エジプトの「路上民主主義」

カイロでの流血・・・皆さんも気になっているニュースだと思います。この惨状をどのように見れはよいのか?

中東諸国の情勢は「力」勝負

第一に、中東というのは「力」で動いている地域だということを理解する必要があります。朝日新聞などは、モルシ氏が民主選挙で大統領になったのだから、軍部のモルシ派デモの鎮圧は民主化に対する反動だ、と口角泡を飛ばして主張していますが、嘘です。(過去に朝日新聞の購読をやめたのが、イスラエル・パレスチナ報道の偏向に我慢できなくなったからだったのを思い出します。)全然、文脈を無視しています。反モルシ派も同じようにデモを行っていたのであり(彼らが反ムバラク・デモの中心でした)、そこに軍部が介入してモルシ氏を追放したのであり、反・同胞団派と同胞団派の街頭と広場でのぶつかり合いに、軍部が実際の調整に入っているとしたほうが現実に沿った見方です。

もともと、ムバラク政権の時も、上からの強い力で民を抑えながら治めていたのですが、その時は外部の人たちはエジプトをそのように見ていなかった。一般の見方は、ピラミッドのロマンス、そしてイスラエルは弾が飛ぶ危険地域・・・、あまりにもお粗末な偏見です。私たち夫婦は2008年にカイロを訪れた時、合計たった三日しかいませんでしたが、出エジプトのパロのイスラエルに対する抑圧を思い出しながら、その押し殺されるような雰囲気をびしびし感じていました。そして三年後にあのデモが起こった時、「ああ、やっぱりね」と冷ややかな目で見ていたのです。

こういう時は、地域研究の専門家の意見を参考にして、文脈をもった客観的情勢分析に少し耳を傾けると良いと思います。

早稲田大学イスラーム地域研究機構主任研究員 鈴木恵美

一昨年のムバラク政権崩壊、そして今回と、街頭のデモ拡大を受けて軍が大統領に引導を渡した。選挙に基づく民主化ではない「路上民主主義」(鈴木氏)だ。「制度化された民主主義よりも、ストリート・ポリティクスの方が強いと人々は考える」(横田氏)。・・・

同胞団排除を歓迎するアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビアなどが、資金繰りの危機が続くエジプトへの援助を約束した。

同胞団支持派は盛んに米国の軍事支援を非難していますが、そのご都合主義にはため息が出ます。彼らはつい最近まで、同胞団に引導を渡すのに手助けした軍部をほめていたのです。その時に反米的態度を取っていても、なお軍事援助を受けていた軍部との協力で政治を進めていったのです。

そしてアラブ諸国は、軍部による同胞団の弾圧を喜んでいます。彼らは中東全域の広範囲に広がる、草の根的イスラム原理主義運動ですから、一部の過激派よりもある意味、もっと危険であると見ています。アラブ諸国は、反米、反イスラエルで表面上は団結しているように見えるのですが、いやいや、一枚岩には決してならず、遊牧民の部族間抗争のように、激しく兄弟に敵対していく歴史を辿っていました。

中東の情勢は、「預言通り」

第二に、エジプトなり、十万人以上の死者を出したシリアなり、すべて聖書に登場する国々であることに、いつも心を留めなければいけません。このような話をすると、「聖書時代の古代を現代の情勢に当てはめるのは行き過ぎだ」という人たちがいるのですが、私は反対に、「国民性って、そんなに簡単に変わるのですか?人間がそんなに進歩・変化するのですか?そうした見方こそ、欧米近代主義の押し付けです。」と言い返したくなります。聖書について、今をその時代の過去と切り離して考える時、そこに自由主義的な聖書の権威を引き落とす作業をしています。

エジプトも昔と変わりないのです。イザヤ書19章2節が今、起こっていることを神はしっかりと告げておられます。

わたしは、エジプト人を駆り立てて、エジプト人にはむかわせる。兄弟は兄弟と、友人は友人と、町は町と、王国は王国と、相逆らって争う。

このようにして、古代の黄金時代にしがみつき、その知恵を誇っているエジプトを裁かれることを神は前もって告げておられます。

中東の情勢を見る時、「キリスト教会」を忘れずに

最後、第三に、中東諸国にある過酷な状況があり、それが聖書に書かれていながらも、その地域に確かにキリスト者が存在していたことを、聖書は教えています。当時はエジプトの南部も含んでいたエチオピヤの宦官がピリポの伝道によってキリストを信じました。また主ご自身の両親が、ヘロデの手から逃げるためにエジプトに下りました。

そのエジプトでの滞在がきっかけとなって、エジプト発祥のキリスト教派ができ、それを「コプト教」と呼びます。そして最近の霊的大覚醒は、福音派教会のみならず、従来のコプト教の中でも起こっています。

シリアのキリスト教会にも似たような現象を見ています。福音派の教会のみならず、やはり従来の教派から霊的復興が起こっていたことを聞いています。シリアにしても、エジプトにしても、確かに抑圧的な独裁制(アサドやムバラク)であっても、彼らにとって、もっと恐ろしいイスラム原理主義をその政権が抑え込んで来たのですから、黙って支持してきました。というよりも、政治には声を出さないという立場です。

ところが、アラブの春によって、彼らに対する迫害は一気に増加しました。彼らの恐れていることがそのまま起こったからです。こちらの記事を読まれると良いと思います。

イスラム過激派に脅えるコプト教徒

モルシ支持派による、キリスト教徒への暴力事件の地図

コプト派は、暴力どころか政治に関わることさえ避けてきました。今回のアラブの春で政治的介入に積極的意見を言い始めました。私は東京で、日本にまで来て亡命申請をした、コプト教徒の方に会ったことがあります。モルシ政権になって、コプト教徒への圧力は非常に強くなったのです。そして反モルシ・デモには、彼らも参加するようになり、軍部が介入して彼が追放された時は、共に喜びました。今の軍部による激しい同胞団支持派への弾圧も、「なぜ、これまで放置しておいたのか。」と、むしろ支持しているというところまで追い込まれていました。支持派によるコプト派への暴力があまりにも酷かったのです。

以上が、今、起こっていることに対する私の見方、また祈りです。決して、平べったい「民主化」という言葉によって現実を無視した見方をしないように。そして、聖書の言葉の確実性を確認して、ますます終わりの日に生きていることに目が覚めるように。さらに、キリストの教会がこの試練を通してさらに練り清められ、光り輝くように祈ります。

参考記事:エジプトで再びクーデター

次の記事:「エジプト - 扇情と洗脳の再現

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