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シリアの大統領が、対イスラエル戦も辞さない考えだという虚勢を張っていますが、ロシアの武器供与など、虚勢だけとは済まされない妖しい動きになっています。
<玉本英子のシリア報告>には、今のシリア現地に赴き現地の人々の取材をしていますが、「自由シリア軍」によるキリスト教徒の惨状をかなり伝えています。シリアのキリスト教徒は基本的に、反乱軍ではなくアサド政権を支持しているからです。なぜか?彼らにとって、強権の独裁政治であっても、その政権が世俗であるかぎり、イスラム原理主義の政権よりは良いと考えているからです。そして反体制勢力にアルカイダが牛耳り始めているのは、すでにかなり報道されていることです。
そして、中東の政治には「強権」しか存在しない。だから、「アラブ」の「春」という言葉自体が眉唾もので、政権が変われば前政権の指導者の死体が街で引きずられたり、カダフィのように冷蔵保存されて展示されたり、そのような目に見える形での政権移行セレモニーをしなければいけないなど、まず私たちが慣れ親しんでいる人権・自由・民主主義の原則からかけ離れたところに生きています。
そうした中で、連綿とアラブ諸国にはキリスト教会がありました。「キリスト教」というと「ヨーロッパ」となりがちですが、元祖は中東です。(イスラエルに行けば、東方正教による教会のほうが主体で西方教会のカトリックは“後発隊”であります。)もちろん、新生したキリスト者にとっては、彼らはあくまでも伝統的キリスト教徒であり、真の意味での魂の救いは得ていません。
とはいっても、そうした伝統的キリスト教徒の中から、新生体験を受けた人々がかなりの数で増えているという、驚くべき報告があります。(ムスリムから回心するキリスト者も大勢います。)私の友人で埼玉県入間市にいるアメリカ人宣教師は、お姉さんが日曜学校の先生で、一度、シリアの集会で御言葉を分かち合ったことがあります。その人々の熱狂に驚愕したそうです。彼女はバプテスト派の人ですが、新生の後の「聖霊のバプテスマ」をその時以来、信じるようになったそうです。中東ではムスリム勢力の台頭で数多くのキリスト教徒が国外に逃げている一方で、そのような力強い御霊の働きがあります。
だから祈らないといけない。イザヤ書17章1節、ダマスコが廃墟となるという預言がますます現実味を帯びてきている今、それでも3節に「アラム(シリア)の残りの者はイスラエル人の栄光のように扱われる」とあるように、主の救いにあずかる者たちを神が興してくださると約束しておられる。
マスコミのニュースというのは必ず「煽る」ように作られていますが、特に中東ニュースはその背景が複雑なので、私たちの日常感覚で脊髄反射してしまいがちな領域です。そこでこの報告は貴重だと思いました。
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