またもや、過激というか、訳の分からない題名を付けてしまいました。昨日はすばらしい礼拝を持つことができました。いつも、LCFを自分の教会だと思っている兄弟姉妹がみな集まった、という感じです。礼拝を始めたのが去年の二月初め、主に感謝しています。
昨日のメッセージ民数記26-31章(原稿・音声)の中で、30章の中に「女性が誓いを立てること」について書いてあるところがありました。古い世代もシナイ山から旅を始める直前に主が、夫婦関係について教えられ(5章)、ここでも新しい世代が約束の地に入る直前に教えられています。それだけイスラエル共同体について、男女関係や夫婦関係が土台になっているということ。イスラエルの国の存亡に関わる事柄と言っても過言ではありません。キリスト教会においては、夫と妻はまさにキリストと教会を表す、神がこの世に立てられた制度。これほど神聖なものはありません。
その男女関係が、何だか訳の分からない「恋愛」と称するもので埋もれている世間を見ますと実に嘆かわしいという、ちょっと過激な発言をしてしまいました。
明日バレンタインなのですが、私は日本のバレンタインの習慣が好きではありません。女の人がチョコレートを男の人にあげる?義理まであって、実に煩わしいのではないでしょうか?そしてホワイトデーを作り、韓国では両日に外れてしまった人のためのブラックデーまで存在するとか。アメリカにおいては、結婚前だけでなく、むしろ夫婦が互いの愛を確認するために時間を取って、レストランに行ったりプレゼントを買ったりするのが習慣です。教会でもこの時期に、夫婦のための集会が持たれたりします。
私たちはアメリカ型バレンタインの方が好きで、そしてちょっと高級な中華料理を結婚記念日にも食べたので、今回もランチメニューですが中華にしようということになりました。
元々のバレンタイン、これはローマ皇帝が兵士に対して士気が下がらないようにという目的で結婚を禁じていたけれども、聖バレンタインがそれでも兵士のために結婚式を執り行ったところ、処刑されたというものです。神が立てられた結婚の重要性を知っていたために、殉教したというのが由来です。
以前、来日して好評を博した”I Kissed Dating Goodbye”(僕はデートにさよならのキスをした)の著者が、次のような内容を述べているそうです。
ジョシュアがデートをやめた理由には、他に以下のものがある。
・肉体的な関係と愛とを勘違いする
・デートに夢中の二人は、自分たち以外の人間関係を大切にしない
・将来への備えから心がそれ、今の楽しみに夢中になる
・相手を正しく評価できない不自然な状況を作り出す
・結婚ではなく、恋愛そのものが目的となりやすいでは、結婚に備えるには、何が必要なのか? 創世記24章に出てくるリベカが一つの模範だ。彼女はラクダに水を与えるという目の前の責任を忠実に果たしていたので、神が与えようとしていた特別な選びに応じることができた。
現代の若者にとって「水を与えるべきラクダ」とは何か? それは家族同士の親密なコミュニケーションであり、神との交わりであり、貯金や献金の実践であり、弟妹の面倒を見ることであり、教会での奉仕、家の買い物、献立作り、炊事、洗濯などの家事を、親に教えられながらやってみることだ。
結婚を真剣に目指す、きよい交わりを「コートシップ」と呼ぶ。著者が自分の信念通り安易な恋愛関係を断ち切ってから5年目に、今の奥さんシャノンと出会い、愛を確かめて結婚した。
(http://www.ffj.gr.jp/new/bookspdf/renai.pdfから引用)
すばらしいコメントです。どうか恋愛を第一に求めて大切な人生を無駄にしないでください!(ちなみに、この著書は「聖書が教える恋愛講座」の邦訳で出版されていますし、日本でのご本人による講座をCGNTVでビデオで鑑賞することもできます。)
その他、聖書と恋愛について良いサイトを紹介します。