領土問題について考える

近隣諸国との関係が騒がしくなってきました。「政治とクリスチャン」また「クリスチャンの政治家」の記事において、このような時事問題と私たちの信仰の関係をお話しましたが、主に、クリスチャンにとって注目しなければいけない情勢と、注目はするが振り回されたり、惑わされてはいけない情勢の二つがあります。領土問題は、ひとえに「惑わされてはいけない」情勢になります。なぜか、理由をいくつかに分けてお話します。

1)国と民族と地境

神がバベルの塔において、言葉をばらばらにされてから、世界の人々が民族を単位として散らばっていきました。それは神の裁きの現われではありますが、憐れみの中でそれぞれに住むところを与えてくださいました。

神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。これは、神を求めさせるためであって、もし探り求めることでもあるなら、神を見いだすこともあるのです。確かに、神は、私たちひとりひとりから遠く離れてはおられません。(使徒17:26-27)

ですから、国境線を含めて神は与えておられます。しかし、これをパウロは、自然啓示の中で語っています。自然啓示とは、聖書でなくとも、神とキリストを信じていない人でも、自然に神に与えられた啓示であり、神が全ての人に与えておられる恵みです。

キリスト者は、天に国籍を持っていると同時に、この地上にいる間は、その地の住民として生きています。したがって、その中に国境線の問題もあるでしょう。したがって、ロシアとの北方領土問題、韓国との竹島問題、中国との尖閣諸島問題は、この国に生きる者として一定の関心を示す必要があるし、必要ならば国土を守るために行動に移さなければいけない時もあります。

しかしキリスト者は、特別啓示を受けています。特別啓示とは、神が聖書によって与えておられる神の知識です。初めは、神は人にこの地を支配するようにされましたが、人が罪を犯したので、それを失ってしまいました。しかしキリストが、この世界を贖うために地上に来られました。ご自身の血によって贖い、そして天に登られたのです。かの日には、そこから戻ってきてくださり、その所有権を行使して、全世界を神に引き渡し、ご自身がエルサレムから王の王、主の主として統べ治められるのです。

その時にキリスト者は、この方との共同相続が任されます。「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。(ローマ8:17)」北方領土、竹島、尖閣諸島を含めてすべての地は、キリストが地上に再臨されたとき、その主権と領有はキリストのものとなり、行政と管理はキリスト者各人に与えられるのです!

これによって、今の領土問題は関係があると言えばあるのですが、その見方は神の国の者にされていない人とは、根本的に違います。将来、これらの地は神の子どもたちに任されるのですが、それはこの世が展開している主張、デモ、武力によってではなく、「柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。(マタイ5:5)」とあるように、もっぱら神の前でへりくだりの生活を送っている人、悪いことをされても仕返ししない人、与えられている主からの仕事をしっかりとこなす人に与えられます。また、先のローマ8章17節によれば、キリストと共に苦難を受けている人が共同相続人になります。この約束は、黙示録2-3章の七つの教会への約束にも銘記されており、信仰をしっかりと保っている人々に与えられます(例:2:26‐27)。

2) 起こるはずのこと

昔から領土を巡る戦争はありました。そして、今もそれは全く変わっておらず、日本も例外ではありません。イエス様は、人の歴史でこのような対立が起こることを前もって予告されていました。

民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。(マタイ24:7)

今、私たちが日々聞くニュースは、産みの苦しみの始まりとして、世の終わりの徴であるのです。このことで私たちは惑わされてはいけません。イエス様はこうも言われました。「また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。・・・不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。(マタイ24:10,12)」日本と世界を立ち込めている怒りと憎しみの発露が顕著です。領土問題ではありませんが、イスラム教徒が世界各国で、ムハンマドの風刺映画を巡って米大使館を襲撃しているにも同じく、憎しみと怒りの発露です。

もちろん無関心であってはいけません。また、冷静になることは必要です。しかし、どんなに冷静を保とうとしても、どうすることもできない憎悪の火は必ず私たちの日常生活にも襲ってくるでしょう。現に、ちょっとしたことで“切れて”暴力を振るう人が増えています。他者を顧みない人が増えています。これらは、悪魔が自分の最後が近いのをしって暴れまわる、大患難における活動の前兆にしか過ぎません(黙示11:18,12:12)。

したがって、私たちはこの憎しみや怒りを汚れたものとみなし、心を主が守ってくださるように目をさまして祈っていなければいけません。道を歩いている数多くの中国人を見て、そうした偏見の思いが出てきますか?それとも、あるいはこれらの人々に、神の愛とキリストの福音を分かち合いたいと思いますか?後者の心で見るときに、神は必ず聖なる御霊であなたを満たしてくださいます!

