カルバリーチャペルの衝撃

ボブ・コイ牧師の辞任

カルバリーチャペルにおいて、おそらく最大の教会である、フロリダ州にあるカルバリー・チャペル・フォートローダーデールにおいて、その牧師、ボブ・コイ(Bob Coy)が姦淫の罪を犯したことで、突然辞任したニュースが、4月3日以降に入りました。こちらに日本語の記事があります。

カルバリー・チャペルに激震

 私は、4月3日以降、ニュースを読んだ時にそのとおり、心に激震が走りました。フェイスブックにおいて次のように書き残しています。

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「不道徳や教会の金銭の不正使用に拠ることよりも、兄弟を告発することによってもっと多くの教会が壊されてきた。粗探しが我々の社会にあまりにも浸透しており、ほとんど『ミニストリー』の地位にまで引き上げられてしまっている!」(フランシス・フランジパーヌ)

既に英文の記事が数多く、ある著名なカルバリーチャペルの牧者の犯した罪についてFB上でシェアされています。そのほぼ全てが良い意図でシェアされていますが、私自身はあまりにも悲しくてただ泣いており、また主に対する畏れで震えています。

ここでの希望と慰めは、本人も含め、教会が厳格に聖書に基づいた戒規に則り動いていること、次に教会の兄弟姉妹が溢れるばかりの愛をその家族と本人に向けていることです。彼がこんなにも愛され尊敬されていたのか、と驚くばかりです。

私は批評する立場にありません。執り成す立場にあります。また自分自身を吟味し、裁く立場にあります。自分の仲間、つまり日本のカルバリーチャペルの牧者や宣教者のために互いに祈る立場にあります。

あるコメントで、こんな内容のものがありました。ノアがぶどう酒で酔いしれ、全裸で寝ているところをカインがじっと見て、軽蔑し、あざけっていた。けれども、セムとヤペテは、その裸を見ないで後ろ向きで覆いを持ってきて父にかけた、という内容です。「顔を背けて、父の裸を見なかった」とあります。

これが今の私の思いにぴったりです。忘れたい・・、けれどもそれは抑えているだけで、悲しみが心から溢れてきます。でも、これでいいんだと思います、これが主が与えられている吟味の時、また内なる罪の告白の時です。

そしてこのことについて議論せずに、前に向かっていく。当教会の人々を始め、直接関係しておられる方々が実に知恵深くこの問題に取り組んでいるので、彼らのために陰で祈るけれども、声高に是々非々を語りたくありません。主の御手にゆだねたい気持ちです。
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上の記事を書いた村上密牧師に、お礼のメールを書きました。不祥事であり、恥ずべきことなのですが、なぜか心には平安がありました。お返事があり、カルバリーチャペルがアメリカで健全な取り組みをしてきていることを大変評価している、ということで、教会の回復の取り組みが実を結ぶことを願っている、という内容でした。

私も、ウェブサイトで彼らの礼拝の様子を眺めていましたが、彼らが主イエス様だけを見つめて、しっかりと信仰に立っている姿を見て感動しています。先だってのイースター礼拝では、フランクリン・グラハムが招かれ、イエス様を受け入れる招きに大勢の人が応答しました。

続けて祈っていきたいと思います。

教理・理念を巡っての振り子

私はこのブログにて、前々からアメリカの教会で起こっている動きについてつぶさに書いてきました。その一つがイマージング・チャーチEmerging Churchと呼ばれるものです。実は、この動きが一時期カルバリーチャペルの中にも入ってきて、チャック・スミスの息子である、チャック・スミスJr.がその動きに乗ったために、カルバリーから離れたという経緯があるほどです。また、リック・ウォレンについても本ブログで何度も書いてきました(例:「リック・ウォレンに物申す」)。リック・ウォレンについても、その接触についてカルバリーチャペルの中で右往左往した経緯があります。村上密牧師は、その件についても記事にして書いておられます。

