クリスマスを祝わないという人たちへ

クリスマスについて、クリスチャンの間でいろいろな意見が出てきていますね。それが異教から発生した行事であるということで、クリスマスを祝わないという人たちが結構多いです。またクリスマスの商業化に対する反発として、それを祝わないという人もいます。

教会暦の存在を知る

まず知らなければいけないのは、教会は、西方教会(カトリック)、東方教会(正教会)などの、古くからある教派の中で、一年を周期とした典礼を持っており、それを「教会暦」と呼んでいることです。

カトリック教会では主なものは例えば、

待降節 → 降誕節 → 主の公現 → 主の洗礼 → 四旬節 → 過越の聖なる三日間 → 復活節 → 主の昇天 → 聖霊降臨の主日 → 第8主日 ~ 王であるキリストの祭日

となります。

その中で、福音・聖書信仰からは相容れない伝統(マリヤの被昇天等)もありますが、キリストの初臨から再臨までの働きを順番に、行事を通して辿っていくという役割を果たしています。

旧約時代には、イスラエルも例祭(レビ記23章)があり、過越の祭りを始めとし仮庵祭で終わる、祭りを通して主の御業を覚える行事があり、そういった意味から教会が、キリストの働きをある時期に思い巡し、主を礼拝するということはとても良いことだと私は思うのです。

聖書で教会に対して定められている礼典は、バプテスマと聖餐式だけでありますが、初代教会は上のユダヤ人の守っていた祭りの形態もかなり踏襲した形で守っていたことは、例えば1コリント5章8節などを見れば分かることです。

カトリック等は、こうした典礼中心の活動をしています。そして宗教改革によって、聖書の権威に立ち返るという目的から、私たちプロテスタントの教会は聖書の説教中心の礼拝へと変えていったのです。ヨーロッパの歴史的プロテスタントの教会で、説教壇が二階に位置しているのは、御言葉がそれだけ高い権威を持っているのだ、ということを強調していたからです。

それでも、新教は古来の伝統の一部をそのまま続けました。降誕節(クリスマス)と復活節(イースター)、米国であればGood Friday(受難日)もありますし、聖霊の降臨も祝う節も祝っています。

ということで、クリスマスは聖書にはないですから祝わなくてはいけないものでは全然ないのですが、けれども繰り返しますか、主の御業を「思い起こす」という働き自体はとても良いことです。もしこのこと自体を否定するなら、復活祭も祝うべきではありません。聖餐式はまさに「思い起こす」という霊的営みを行っており、イスラエルの例祭もそれが目的でありました。

この祝祭が単なる形式的な行事と化す時に悪いと言える訳で、キリストの降誕を思い巡らし、そこでキリストと自分の関係を神に新たにしていただくことは真に奨励されるべきものであります。

昔の宣教方法

そして、イエス・キリストが12月25日に生まれたのではないから、クリスマスは祝わないという人がいます。もちろんこれは聖書に記述はなく、初代教会で守られていたわけではなく、一部の教会の文書に少し言及されていただけです。けれども、クリスマスの定義は「イエス・キリストの誕生日」ではなく、「イエス・キリストの降誕を記念する祭日」であります。ですから、別に12月25日に祝う必要はなく、例えば正教会では1月7日に祝われています。

そしてクリスマスの異教の起源を問題視することについてですが、確かに異教とキリスト教の習合はしてはいけないことです。けれども、説によっては元々の意図は、文盲や他言語を使っている異教の人々に布教する時に、またキリスト者を異教の行事へと向かわせないために導入した、という意見もあります。その意見が正しいかどうかは分かりませんが、もし正しければその意図は良いものであった、と私は思います。

これを日本の土壌に当てはめれば、理解がしやすいでしょう。「墓前礼拝」というのはいかがでしょうか?また「元旦礼拝」は?聖書に書いていません。そして、外見ではお墓参りをしているようです。元旦参りをしているようです。けれども、行なっている人たちは知っています。いや、むしろ異なる神々から離れてまことの神とキリストをあがめたいので、集まるのです。このように、キリストを思い、礼拝するために異教を改良して行なっていくというのは、宣教また信仰の定着化の助けになると私は思います。

もちろん宣教方法を誤れば、異教との習合に陥るという危険は当然あるでしょう。けれども、今の日本にとって「クリスマス」ってどうでしょうか?この言葉は、十分に定着した時期また習慣になっています。けれども、そこにはサンタはいてもキリストはいません。ですから、そのまま「キリスト」へ導く宣教として用いるのであれば、それは十分に活用できることです。

私は個人的に、以下の牧師さんの聖書の学びでクリスマスについての養いを受けました。クリスマスに反発したり、否定するのではなく、むしろクリスマスにまつわる聖書的な奥深い背景を知り、そして主を想い巡らす時にしたらいかがでしょうか?

「牧師の書斎」 アドベントの瞑想

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