教会の使命と福音の本質

先ほど、食い入るようにして読んだ二つの小論考があります。ある教会の牧師さんが書かれたものです。

必要なことはただ一つ ~多元社会を生きる教会の役割~

ただキリストを伝えよう ~教会が宣べ伝える唯一の福音~

ここまで、しっかりと整え、礼拝中心の教会、キリストのみの福音を分かり易く論じておられると、とても感心しました。もちろん細部には、意見の違うところがいくつかありますが、本質では100%同意ですし、私自身、大きなチャレンジを受けました。

①の「多元社会を生きる教会の役割」では、まず「教会の役割ではないもの」ということで、企業ではない、カウンセリング・ルームではない、政府ではない、福祉施設ではない、学校ではない、と続きます。

企業ではないというのは、リック・ウォレンの「目的主導教会」に代表されるような成功哲学に基づく、いわゆるメガ・チャーチの考え方です。これの哲学は日本の教会に深く浸透しています。次の二つのブログ記事をご覧くださると良く分かります。確かに今の教会がこのようになっていて、私たちはこのようにならぬよう、熾烈な信仰の戦いを祈りと御言葉によってしているのだと思います。

いまどきの教会について、ちょっと考える
自分を高めようとする危険

そして教会がカウンセリング・ルームではないということも、教会では、人々が自分の問題の相談を聞いてもらうことを主眼とする誘惑が強く働きます。相談を聞いてもらえなかったから、教会から離れるとする圧力を、牧者も信徒も感じていることでしょう。

さらに政府ではない、というのは、私がこのブログで何度も主張したことです。キリスト者は右から左まで政治的意見はいろいろであり、ただキリストにだけあって一致している。この牧師さんは反原発運動について、マルクスに牧師がはまることを取り上げておられますが、私も今の世代の牧師たちが陥っている思想への傾倒について主張しました(「山本太郎氏当選に思う」「全共闘・反動・日本の誇り」「秘密保護法案とキリスト者の迫害」)。教会として意見を発するのは、直接、私たちの信仰告白に抵触する時、であります。教会が政治的論点に深く関わると百害あって一利なし、ということが本論考でよく説明されています。

そして、福祉施設については、社会正義にもつながることです。この誘惑は、例えば東北救援・復興支援の時に私も少し感じました。社会にある無尽蔵の必要に対して、福音伝道の中での慈善行為でなければ教会は力を失うと私も感じました。

そして学校ではない、というところは、本論考ではこの時代が「情報社会」になったことを挙げて、情報を得ることが主眼となるという強い流れを詳述しておられます。その被害の場所が説教です。説教においてイエス・キリストという人格のあるお方を伝えるのではなく、聖書知識の情報披露の場になります。この話を読んでいて、去年の日本のカルバリーのカンファレンスで第一ヨハネから、グノーシス主義という異端が、今のインターネットによる情報収集に通じる危険性を浮き彫りにしていたことを思い出しました。

そして、では教会の役割とは何かが、第二章に書いてあります。一にも二にも、「礼拝」だということです。これこそが教会が教会として生き残ることの唯一の道であり、言い換えれば「神の御言葉に応答する」ということです。そして礼拝における具体的な内容をしっかりと説明しておられます。

そして多元社会において、この礼拝中心の教会が確立されれば、教会から社会へと地の塩、世の光となりえる話をしています。

最後に、終章で、牧師と信徒の役割も記してあり、牧師は絶対に、祈りと御言葉に専念することを強調しておられます。礼拝のために仕事しているのだと断言しています(これは日曜礼拝だけでなく、他の集まりの小礼拝も含みます)。そして信徒が、牧師がこの務めに専念できるよう、教会形成に務めることと礼拝遵守について話しています。そして最後に「教会の役割」として、マリヤの例を挙げて、ただ一つだけであり、御言葉に聞く礼拝に一筋になりましょう、と仰っています。

②の「ただキリストを伝えよう」は、大胆にもガラテヤ書でパウロの語る「異なる福音」との熾烈な戦いから話を始めておられます。内容は、福音は「成功」ではない、「癒し」ではない、「イデオロギー」ではない、「道徳」ではない、「情報」ではない、ということで、①の教会の定義とほぼ似た内容を取り扱っています。私はこの詳しい説明で、いかに異なる福音が身近に迫る警戒しなければいけないものか、熾烈な戦いのゆえに福音の純正を保っていくものであるかを痛感しました。

そして、第二章では、教会が宣べ伝える唯一の福音として、「ただキリストだけ」を前面に出しておられます。「だけ」ではなく「キリストよりも~」に変質していくものになっていくが、悔い改めて、「~よりもキリスト」に変わらないといけないと力説しておられます。

そしてキリストの何をもって福音なのか?ということについて、「復活こそ福音の第一の扉」としてあげておられるところに感服しました。そうなのだ、これこそが第一です!そして第二の扉が「十字架」であり、その十字架の役割も詳述しておられます。そして第三の扉は主のご生涯そのものであり、この方に過激にも倣っていくことが私たちキリスト者の召しでしょう。そして、その他の書物はイエス・キリストを証言しているのです。旧約聖書を教える時もイエス・キリストであり、もちろん使徒の書簡はイエス・キリストを説明しています。

そして、この世の潮流や世界観と対照、対決させてみなければいけない、そうすることによってキリストの恵みが鮮明になり、新鮮になり喜びを保つことができる、と述べておられます。

そして福音がもたらす産物を列挙しておられます。

長くなりましたが、今の社会を預言的に見て、教会と福音を明確に語っている良質な文章だと思いました。

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