カルバリーの戦い

 私は、この記事を読んで、内部から見た者として、また別の側面の情報を数多く村上牧師に送らせていただきました。大まかには正しい情報なのですが、事実はもっと複雑であり、実は教理の戦いというよりも、理念の戦いであることを説明しました。つまりこういうことです。

①イマージング・チャーチやリック・ウォレンについて、カルバリーの牧師の間では、教えや実践において「間違っている」ということで一致している。ここでは意見の相違はない。
②しかし、そうした人々と完全に接触を断ち切るのか?周りに壁を作って自分たちだけの仲間を作るのか、それとも接触をもってもっと大きなキリストの体の一部として働きかけるのか?という理念上の違いです。

数多くのカルバリーの牧師は、後者ほうを選んでいます。私自身もそうですが、リック・ウォレンの教えることや実践は到底、同意できるものではありませんが、もし私たちの教会に、そのような教会に行っていらした方がいらっしゃっても歓迎したいと思いますし、そのような教会に通っておられる方とも交わりたいと思っています。

けれども前者を選んだ人々は、カルバリーチャペルから離れる人々も一部にいます。けれども、内部メールを読むかぎり、もっと、組織的な運営上の意見の違いであったり、また互いに友好的であり、大きな問題にはなっていないなと安心していました。

ブライアン・ブローダソンについて

カルバリーチャペル・コスタメサでは、チャック・スミスの娘婿でもあり、カルバリーチャペル・ビスタの牧師で、英国に宣教活動をしていたブライアン・ブローダソン(Brian Brodersen)が、90年代終わりからコスタメサの教会の副牧師となり、チャックの傍らで補佐する奉仕をずっと続けていました。私たちは、その頃から彼の牧会の働きを見、聞いてきました。彼に宣教報告をしたりしていますが、一番の感謝は、彼が海外宣教に情熱を持っていることです。彼がこの教会に赴任して以来、私たち自身の宣教も霊的に強められたと言っても過言ではありません。

今、スタッフをしている人がブライアンについての特徴を紹介している記事があるので、こちらにリンクします。

The Right Guy for the Job (任務に適任な人)

 三つの特徴を挙げていますが、一つに「聖書教師」であること。次に「若い世代を育てようとしている人」、そして三つ目に「世界宣教に情熱を持っている人」であります。

ブライアンの牧するカルバリーチャペル・コスタメサの様子は、こちらのMediaでじっくりと見ることができます。彼については、私もいろいろこのブログでも紹介させていただいた通りです。

http://www.calvarychapelcostamesa.com/media/

ブライアンについての要らぬ噂

そうした中で、先ほど話した②のうち、前者を選ぶ人々の中から、ブライアンやグレッグ・ローリーなど、カルバリーの主要な指導者について、あることないこと非難するようになってきました。そして、その一つが村上牧師の依拠しているLighthouse(ライトハウス、「灯台」という意味)という「ミニストリー」です。

私もずっと前から、このサイトを見ていました。けれども、どんどん先鋭化していって、重箱の隅をつつくようなことを言い始めました。リック・ウォレンに接触しただけで、「イマージング」「エキュメニカル」「背教者」という断定になります。そしてブライアン自身、あること、ないこといろいろ言われました。しかし、ブライアンは支持していません。彼はむしろ、この動きを警鐘する前面に出ていた人で、本も書いた程なのです。

Emerging or Submerging: Exposing the Emergent Movement’s Liberal Views(Amazonで購入 ・ Free eBook
(出現か水没か:イマージング・ムーブメントの自由主義神学を暴く)

同じくグレッグ・ローリーもこの動きを警鐘しています

Lighthouseの記事を読めば、根拠に欠けたものです。

①「イマージング・チャーチは危険な動きだ」
②「リック・ウォレンはその教えを取り入れている」
③「グレッグやブライアンはリックと付き合いがある」

この単純論法で断定しているだけです。

Lighthouse自体についての暴走を警告している記事があります。

In Defense of Calvary Chapel: Say No to Lighthouse Trails(カルバリーチャペルを擁護して:ライトハウス・トレイルズにNOの声を)

