とんでもない題名をつけてしまいました、でも本気です。まずは今朝見つけた、次のビデオをご覧あれ。
感動しました。すべて素顔の女性は美しいと思いましたし、特にかつらを取った後の彼女はなんと美しいことか!私は化粧を否定するものではありません。しかし過度に化粧をしていく中で、次の二つのことが心の中で進行しているのではないでしょうか?
1)自信がない
2)流行に乗りたい
2)については、黙示録18章をご一読を。これが流行の正体です。1)について詳しく話します。
私は海外から日本に戻ってくる度に、ストレスが溜まることがあります。それは、きれいすぎる女性たちを見ることです。その「きれいすぎる」というのは、ちょうど上塗りだけした、脆く壊れやすい物と似ていて、何か少しでも外的ストレスを加えると崩れ落ちてしまうような「外見上の美しさ」であります。
そのような日本にいても、ほっとする場所があります。それは教会です。私が大学生の時、通っていた大学が大学だったのですが(笑)、キャンパスでは化粧とファッションでかためていた女子学生が歩いているところを通りすぎ、宗教センターでクリスチャンの祈り会に参加したとき、そこにいる女性たちがなんと美しかったことか!化粧なし、あるいは薄化粧でした。そして、救いの証しをします。そこから、自分のプライドを壊して、勇気をもって語られるその声は、恵みに満ち、美しさを放っていました。
「彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。(1サムエル16:7)」
「あなたがたは、自分たちの間で差別を設け、悪い考えで人をさばく者になったのではありませんか。(ヤコブ2:4)」
「同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、むしろ神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行ないを自分の飾りとしなさい。(1テモテ2:10)」
「あなたがたは、髪を編んだり、金の飾りをつけたり、着物を着飾るような外面的なものではなく、むしろ、柔和で穏やかな霊という朽ちることのないものを持つ、心の中の隠れた人がらを飾りにしなさい。これこそ、神の御前に価値あるものです。(1ペテロ3:3‐4)」
ご自分には、分からないかもしれません。しかし、「父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。(ヤコブ1:18)」御言葉を聞き、それを心から信じ、受け入れている貴方は、新しい性質に変えられています。内側の美を持っておられます。そして、美しい自然界の初穂として選ばれています。しかも、回復した神の国における被造物の初穂なのです。そこから放たれる美ですよ、確実に、自信を持ってください!!
【付記:注】
女性の方(普段はノーメイクの方)から、「ノーメイクって「恥ずかしい」とか、「しないのは失礼?」みたいな感覚もありますね。」というコメントをいただきました。私の返答は次の通りです、教会にいらっしゃる時これから化粧してはいけない、ということではないので、よろしくお願いします。<(_ _)>
「そうですね、場に相応なメイクってしたほうがいいと思います。職場でもそうですし、公の行事ではそうでしょう。教会もある意味で公に集まっているので、適度なメイクをする方々もいて当然だと思います。けれども、ここの歌のビデオで取り扱われている内容は、「自分の素顔に自信のない人たちが化粧をしていたけれども、いや、化粧をしないで鏡を見ても、この顔、結構いいじゃん。」という内容なのです。こっちですね、私が気になるのは。要旨は、『あなたは神に造られた美を持っている、クリスチャンなら内なる美があるのだから、なおさらだ』ということです。:)」