、今、イスラエル旅行をする時に、同時にエジプト領にあるシナイ山観光や、ヨルダン領にあるネボ山やペトラ観光を計画することもできるのです。聖書遺跡がたくさん残っているレバノンやシリアには、イスラエル出入国のスタンプ(そして、陸路のエジプトやヨルダンのスタンプも)がある時には、入国できないのです。彼らは「イスラエル」という国自体の存在を認めていないのが正式立場だからです。

そしてその後の紛争は、テロリスト組織との戦いになります。PLOはヨルダンにおいても「黒い九月」という内乱を起こしましたが、イスラエル軍によるレバノン侵攻を彼らのせいで招きました。けれどもラビン首相とアラファト議長が結んだオスロ合意により、PLOがパレスチナを代表する機関として認められ、大幅な自治権が与えられているのです。

テロリストにはPLOのような世俗組織と、イスラム原理主義の二種類があります。ガザ地区を実質支配しているハマスはムスリム同胞団の枝分かれであり、レバノンのシーア派ヒズボラもイスラム原理主義です。その背後には、1979年に起こったイランのイスラム革命の波及があることを忘れてはなりません。

これらイスラエル近現代史を少し理解すれば、単なる聖地旅行以上の、「今現在も神がこの地に心を留めてくださっている」という情熱をイスラエル旅行で感じ取ることができるでしょう。

その5に続く)

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