アメリカには、Lighthouseのような「見分けのミニストリー(Discerning Ministries)」というものがウェブ上に大量に出ています。そのことについての警鐘です。ジャーナリズムにおいて「裏取り」というものが存在するのですが、それが一切なく、ネット上に流れている情報を切り貼りして、「これは背教」「これは偽りの教え」と断定していくサイトです。クリスチャンのジャーナリストの説明も紹介されており、ブログ等は、表現の自由が制限されているところでは非常に有効だが、キリストにある兄弟を互いに攻撃する材料になっていると嘆いています。

またApologetics(弁証論)という名の付くミニストリーも、たくさんあります。これは初めは、世俗的な価値観や他宗教を信じる人々に対して、キリストにある希望を弁明する働きでありました。ところがだんだん、キリスト教の中にある逸脱に焦点を合わせるものに移ってきました。そして、説教者がこれこれ言った、と言って偽の教えであると断定するようなものに変容しました。

今でもたくさん、すばらしい見分けのミニストリーや弁証論の働きはあります。しかし、こうした暴走も一つの大きな憂うべき現象となっています。そして、ここ数か月は個人的に衝撃を受けています。私たちはブライアンを遠くからですがずっと見てきて、絶対に嘘だというようなことを平気で語っているのが分かるからです。

村上先生へ感謝

以上、記事を書きましたが、実は初めは、そのLighthouseのサイトに書いてある「ブライアンは、イマージングを支持している」という文章を紹介しておられましたが、私が彼の書いた本を紹介したところ、削除してくださいました。感謝します、公平な”見分け”をしてくださいました。

私は、村上先生には、もっと大切なことに時間を割いていただけたら大変うれしいと願っています。ブログは、ずっと拝読しておりました。福音主義の立場に立ちながら、カルト化した教会で被害を受けた人々のために多大な犠牲を払っておられる方です。ですから、これからも心の支援を送りたいと思います。この話題は、ここら辺にしたほうがよい理由は以下の三つの通りです。

①イマージング・チャージ自体が、日本の教会に来ていない。だから、多くの時間を費やすには早すぎる。
②リック・ウォレンは実用主義・機会主義者であり、イマージングそのものはその手段にしか過ぎない。彼の主要な教えではない。ゆえに、リック自身は日本に紹介されているが、それほどの影響ではない。
③カルバリーチャペルとイマージングの関わりを見るのは、極めて矮小な世界である。しかも、私たち日本のカルバリーは非常に小さな群れだ。ある意味、日本の教会全体を背負っているような働きをされているのに、この細部を眺め、それを記事にする時間は正直、無いと思う。

けれども、一つの教会の群れが、教理においてどのような戦いをしてきたか、という事例としては、もちろん学ぶべきものはあると思います。そういった意味で、カルバリーチャペルの件を取り上げてくださったのは有益だったと思います。改めて感謝します。

「カルバリーチャペルの衝撃」への6件のフィードバック

  1. いつも,フロリダから ブログ読ませていただいています。初めてコメントします。私はカルバリーフォートローダーデールに12年かよっており、奉仕もしています。やはり, パスターボブの記事を見ると2週間半ほど経ちましたが今も悲しくなります。初めて辞任のことを聞いた時は,ショックで寝られませんでした。そしてそのショックは次にまるで裏切られたような気持ちでいっぱいになりました。起こるはずのないことが起こってしまったという感じです。しかし次の水曜に行われた讃美と祈りでは、入りきれないほどの兄弟姉妹が集まりみんなで泣きながら主を讃美しました。教会も大きくなって今まで主ご自身ではなくパスターを祭り上げていた人たちもいたのは確かだと思います。でもそこであれだけ多くの人が今主を心から讃美しているのを見て、パスターボブがこれだけの人たちをキリストに導いたということ、こんなことがあっても私達の教会が強く立っていつことを見て、私の気持ちも徐々に平和になっていきました。どうぞ祈り続けてください。ありがとうございます。

  2. ご投稿、ありがとうございます。私も涙が出てきました。続けて祈ります!

