震災一年 険しい復興への道のり

この前の日曜日(3月11日)は、午後礼拝の時に震災追悼祈祷を捧げました。カルバリーチャペル西東京が提案した、キリスト者が捧げる祈りの三つの要点①慰め、②救い、③復興に焦点を当てて祈りました。

そして明石夫婦は次の日、再び東松島に行ってきました。ロブさん宅で被災地の方々をお招きしてのお茶会です。そして昨日帰ってきました。

当地で月浜の月光プロジェクトの方々ともお会いしました。何かお手伝いできることはないか相談を持ちかけながらの話でした。先のブログ記事でも書かせていただきましたが、私個人は上の祈祷課題の「③復興」について、痛切に感じていることがあります。それは直、被災地以外に住んでいる私たち自身に関わることです。

一言でいえば「忘却」との戦いです。

首都圏の人々を含める震災後の日本人の動きについて、世界から称賛の声があがりました。なぜこうも秩序正しく災害に対応できているのか、そして瓦礫の山がなぜこんなに早く片付けられているのかなど、海外では信じられないことばかりです。けれども、当地の方々や我々日本人には「やらなければいけないことをやっただけ」という気持ちが強いでしょう。

けれども、私個人は「これから、とてつもなく恐ろしい危機が訪れる」と感じています。被災地に行けば一見平穏に見えますが、次のNHKのニュース記事をお読みください。

震災一年 被災地600人の声

なんと仮設住宅から外出する頻度が、週に一回程度またそれ以下が「四人に一人」になっているのです。閉じこもりがちになっているその現状があります。ニューヨークタイムズ誌によれば、地震の被災の場合は一年後に自殺率が最高値になり、洪水の場合は四年後に増えるという研究結果があるそうです。今回の震災は地震と津波、また福島の方は原発事故という混合被災ですから、さらに自殺率は増幅する懼れがあります。

自殺の原因としては、もちろん失った家族や大切にしていた物の喪失感はありますが、何よりも失業などにより、これからどうやって生活を再建すればよいか全く目途が立たないという不安感です。

少し「自分が被災者だったら」と想像する時間を、数分でも持ってみたらよいでしょう。誰もこの地震と津波を予想できていないのですから、再建のための貯えはないわけです。けれども、仮設住宅は基本的に二年という期限(もちろん、現実には多くの場合延長される可能性が大です)があり、それで自分自身で住まいを見つけなければいけないのですが、家を建てるための政府からの補助金はたったの2百万円です。そして、何よりも仕事がありません。津波の被害を受けた人々は沿岸部でその多くが漁業関係者ですが、建築業の雇用や短期就労機会は増えたものの、漁業の雇用機会はほとんど増えていません。会社を再建するための基盤が失われているからです。(参照記事:「漁業のまち 復興をはばむものは」)私たちが奉仕をさせていただいている月浜地区の場合は、例えば海苔生産のための機材がみな津波で流されており、実質的な生産ができていないのが現状です。

少し「自分がそうだったら」と想像するだけで、私だったら「閉じこもったり、お酒に頼ってしまったり、自殺願望が出てくるのも当たり前だ」という気持ちになりました。

その「震災失業」の苦しみをNHKスペシャルがかつて報道したことがあります。
東日本大震災「“震災失業”12万人」(動画)

このように全く先が見えない・・・というのが被災地の声であり、その「閉じこもってしまっている声」を聞くのは、私たちのほうからその中に入っていって寄り添って聞きに行く、という努力が必要なのです。もしその愛と忍耐の努力を意識的にしなければ、彼らのうめきと苦しみは私たちの「忘却」という中で埋もれていってしまうでしょう。

初動段階では、その緊急性から救援物資の調達に必死になって動いていたわけですが、今も、形が違いこそすれ、同じ情熱をもって主にあってその方々に近づいていく必要があると私は感じています。

クリスチャンの中には、こういう疑問を投げかけてくる人もいるかもしれません。「生活の再建にまで関わっていくのは、クリスチャンの働きとは関係ないのではないか。」本当にそうなのでしょうか?それでは、これまで配ってきた救援物資はその目的と異なっていたのでしょうか?泥出しは?半壊の家の改修工事は?炊き出しは?それらはもちろん、私たちが確かに生きた福音の言葉を持っていることの、行動を通しての証言であったはずです。そして今必要なのは、生活の再建そのものであり、その領域に関心を示すことは、まさにキリスト者の使命であると私は感じています。

信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。(ヤコブ2:17)」
世の富を持ちながら、兄弟が困っているのを見ても、あわれみの心を閉ざすような者に、どうして神の愛がとどまっているでしょう。子どもたちよ。私たちは、ことばや口先だけで愛することをせず、行ないと真実をもって愛そうではありませんか。(1ヨハネ3:17-18)」

そして、もちろん福音を語る働きが私たちの中心使命です。しかし、そのことにおいても私たちが忘れてはいけないのは、「愛と忍耐による福音伝道」であります。私たちは福音伝道の“プログラム”をこなしていくのではありません。福音伝道の組織に忠実になるのでもありません。「イエス・キリスト」という人格ある方を、私たちを通して伝えていくのです。

しっかりとした土台はイエス・キリストしかいない──そのことを私は伝えたいと思います。
私たち人間は、いろいろな組織、団体を作り、いつの間にかそれを神のように信頼する性向があります。しかし、それらはあくまで人間が作ったものです。本当に信頼できるものではありません。自分が本当に信頼できる存在を発見しなければなりません。この発見には時間がかかり、忍耐が要り、愛が必要です。
フィリップ・ヤンシー 「春の息吹 日本の国へ」

今は祈りをもって、忍耐と希望の神の前に出て、憐れみを請う時であります。クリスチャンの方はどうかお祈りください、被災者の方々の生活再建のために。現地入りしているクリスチャン奉仕者のために。そして全国のクリスチャン、全世界のクリスチャンが、東北地方に対する神の愛を知って、自分もその中に関わることができるように。

私たちの周囲に関して言えば、東松島に移り住んだチャック&由美・ロブさん宣教師夫婦のためにお祈りください。そして東松島の月浜地区と牛網地区、またその周囲の方々のために、お祈りいただければとても嬉しいです。

(追記:ブログ記事の題名は、「NHK Web震災特集」の上部にあるフレーズから借用したものです。)