今朝の妻とのデボーションは黙示録11章でしたが、そこにこう書いてあります。「彼らの死体は、霊的な理解ではソドムやエジプトと呼ばれる大きな都の大通りにさらされる。彼らの主もその都で十字架につけられたのである。(黙示11:8)」この「ソドムやエジプト」と呼ばれているのは、もちろんエルサレムのことです。イザヤ書から引用した言葉であり、イスラエルが贖われたはずのソドムやエジプトと霊的には同じぐらいになっている、堕落している状態になることを、聖書は終わりの日に起こることとして預言しています。
次のニュースが興味深いことに、日本語のニュースサイトには一切報道されていませんでした。以下はイスラエル・ニュース翻訳サイトからの引用です。
8月20日(月)
*先週の木曜の夜にエルサレムで、ユダヤ人少年らが集団でアラブ人を暴行する事件が発生。今日までに5人の容疑者が逮捕されているが、警察は現在も捜査を続けており、逮捕者は増える見込み8月21日(火)
*エルサレムで発生したアラブ人に対する暴行容疑で逮捕されたユダヤ人少年が「もう一度、あいつをつかまえたら、殴り殺す」と発言。他にも7人の未成年の男女が逮捕され取り調べを受けている。(P,Y,H)
http://www.zion-jpn.or.jp/news/jd0821.htm
いつもは、イスラエル国防軍がハマスのロケットによる攻撃への報復として、ガザにいるテロリストを標的に攻撃したりすると、日本語では、どんどんニュース記事がその出来事で埋まるのですが、あまりにも不公平な報道であると思って読み流していることが多いですが、これは絶対に見逃せない記事です。
私は「三つのPro」というエッセイ記事の中で、イスラエル・パレスチナ紛争の本質は「領土」ではなく、「在留異国人へのいたわり」へと焦点を当てるべきであると述べました。ジョエル・ローゼンバーグ氏もその律法の言葉を引用して、今回の犯罪を強く非難しています。ネタニヤフ首相も、このリンチになりかねなかった恐ろしい暴行を強い言葉で非難し、容疑者を厳罰に処することを発表しています。
ここでやはり、私たちが神の愛で人を愛するということは、どういうことかを考えなければいけません。イスラエルは神に選ばれた民です。(その選びを基盤として、異邦人信者をも選びの器としてくださったことをローマ9章は教えています。)それはイスラエル人が正しいことを行なっているからでしょうか?いいえ、彼らはたくさんの不正と悪を行なってきました。私たちの教会の学びは士師記を終わりましたが、ベニヤミン人はソドム人と変わりない集団同性愛レイプを行なおうとしたのです(結局、一人の婦人を集団レイプ、死に至らせる)。
それらの悪にふさわしい裁きを神はイスラエルに下されます。流血や暴力について、忌まわしい行ないや汚れについて、神は預言者によって何度も警告されましたが、言うことを聞きませんでした。それでバビロンによって捕え移されます。それでも、神はイスラエルをあきらめませんでした。ここに愛があります。愛は真実に基づくものであり、人間的には絶対に好きになれない相手を、それでも愛していくのです。そしてそれは悪を容認する愛ではなく、その悪を裁き、懲らしめ、その悪から離れることを願うところにある愛です。
私はこの事件を見て、イスラエル人も終わり日に起こる困難な時代の例外を免れないと思いました。米国における当り構わずの乱射。日本における、あまりにも陳腐な動機による通り魔。そして諸外国における“愛国心”“公平な社会”等、もっともらしい名を使っての暴徒。「そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、・・・」(2テモテ3:2‐4)
「怒り」「憎しみ」「非寛容」という空気がこの世を立ち込めています。また、「恐れ」「不安」という敵にも目を向けるべきです。私たちは恐れると、自己防衛反応から、本当は愛するべき人から離れたり、避けたり、時には被害意識によって攻撃的にさえなります。
イスラエルが清められますように。そして私たちキリスト者も世の汚れから守られますように。
【追記】
私がこのニュースで衝撃を受けたのは、私も旅行中は必ず通ったエルサレムの繁華街「シオン広場(Zion Square)」で起こったことです。パレスチナ人による自爆テロが・・・というのが第二次インティファーダの時にはありましたが、まさかその反対のことが少しでも起ころうとするなんて・・・という衝撃です。
ある記事では被害者は「アラブ人」と書かれており、また「パレスチナ人」と書かれているのもあります。1967年にイスラエルがヨルダンから東エルサレムを奪取しました。イスラエルはそこを併合したのですが、そこのアラブ人住民には無条件でイスラエル国籍を提供する準備をしました。けれども拒むこともでき、ほとんどが拒んでいます。
彼らはエルサレム在住ビザが与えられており、エルサレムを自由に行き来できます。旅行に行けば、西エルサレムがとてもユダヤ的で東は昔からの町、アラブ人の多い地区であることをすぐに感じ取ることができるでしょう。けれども、西エルサレムではユダヤ人もアラブ人も互いに通りかかることはあっても、職場以外は共に何かすることは希薄になっている、という現状です。(参照:New York Times)
2010年の聖地旅行では、そのシオン広場の近くにある教会の礼拝に参加しましたが、東エルサレムからのアラブ人兄弟が奉仕していて、ユダヤ人兄弟と肩を組んで代表の祈りを捧げていました。