(前記事「慰安婦問題」の続き)
ところで橋下氏の意見は、「米軍は現状に目を向けなければいけない」と言いながら、実はご自身が風俗の実情に目を留めないという点で、非現実的で、夢想的ですらあります。性風俗における性病の問題、そして若い女性たちに、半強制的な状況で働いている者たち多くいるという現状、かつての日本の吉原にあったおぞましい惨状など、こうしたことには目を留めていないのです。そして実際にも、兵士の間に性病が蔓延し、それが兵力にも実際に悪影響を与えるという現実にも目を留めていないのです。
実は橋下氏は、なんと大阪職員の性的不祥事に対して、風俗を利用を勧めている発言を行なっています(記事)。したがって今回の発言は、軍というものを越えた彼の一つの信条に基づいていたものであるようです。彼は基本的に「男の性欲の大きさによって、女性が性犯罪を被ることがないでほしい、だから風俗を。」という歪んだ正義感があります。
そして、昨日の礼拝説教の中で、私は固有名詞を出しませんでしたが、彼の発言に触れました。神が与えれた尊厳の一つに「性」があり、風俗の利用は、女性の尊厳だけでなく、男性の尊厳を台無しにする行為であることを言及しました。
「「主のゆずりの地」1列王21章25-26節(原稿・音声)」から
「あなたの水ためから、水を飲め。豊かな水をあなたの井戸から。あなたの泉を外に散らし、通りを水路にしてよいものか。(箴言5:15-16)」これは、自分の性欲を見知らぬ女や他人の妻に使ってはならない、もしそれを行なったら豊かな潤いを失うことになるという戒めです。
しばしば「男の甲斐性」という言葉で、妻以外の複数の女を相手にした、こうしたことが男のプライドとして語られる空気が日本の中にはあります。男たちは心の奥底では薄々気づいているのです。たった一つの妻に、自分の性欲が用いられるところにこそ、男としての自尊心が豊かに保たれていることを・・・。そこにこそ、自分が男として神によって造られたのだという自信が生まれます。
男の尊厳が破壊された悲惨な姿も、箴言は克明に記しています。
子どもらよ。今、私に聞け。私の言うことばから離れるな。あなたの道を彼女から遠ざけ、その家の門に近づくな。そうでないと、あなたの尊厳を他人に渡し、あなたの年を残忍な者に渡すだろう。そうでないと、他国人があなたの富で満たされ、あなたの労苦の実は見知らぬ者の家に渡るだろう。そして、あなたの終わりに、あなたの肉とからだが滅びるとき、あなたは嘆くだろう。そのとき、あなたは言おう。「ああ、私は訓戒を憎み、私の心は叱責を侮った。私は私の教師の声に聞き従わず、私を教える者に耳を傾けなかった。私は、集会、会衆のただ中で、ほとんど最悪の状態であった。」と。(箴言5:7-14)
ここでは、社会的(「他人に渡し」)、経済的(「他国人があなたの富で満たされ」)、そして肉体的、つまり性病(「肉とからだが滅びるとき」)によって滅ぼされ、ついには霊的な恥辱(「会衆のただ中で」)に至るのです。
吐き出しても満たされない情欲
そして橋下氏のような発言は、その前提が間違っています。つまり、性欲の捌け口が必要である、つまり吐き出せば収まる、という前提です。これは人の情欲を全く理解していない、あまりにも短絡的な考えです。むしろ、ばい菌に餌をあげれば増殖するように、その機会を与えれば与えるほど、情欲は倍増し、満足するところを知らなくなるのです。むしろ死に絶えさせることこそが、最も効果的な性犯罪予防になることは、あまりにも明らかです。
つまり、そうした機会を作らないよう、その誘惑になるものを潰す。そして妻との親密な関係を構築する。そして何よりも、祈りと聖書の言葉、そして聖霊の力が必要です。
情欲が吐き出しても意味がないことを分かりやすく示すために、別の社会話題を取り上げたいですが、こちらの記事をご覧ください。ちょっと前の話になりますが、陣内智則と藤原紀香の離婚の原因です。
