多神教の排他性

前回の、小沢氏によるキリスト教批判に応えて書いた記事「自浄努力の重要性」への補筆です。良い記事を今日、見つけました。

一神教は排他的で多神教は寛容という虚構

欧米のキリスト教やイスラム教の宗教戦争(?)に反発してキリスト教を批判する民主党寄りの方(この記事を参照)も、日本人への愛国心涵養と称して、神社参拝(靖国、伊勢に限らず)を日本人全員すべきだと考え、参拝しないことを売国奴、似非クリスチャンと言って罵る保守系(?)の方々も、ぜひ全文、読んでいただきたいです。ここには最後の部分だけ引用します。

本人が絶対的な信仰を抱くことと、他者に寛容であることは別問題であり、両立可能な要素である。クリスマスを祝い、神社に初詣に行き、葬式は仏教で行うことが寛容ではない。信仰に無節操・無頓着であることを寛容と勘違いし、それを他人に強制することは不寛容の極みである。反対に強固な信仰を有している人がいたならば、その信仰を尊重することが寛容である。一神教と多神教で区別するところから不寛容の罠が始まっている。

(参照エッセイ: 「国家国旗問題」)