カルバリーチャペル牧者会議2013年

恵みの報告です。6月3‐7日に行われた牧者会議(Calvary Chapel Senior Pastors’ Conference 2013)に行ってきました。場所は、毎年一月に行っている宣教会議と同じ場所、カリフォルニアのミュリエッタ(Murrieta)です。6月2日に、午後礼拝を終えた後すぐに日暮里駅から成田空港まで行き出発、同日の午後1時過ぎにロスアンゼルス空港に到着し、カルバリーチャペル・コスタメサの夕拝とその前に行なわれる宣教師のための祈り会に参加することがでいました。今回は、妻なしの旅行でした。空港から教会までは乗り合いタクシーを使いましたが、そこに、3月末に短期宣教にいらした牧者スティーブン・オウさんに頼み、彼の自宅で一泊し、そこからいっしょに会場に連れて行ってもらいました。

私にとって初めての牧者会議です。これまでは宣教者としての奉仕に16年ぐらい携わっていたのですが、僕にとって牧者はとてつもない大きな神からの召しであります。そこに行くのも緊張したし、実際に最初の日は緊張していました。

けれども、こんなに濃密な主との交わり、互いの交わりができると思っていませんでした。そのことを分かち合いたいと思います。

一つは、初めから終わりまで進行役を務めたチャック・スミス牧師を始め、数多くの牧者たちがものすごく謙虚な人たちだった、ということです。謙虚というのはどういうことかと言いますと、その大役と大きな権威が神から与えられているにも関わらず、罪から救われたばかりの人と全く変わりなかった、もっぱら神の恵みによって生きているその喜びに満たされている人たちだった、ということです。だから、自分の教会の大きさがどうだとか、自分がこれだけのことを達成したとか、そんな成果の比較は微塵もなく、互いに兄弟として受け入れ、互いを喜び、励ましあい、祈り合う仲だった、ということです。そこに上下の差は全くなく、キリストにあって一つだった、ということです。

pastor_chuck_pastors_conference2013

二つ目は、交わりです。知らない人々との交わりも、積極的に、自然に行なわれていったばかりでなく、日本人のカルバリーの牧者、また日本の宣教に関わりのあるアメリカ人の牧者とも、実質的な深い会話が持てたことが本当に嬉しかったです。こんな風にキリストにあって対等の友達になれることは、私にとっては霊的にものすごい癒しと強みが与えられました。また、韓国系のカルバリーの牧師たちとも深い交わりができました。

三つ目は、鉄が鉄を研ぐことの必要性と安心感であります。「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる。(箴言27:17)」とありますが、牧者同士といえども、いや、同じ務めが与えているからこそ、意見を率直に言い合って、議論になることがあります。けれども、そこのすり合わせによって主の御心を見極めていくことができます。単に意見が異なることで、傷を受けたり、また傷つけたりするのではないかという恐れがないぐらいの、愛と信頼関係があるからこそできることです。

最後に、会議はもちろん賛美と御言葉による主への礼拝が中心の進行になっていました。今回は黙示録3章のフィラデルフィアにある教会に対するイエス様の言葉を中心に、一語ずつじっくりと見ていき、御霊が何を語っておられるかを聞き取ることがテーマでした。カルバリーチャペルで教えられていることの原点に戻ることができ、もちろんすべての教会に属している喜びに替わることはありませんが、カルバリーチャペルの交わりに入れさせてもらえて、本当に幸せだと思っています。

今回のメインのスピーカーで、カルバリーではない人は二人いて、Answers in Genesisという創造科学の働きをしておられるケン・ハムさんと、フランクリン・グラハム氏が説教をしてくださいました。どちらともとても貴重な、心に迫るメッセージをしてくださいました。それに、二人ともとてもリラックスしていて、彼らにとっても良かったのではないかと思います。

主の御霊が確実に、力強く働いておられることを確信しました。

イエス様、こんなすばらしい働きに、参加させていただけることを畏れ多く思いますし、また本当に感謝しています!

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