お笑いタレントの陣内智則と女優の藤原紀香の離婚報道が世間を賑わせている。陣内智則は、記者会見で離婚原因は自身の女性問題だと明言している。でもそれは芸人によくあるような浮気とは異なるようだ。報道によると、複数の女性とのべつ幕なしに肉体関係を持っていたという。彼は以前AV(アダルトビデオ)女優とも付き合っていた過去もある。彼は結婚後も大量にアダルトビデオを隠し持っていたが、それを妻に見つかって捨てられたという逸話も知られている。お笑いタレントと人気女優の結婚が格差婚とも言われ、陣内はシンデレラボーイとまで呼ばれていた。だれもが憧れる美人女優と結婚できたのに、なぜ他にも複数の女性を囲わないと気が済まないのか? 彼の逸脱した性癖はポルノ中毒から来ているのではないかと私は勝手に分析しているが、あたらずといえども遠からずだろう。今、ポルノ中毒が原因となる離婚が急増している。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/mgfchurch/view/200903?.begin=16
あの美人女優でしてさえ、彼の欲情を抑えることはできなかったのです。もう一人、タイガー・ウッズの不倫事件もそうでした。元妻のエリン・ノルデグレンは元ファッションモデルであり、姦淫の相手の女性よりずっと美しかったのです。これが情欲の恐ろしさです。情欲というのは、一度身を明け渡すと、その人を滅ぼすまで収まることを知りません。
日本の生身の姿が現れた日
橋下氏のような政治家による意見発言が目立ってきている今、実は日本人が元々持っていた宗教観と倫理観が如実に表れてきている時代になっていると思います。靖国問題のところで話しましたが、彼らが中韓の圧力がかかろうと決して参拝を止めないその姿勢は、単なる政治的野望だけの話では済まされない、いわゆる「純粋さ」があります。死んだから神仏になるという考え、そして多神教信仰こそが多様な価値観を摂取した、日本の寛容な伝統と文化の現われと信じているのが、日本人の宗教観の深層です。そして国の成り立ちを加えて真剣に考えるならば、やはり、無宗教施設ではなくどうしても「靖国神社」になるのです。
したがって、実は靖国神社は政治外交の問題を超えて、目に見えない霊的事柄の中に踏み込んでいる、実に解決しがたい問題になっています。
これと慰安婦問題は根っこが同じでしょう。つまり、日本人の倫理観の現れ、であります。日本人の感覚としては、「一般の女性が被害に遭うぐらいなら、それを合意の上で商売にしている女性たちが肩代わりすればよいではないか」というものでしょうか?有能な武人、政治家、文学者、教養人、そして仏僧の中で、妾や男娼を持っているのは当たり前とされてきました。また女性も、結婚前なら他の男性と関係を持つのが当たり前とされている中で、日本人が「不道徳」ならず「”無”道徳」であることは、はっきりしています。
多神教信仰と道徳観
遠藤周作は「黄色い人」という小説の中で、神父がいくら道徳的に堕落しても、罪に苛まされる、つまり神から離れられなかったのに対して、南無阿弥陀仏を唱えていれば許されるという多神教的価値観を持った、相手の日本人の女の対比を描いています。彼女が何気なくいった言葉です。
なぜ、神さまのことや教会のことが忘れられへんの。忘れればええやないの。あんたは教会を捨てはったんでしょ。ならどうしていつまでもその事ばかり気にかかりますの。なんまいだといえばそれで許してくれる仏さまの方がどれだけいいか、わからへん。http://www2k.biglobe.ne.jp/~natsuko/ryokou/endo_4.html
これが、ローマ人への手紙1章に描かれている、偶像崇拝と性的不品行の直接的関連です。
というのは、彼らは、神を知っていながら、その神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなったからです。彼らは、自分では知者であると言いながら、愚かな者となり、不滅の神の御栄えを、滅ぶべき人間や、鳥、獣、はうもののかたちに似た物と代えてしまいました。それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました。(ローマ1:21-24)
まことの創造の神をあがめないかったので、偶像に頼り、それゆえ心の欲望のままに引かれています。特に性に関して、自分の崇めている対象が偶像なのか、創造主なのかは、決定的な影響を与えます。
実は「日本」ではない!
