私たちの教会は、日曜の二回の礼拝の他に、土曜日に弟子訓練としての学びと、教会のための祈り会を持っています。新しい信者のための学びとして「第一ヨハネ」の学びを行ないました。永遠の命をすでに受け取っているのだという救いの確信のために必要な学びでした。それから「ローマ人への学び」です。これはもちろん、「信仰によってのみ救われる」という福音の核心を伝える書物です。この学びを通して、一人の姉妹に、確かに救いが自分のものになったという強い確信が与えられました。
それから「使徒の働き」の学びを始めました。信じて間もない人が何人もいる中で、初めに触れる教会がロゴス・クリスチャン・フェローシップなのですが、教会の模範を見てほしいと思って、使徒の働きの中にある初代教会の様子を紹介しようと思いました。
そしてついに、「マタイによる福音書」を今週土曜日から学びます。二つの目的があります。一つは、信仰の対象であるイエス・キリストご自身を知ることです。地上におられた時の主の生涯を福音書は克明に記しています。
もう一つは、律法と預言書、すなわち旧約聖書の実現としてのイエス・キリストを知ることです。私たちの礼拝における聖書の学びは、創世記から現在、申命記まで来ました。これら律法の実現がまさにメシヤ自身であられます。そして使徒の働きの終盤は、パウロがエルサレムから始まり、異邦人ではなくユダヤ人に対して語っており、そこで「私は、イスラエルの望みのために鎖につながっています。」という証言を繰り返しています。イスラエルに反対する言葉ではなく、むしろイスラエルを完成する言葉を携えている、という主張です。ですから旧約聖書を学ぶ者にとって、福音書、特にマタイによる福音書は、イエスこそがその律法と預言の成就であることをまざまざと見ることができます。
「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。(マタイ5:17)」
あるキリスト教弁証論者が、「聖書にある四つの大事な書物」として、創世記、黙示録、そしてダニエル書とマタイ伝を挙げました。創世記と黙示録はそれぞれ人間の歴史の始まりと終わりを示し、ダニエル書はイスラエルが一時的に神のご計画の中心から退かれた「異邦人の時代」を鳥瞰的に示しています。そしてマタイ伝は、旧約時代から新約時代に移る繋ぎになっています。
マタイによる福音書は、聖書預言における神の計画を知るのにも必ず必要な書物です。神は、アダムが罪を犯した時以来、ご自分の支配、すなわち御国を回復する情熱を持っておられます。そのためアブラハムを選ばれ、そしてダビデを王として油を注がれる(=任命する)ことによって、ダビデの子からメシヤを出し、そのメシヤによる御国を立てることを決められました。その到来の宣言がマタイによる福音書であり、さらにイスラエルがそれを拒み、御国が遠のいたことを示し、けれどもメシヤの支配が続くことを、復活によって証明されたことを示しています。
詳しいことは、日本語では「これからの世界情勢と聖書の預言」(高木慶太・芦田拓也著 いのちのことば社)が良い文献です。(本書の改定新版の唯一の不満は、第一章で、イスラエルの建国と中東戦争の概略が記されていますが、第一版で高木慶太氏が書き記されたのと異なり、アラブ側の誤った主張を取り入れていることです。けれども、大きな流れとしてはしっかりと書かれています。)そして拙書「聖書預言の旅」(リバイバル出版社)をご参照ください。
英語の文献としては、John Walvoordの”Matthew Thy Kingdom Come(マタイ 御国を来たらせ給え)”が良いでしょう。オンラインでも読めます。
ぜひ、新しい学びにいらしてください!
基本的な日時と場所
毎週土曜日午後2時から 足立区こども家庭支援センター 別館
※たまに行なわない時、別の場所になるときがあるので、いらっしゃる前に教会のカレンダーでお確かめください。
「「マタイによる福音書」の学びへの招待」への3件のフィードバック
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