3) キリスト者が迫害される前兆

そして、イエス様が警告された上の言葉に混ぜ合わされるようにして出てくるのが、次の言葉です。「そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。・・・また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。・・・しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。(マタイ24:9,11,13)

主が終わりの日に語られた時には、必ず迫害を予告されました。国と国、民族と民族の敵対があって、互いへの憎しみやつまずきが語られる中で、キリスト者への迫害を前もってお語りになりました。マスコミでもっとも無視される分野はここです。アラブの春によってイスラム原理主義が台頭しましたが、そこで最も大きな被害を受けているのは、中東のキリスト者たちです。エジプトでは今、前代未聞の大迫害の中にキリスト者たちがいます。全世界で起こっている宗教的迫害の被害の70%はキリスト者であります。

世情が不安になったとき、槍玉に挙げられるのがキリスト者です。世界的には神の選びの民であるユダヤ人が、そして信仰によってアブラハムの子孫になっているキリスト者が批判の矛先とされます。日本は約75年前、ある教会が神社参拝を拒否したことが、読売新聞の第一面に掲載されて、全国的にバッシングを受けていたのです。

日本のクリスチャンはこれから迫害を受けるのでしょうか?はい、受けます。いや、本来ならばもう受けていなければならないのに、多くのところで妥協しているために受けていない、また人数が少ないので世から相手にもされていない、というのが現状です。戦前、戦時中の日本の教会が、その大多数が背教したという事実を忘れてはいけません。

4) キリスト者による世界宣教が進むとき

しかし、イエス様はこのような終末の出来事の中で、まったく正反対の御霊による大洪水が起こることを予告しておられます。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。(マタイ24:14)

ここが大事な箇所になってきます。先ほど例えとして、道を歩いている中国の人に対して偏見を抱いてはいけないと言いましたが、むしろキリストの愛をもって福音を伝えてみようと思ったら、必ず愛の聖霊が働いてくださいます。これがイエス様の言われた、終わりの日における真っ二つの流れなのです。「この書の預言のことばを封じてはいけない。時が近づいているからである。不正を行なう者はますます不正を行ない、汚れた者はますます汚れを行ないなさい。正しい者はいよいよ正しいことを行ない、聖徒はいよいよ聖なるものとされなさい。(黙示22:10-11)

終わりの日なのですから、ちょうど強い電波が空中を飛んでいるけれども受信機で周波数を合わせたらきれいな音楽が聞こえてくるように、弱められている人々、事欠いている人、憎まれている人、卑しめられている人、そのような人々に心のベクトルを傾けると、主の愛がどんどん流れてきます。神は今、世界宣教をご自身の霊で力強く展開されようとしておられるからです。

5) 天には一つしかない民

彼らは、新しい歌を歌って言った。「あなたは、巻き物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。あなたは、ほふられて、その血により、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖い、私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。彼らは地上を治めるのです。」(黙示5:9-10)

バベルの塔事件によって、創世記10章にあるように世界に民族が散らされました。けれども、神はアブラハムを召されて、彼の子孫によってすべての民族を祝福することを決められました。それはもちろん、イエス・キリストによってです。この方の流された血によって、あらゆる部族、あらゆる国語、あらゆる民族、あらゆる国民の中から人々を贖い、そしてご自分の民とされます。

したがって、神の国の全体像を見たいと思われる方は、日本人だけを考えていたら分からないでしょう。世界の人々を見なければいけません。ユダヤ地方にいたユダヤ人は、ユダヤ人だけに福音を語りましたが、御霊に強く促される形で異邦人にも語りました。そこに至るには殉教者ステパノが必要だったし、ペテロに対する三回の幻が必要でした。それだけ彼らとっては不自然なことだったのです。私たちにとっても、他民族の人々が実はキリストにあって同じ民であることは不自然なことでありますが、しかし同時に、この幻に目が開かれた人々は、天にある聖会の前味を楽しむことができるのです。

パウロは、「ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。(ガラテヤ3:28)」と言いました。地上においては、確かに不信者の日本人と私たちは一つです。けれども、霊的には外国のキリスト者と私たちは一つなのです。

6) 神の幻を受け取る必要性

これでお分かりになったでしょうか?領土問題を見るときは、神の国が世界中に拡がっているイザヤ書にあるような幻を思い浮かべてください。そして、中国人、韓国人などの民族問題が気になるときは、主が見ておられるとき、神の民とそうではない人々の区別しかないことを思い直してください。もちろん、日本の民として私たちはこの地上にいる間、果たさなければいけない義務があります。領土問題に無関心であってはならぬでしょう。けれども、今は終わりの日です。神は私たちに幻を与えてくださっています。これを受け取って、かつての預言者と同じように、見張り人となっていかねばなりません(エゼキエル33:2)。