  3. 水谷潔さんが、こちらのブログをリンクしてご自身、記事を書いておられます。

    アメリカ大教会の牧師、不祥事辞任、その背景とそこからの教訓

    私は、次の段落が特に心に入ってきました。列王記や歴代誌を見ると、善王であってもそのほとんどが晩年、逸脱をしている姿を見るにつけ、神からの警告をもっと真剣に受けとめなければいけないと強く感じました。
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    聖書に登場するリーダーの70%は、晩年に残念な状態となり、生涯を終えているとある方からお聞きしました。知人牧師からは、「列王、歴代誌を読み進む中、主にある僕たちが倒れるのは働きの前半、中盤ではなく、後半戦」「C.S.ルイス著悪魔の手紙の中には、患者(クリスチャン)を長生きさせることが何よりも重要。そうすれば背信に導くチャンスはいくらでも出てくるとの趣旨が書かれている」とのコメントをフェイスブックでいただき、深く納得です。
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  4. カルバリーチャペルが、どのような新しい指導体制になったのか、かつてのものとの違いを垣間見ることのできる記事が、次にあります。ブライアン・ブローダソンがChristianity Todayの取材に答えています。

    The Case for Big Change at Calvary Chapel
    Being ‘culturally conservative’ hurts movement’s relevance, says Chuck Smith’s successor, Brian Brodersen.

    「カルバリーチャペルの大きな変化の妥当性」という大袈裟な主題になっていますが、副題のほうが正確です。「『文化的保守』が、カルバリー運動において世代へのつながりを傷つけている、とチャック・スミスの後継者ブライアン・ブローダソン」

    神学的に保守の立場は一切変わりません。けれども、いつのまにかアメリカの保守文化を教会の中に取り入れてしまっているのではないか、教会は元々、イエス・キリストの福音のみに立つ共同体ではないのか?という問いかけです。例えば、説教壇からいつも同性愛が罪であることを語っているべきであろうか?ということがあります。もちろん同性愛は罪です。そして新しいカルバリーチャペルのウェブサイトには、信条の中に、男女間の結婚についてを明記した条文を、むしろ以前にはなかったものを付け足しています。

    けれども、どの聖書の箇所を教えていても、頻繁に「同性愛」の話題を持ち出していたらどうでしょうか?カルバリーチャペルは、聖書を順番に漏らさないで教えるところです。同性愛の話題が出てきたら、その時にしっかりとその罪を指摘しますが、私たちが神に命じられていることは、他に数多くあります。・・・こういうことをブライアンは話しています。

    そして一月の宣教会議では、ブライアンは禁酒についても話しました。特に宣教地においては、お酒が未信者の人たちから出されることもあり、その時にどう対応するのか?という事も議論していました。この「自由」が違いだと言えます。

    同性愛の事例に戻れば、同性愛結婚合法化反対の話を教会でするよりも、同性愛者の人々にどのように福音を伝え、彼らがキリストにあって回復するのかという大きな挑戦のため考え、祈ることが教会の本来の使命ではないか?ということもあるでしょう。

    こうした違いです。私はこの変化は歓迎したいです。

      

  5. クリスチャン一人ひとりが、「裁くこと」の意味をきちんと理解すべきと思います。
    よく「裁いてはいけない(マタイ7:1)」を引用し、罪(悪)を放ったらかしにしていいような(罪を犯していることに対する言い訳として)、解釈をしている人がいますね。
    しかし、聖書の他の箇所を読むとき、「戒め」としての裁きの必要を説いていると思われます。
    またそれとは逆に、揚げ足取りのように、細かいことまで指摘する人もいます。しかしそれもまた違っていると思います。
    マタイ7:1の訳としてリビングバイブルの「人のあら捜しはいけません。」というのが適訳ではないでしょうか。

    コロサイ 3:12~16のみことばを、いつも心に留めておきたいと願います。
    「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。
    キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。」

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