毎夏恒例のマラナサ・バイブル・フェローシップのファミリー・キャンプが、8月13‐15日に富士山麓山の村で行なわれました。昨年と同じところです。(2011年の様子はこちらのブログ記事でどうぞ。)
「米田ひろしミニストリー」の紹介
今年は、伝道にもっと力を入れた集会でした。ゴスペル・シンガーの米田ひろしさんが一日目晩の集会を担当され、ロゴスの私が二日目のバイブル・タイムを担当致しました。米田さんとは初めての出会いでしたが、たくさんの共通項があり、一気にいろいろなことを分かち合い、親しく交わることができ、とても嬉しかったです。
ご自身の教会生活ルーツがワシントン州のカルバリー・フェローシップを始めとし、遣わされている教会が私もよく耳にしている南加州にある日系教会、そして共通の友人や知人が数人おり、おまけに私の大学時代のクリスチャン先輩がご自身の所属される教団の牧師だった、などありますが、霊的には、ご自身が引きこもりとそれに伴う鬱との闘いから救いを受けた、というところに大きな共感を得ました。私も救いのきっかけは、高校の後期から大学初期に悩んでいた抑うつでした。
彼が今年出したアルバム「あなたに逢えてよかった」の同題の歌は、まさに私が霊の救いを受けたことによって得られた癒しにおける神の真実ですが、このような歌詞になっています。
涙流してよかった。心痛んでよかった。
傷ついたけどよかった。傷つけるよりよかった。
風が強くてよかった。雨が冷たくてよかった。
険しい道でよかった。遥か遠くてよかった。
すべての営みは、定められた時がある。
今がどんなに苦しくても、あなたがくれる意味がある。
あなたに逢えてよかった。心開いてよかった。
勇気を出してよかった。今すべてがよかった。
・・・・
これは伝道者の書3章1節の「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」から来ている言葉ですが、ここに流れている真理は、神がいかなる物事や出来事にも主権を持っておられることです。この世界は、クリスチャンの世界でさえ、悪いことについては蓋をして、それがあたかも神の領域から離れているかのように話します。これは非聖書的な神学であり、主は、すべてのことを、たとえそれが悪であってもご自分の主権の中に入れておられ、それをすべてご自身の栄光にされます。この真理によって、私も深い魂の癒しを受けました。
上のウェブサイトに、米田さんの証しも、また「あなたに逢えてよかった」の試聴もできます。
今回もノアの石原さんご夫妻がいらっしゃいましたが、静岡の牧師さんたち自身もフォークのバンドも組んでおられるほどの面々ですから、賛美に豊かな集会となりました。いろいろな人に教会賛美について質問をしましたが、みなが同様に「技術ではなく個々のクリスチャンの霊的成熟」を条件に挙げておられました。
下に、一日目の様子の一部を紹介します。
(その2に続く)
「2012年マラナサ・バイブル・フェローシップ その1」への3件のフィードバック
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