政治とクリスチャン

アメリカの政治について数回に渡りこのブログで取り上げましたが、日本のクリスチャンの中にもこういう疑問を持っている人が多いと思います。

クリスチャンが政治にどのように関われば良いのか、また良くないのか?

いつものジョエル・ローゼンバーグ氏が言っている要点を書き記したいと思います。彼はユダヤ系米国人で、それから新生体験をして福音的クリスチャンになりました。面白い経歴を持っており、初めは大統領選では民主党候補に投票していました。そして次に、共和党候補の選挙のために働いていました。興味深いことに、投票した民主党候補も、また働いていた共和党候補もみな落選しています!それだからというのではないですが、主が「御言葉を宣べ伝えるのに専念しなさい。」という語りかけを受けて、それで政治の世界から足を洗った、そうです。政治にかなり関わっていたので「解毒」が必要だったと言っています(笑)。

彼が、まとめたクリスチャンの政治への関わり方ですが、5つの要点です。

1)国の指導者のために祈る。その指導者が自分の投票しなかった政党であっても祈る。
2)自由民主主義の中に生かされているキリスト者として、選挙は責任であり、選挙に行くことは奨励する。
3)クリスチャンの中には、公的機関で働くのに召されている人もいる。政治家もいる。(聖書では「ダニエル」)
4)牧師は党派的意見を説教壇で言わない。それは市民の権利を放棄することではなく、御言葉を伝える召しのゆえに捨てる。
5)政治の話題にはまっているクリスチャンは、その党派的な世界からの解毒が必要である!

(以上、PODCAST: CHURCH NEEDS TO GET BACK TO MAKING DISCIPLES, FULFILLING GREAT COMMISSIONから。PODCASTの音声も聞きました。)

アメリカと日本の今の政治状況は少し違います。イラク戦争以後、以前にあった一致団結がアメリカになくなり、両極化が生まれて、党派的になっていきました。それは政治や経済についてのイデオロギーや思想に関わることであり、日本の党利党略の問題とは違います。ですから、党派心を持つことに対して警戒が必要であることをジョエルは述べています。日本の場合の政党の見方としては、混迷を増していくばかりなので、次の基本知識が役に立つと思います。「政治をゼロから考える(5) 自民党と民主党はどこが違うのか」(国際情報サイト「フォーサイト」からの記事)

私は二つの点に注目しました。一つは、1)の国の指導者のために祈ることです。「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。(テモテへの手紙第一2:1)」大事なのは、願って祈って、とりなして、最後に感謝が捧げられるようにすることです。「感謝」がその人のために祈った結実です。

政治の話題になる時に、どうしても「批判」が先立ちます。民主主義と、当時の帝国主義(今でなら専制国家)では違うでしょうが、ユダヤ人がローマからの独立をするという熱狂が根底にはあったので、私たちの指導者に対する不満と共通面があるでしょう。けれども、キリスト者は全く一般民と異なる召しを受けています。一般民は批判するのが自分の仕事だと思っていると思います。けれどもキリスト者は彼らのために「祈る」のです。そして「感謝」になるまで祈るのです。教会の中で、思いっきり忘れられている神の命令だと私は思いました。

311の大惨事の後からは、私はもっと祈ったと思います。菅首相のために祈りました。そして今は野田総理のために祈っています。すると面白いことが起こりました。批判をしている時には見えてこなかった、指導者としての苦悩を感じ取れるようになってきたのです。確実に、神の御心の中に、その個人がクリスチャンであろうとなかろうと、その人がその立場に置かれているということです。「王の心は主の手の中にあって、水の流れのようだ。みこころのままに向きを変えられる。(箴言21:1)」彼らは公僕です。私たちのために仕えているのです。「いや、何が国民にためか!自分のこと、自分の党のことしか考えていない!」というのであれば、それは不信者でもいえることで、主の手の中、その水の流れに彼らがいることを感じ取れれば分かることです。

もう一つは、4)です。アメリカほどではないですが、日本では真っ二つに分かれる課題があります。「原発」がその先端にあるでしょう。ある教団では、原発は聖書に反するなどという声明文まで出しています。私は自分の強い意見がありますが、なるべく出さないようにしてきました。(漏らしてしまうことは、時々ありますが。(汗))とくに教会の説教では、出したとしても容認なのか反対なのか明確にする形ではなく、中庸な形で例として出しました。なぜなら、キリスト者としての霊的成長に役に立つ事はなく、むしろ「党派心」という肉の働きによって妨げになる可能性が大きいからです。

しかし聖書の命令に直接、抵触する主題については語ります。以前「クリスチャンの政治家」という記事でそれを取り上げました。ですから、何が聖書で明白になっているのか、そうでないのかを知る必要があります。今、「キリスト者の倫理」という文章を書いている最中です。そこで取り上げていきたいと思います。

【後記】
同じ課題を取り上げている、非常に同感、納得のいくブログ記事を読みました。教会に政治を持ち込むとどういうことになっているのか、よく考えておられます。

政治と教会の距離感について―同盟基督:「原発は聖書に反する」--理事会 見解を公表を受けて―

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