ただ今、恒例のカルバリーチャペル宣教会議に来ています。こちら、カリフォルニアのミュリエッタ(Murrieta)は、砂漠の中にあるので、早朝は東京と変わりない最低気温ですが、お昼の日光を浴びると半袖でOKなぐらい暖かいです。
今回のテーマは「暗闇の中の光」で、イザヤ書9章2節から来ています。初めのセッションで、ブライアン・ブローダソン牧師は、今の世界がいかに暗くなったかを説明し、けれども私たちクリスチャンの働き人がすることは変わりないことを説明したそうです。そして今の宣教師や牧師には、若者を訓練して将来の指導者を育成するように勧めたそうです。
昨日(7日)の晩は、ハンガリーへの宣教の開拓をしたグレッグさんがテトス1章から、クレテ人を厳しく戒めている言葉から、私たちの心の純潔が保たれていなければいけない話をしました。イエス様は問題のある人(遊女や取税人など)ではなく、パリサイ人に厳しい戒めを与えられたように、「キリストの十字架と言う愛の視点」ではないすべてのものが不純物であることを話しました。相手をこきおろすことによって自分を正しくするという姿勢は偽善であり、神が自分を愛してくださり、自分が愛するという仕事以外に私たちはすべきことはない、と話しました。
そして今日の午前(8日)は、スタンさん(オランダへの宣教開拓者)による証しで、実際に、「神の国とその義を第一に求めて、必要なものが加えて与えられる」という原則を実体験したことを証してくださいました。
今日の晩は、ケンさん(ヨーロッパのどこかの国の宣教開拓者)が、エペソ3章の後半にある、やはり「愛」のテーマで、私たちが神の愛の深さを知る必要性を説いていました。米国で始めた教会を牧会している中で、自分の幼い娘を失い、さらに看護婦が親の育児放棄を訴えたりと、完全に打ちひしがれた時期のことを分かち合い、神の愛を知る時について話してくれました。
①火の矢のような試練のとき
②自分の失敗で懲らしめを受ける時
③愛の御霊のバプテスマを受ける時
そしてこの説教の後で、アフターグロー(afterglow 主に賛美を歌いながら、御霊の深い慰めを得るために互いに祈ったり、示された人が御言葉や預言の言葉を分かち合うなどする集会)を持ちました。
また後半の報告も後日できたらと思います。
「カルバリーチャペル宣教会議(1月7-11日)前半」への1件のフィードバック
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