これまで、私は「日本の・・」を連発していました。日本語で書いているので、日本の人たちに身近に感じ取っていただきたかったからでした。しかし、偶像崇拝も無道徳も日本人特有の問題でもなく、人間全体が実は元々が多神教的であり、異教的であり、そして無道徳的なのです。
上の引用聖句ははローマ人への手紙からですが、ローマ・ギリシヤ社会と文化の性倫理は今の日本よりもはるかに堕落したものでした。スパルタ軍は、青少年教育として同性愛を導入していました。ローマの皇帝はその多くが、両性愛者であったと言われています。
そして今やキリスト文化圏の中に入っている欧米ですが、元々は、このギリシヤ・ローマ社会において、ヘブライ人の聖と義の神による福音を使徒が伝えたことにより、彼らの中に聖と義の概念が入ってきた、とうだけです。欧米においては、社会規範の中に聖書の教えが入ってきただけで、その中身において私たち日本人と変わりない、異教的考えと欲情は持っていることは言うまでもありません。
イスラエルの神の救い以外は、世界は堕落し、裁かれるしかない状態だったのです。そして選ばれた民イスラエルでさえ、カナン人の宗教と性的乱れの中に陥り、彼らも滅ぼされ、約束の地から引き抜かれるという裁きを受けたのでした。
したがって、先に引用した、遠藤周作の「黄色い人」、つまり黄色人種の肌が黄色いように、日本人であるから汎神論的考えと無道徳は変えられないという考えは、完全に間違いです!同じ、いやもっと激しい偶像礼拝と性的不道徳の中にいた者たちから、神の福音の中にあるイエス・キリストの復活の力によって、神の聖と義の中に生きることができるようにされました。
あなたがたは、正しくない者は神の国を相続できないことを、知らないのですか。だまされてはいけません。不品行な者、偶像を礼拝する者、姦淫をする者、男娼となる者、男色をする者、盗む者、貪欲な者、酒に酔う者、そしる者、略奪する者はみな、神の国を相続することができません。あなたがたの中のある人たちは以前はそのような者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ、聖なる者とされ、義と認められたのです。(1コリント6:9-11)
これこそ良い知らせです、福音です!
とても興味深く読ませていただきました。
現実的な問題を解決するためにはどうでしょう。
「死に絶えさせる」のが人間そのものであるなら、それは現実的かもしれませんが。
2000年かけて広まってきたキリスト教の思想を持ってしても、現状がこういう世界である。
逆にいえば、2000年でよりましになっていることへの発見、感謝はあっていいと思います。
その上で、根本的に解決、原因を除く一案としてはイスラムの女性のベールというのはある程度、理にかなっています。男性の目から女性の魅力的な部分をできるだけ隠す、これはなかなか考えられたルールだと思います。自制ができない男性の謙虚さも伝わってきます。
が、これも女性蔑視といわれます。
男性と女性は別々に分けられて生活するべきでしょうか。
それは創造主の想いにかなっているとは思えません。
現状を全面的に肯定するわけではないけれども、道半ばであり、改善されている状況である、よりましである、という認識は大事です。
橋下発言については、現在法で許されている範囲で、不特定多数の被害を今よりも減らすための現実的な一案です。
(キリスト教文化の中で育ったはずの)酔った米兵が女性がいると思って民家に侵入、女性がいれば、レイプし、そこに男性しかいなかったら殴打する。そんなことさえ自分で制御できない若い米兵への対策としてはごく自然な発想と思います。
風俗に行く米兵が増えないとしても、彼女たちの現状は変わらないのです。そして、彼女たちを裁くことも私たちにはできません。
理想を語ることはもちろん大事ですが、一足飛びにそこには行かれない、なんとかここまできた、ということもお話ししていただけたらと思いました。
私たちが神を選ぶのではありません、神が私たちを一方的に救ってくださるのです。
私たちにできることは、ただ神を信じること、忘れないこと、だと信じています。
長文失礼しました。