ホロコースト記念日と主の救い

今、大変忙しく、イザヤ書講解の準備をしています。英語でしなければいけない講義で、四苦八苦しながら行なっておりますが、息抜きに在イスラエル日本人のブログ記事を見たら、思わず涙が出て、私も黙祷してしまいました。

ホロコースト記念日のイスラエルの様子

ウィキペディアに説明がありますが、ワルシャワ・ゲットー蜂起を起点として、ユダヤ暦の1月(ニサン)27日に行うそうです。その一週間前は過越祭で、その一週間後は戦没者追悼日(中東戦争で亡くなった人々の追悼)で実は今日が記念日、その後で今年65周になる独立記念日ということ。

私が涙したのは、普段どおりに車を走らせている人々が、サイレンの時間に高速でも停車して犠牲者のことを追悼したことです。どんなに忙しくしていても必ず立ち止まる、これは安息(シャバット)の原則ですが、同じく安息の主を信じているキリスト者は、主のことを思うために、どれだけ忙しさの中で無条件に、無理にでも立ち止まることをしているかどうか、自分を振りかえつつ反省しています。

そして、イザヤ書の学びをしている最中だったので、涙しました。そこには残された者、横暴な敵国の抑圧の中で苦しみ悶える弱く、貧しき者のために、主が救いの手を指し伸ばし、義とされた民が安全で平和な町に住むことができるよう約束に満ちています(例:イザヤ25‐26章)。ブログ記事の主は原爆のことを取り上げておられますが、原爆だけでも私たち日本人にかなりの痛手と苦しみを負っているのに、ましてや約六百万人の同胞が殺され、そのために帰還した民が今度はアラブとの戦いで死んでいき、その狭間で独立を果たすという苦難と辛苦の歴史を辿っています。

しかしそれだけに、その救いが、ただただ主からのみ来ることを想うのです。ここまで虐げられると、人間的な解決法の可能性は除去されます。キリストにある神の義にある救いと平和のみが、唯一の希望なのです。「その日、人は言う。「見よ。この方こそ、私たちが救いを待ち望んだ私たちの神。この方こそ、私たちが待ち望んだ主。その御救いを楽しみ喜ぼう。」(イザヤ25:9)

話は変わり、私は何人かの在イスラエル日本人のブログに立ち寄りますが、最近見つけたのは、とても面白い留学日記です。こちらにも、ペサハから続く記念日続きで連休になっている様子を楽しく紹介してくれています。「くまさんのイスラエル留学日記 ~ ふぁらふぇる ~

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