今、ようやく少し落ち着いてブログ記事が書けています。11月1‐5日は、なんと二つの修養会が連続して持たれました。
① 2014年秋の合同修養会(11月1‐3日)@藤野芸術の森
去年から、カルバリーチャペル西東京との合同の修養会が始まりました(参照ブログ)。2011年に始まったばかりのLCFにとって、教会がカルバリーチャペルの特徴を保ちながら、かつ日本に根づくために、聖霊が、他の日本人によるカルバリーチャペルの教会との修養会を用いておられるのではないかと私の心の中では思っていて、今回も期待していました。
牧師の山東さんと話し合いながら、かつてアメリカのカルバリーチャペルの牧者会議で山上の垂訓をテーマにしたカンファレンスが行われたこと、山東さん自身、過去にそのテーマで修養会を教会で行っていたこと、それから私がたまたまその牧者会議のビデオを誰からかもらっていて未だ観ていなかったことなど、いろいろな用意がありました。前回は、自分の方法で、世の方法で教会をやっていこうとするコリントにある教会を取り組みましたが、今年は、「この時代に置かれている教会」ということを意識して、「世界の光です」と主が弟子たちを呼ばれたこの箇所を見ていくのは、大変有意義であろうという、何となくですが思いが与えられていました。教会の内側だけを見て、そこでの活動や人間関係のみを見てしまいがちな私たちですが、世界で起こっていることを視野に入れながら神の国の幻を眺めることで、初めて今、私たちが置かれている位置を確認することができ、それで初めて「敵を愛しなさい」とまで言われる、イエス様の過激ともさえ見える言葉を受けとめられるのではないかと思いました。
また、「貧しい者は幸いである」から始まるイエス様の言葉、これが「空っぽ」という意味を知ることから私たちの福音理解が始まることを、しっかりと学びました。つまり、山上の垂訓が、高尚な道徳でもなく、また自分たちには守れないもの、守らなくてよいものという意味でもなく、まさしく「キリストと共に十字架に自分が、キリストに内に生きていただくことによって生きる」福音そのものであることを知りました。
単に聖書の学びをしているだけ、また教会で会うだけでは味わうことのできない、兄弟姉妹との交わりの中におられる聖霊を体験できる、大変貴重な宿泊の時です。何気ない会話、いっしょにご飯を食べること、いっしょに寝ること、朝からデボーションによって時間をイエス様にあって過ごすことなど、いろいろ楽しめます。中には、高校三年生の受験勉強中の兄弟もおり、時間の合間に勉強している姿を見るなど、生活の全てにおられるイエス様を見ました。そして紅葉がきれいだった!日本は何と美しいのだろうと思います。
② 2014年奥多摩リトリート(冊子の表紙)
恒例になってきましたが(参照記事)、カルバリーチャペル所沢主催で、日本で主に仕えているカルバリーチャペルの牧者や宣教師たちが集まって、ハワイからのカルバリーチャペルの牧者たちをスピーカーに招いて、共に交わる時を持っています。今年も去年と同じく、カルバリーチャペル・ホノルルの牧者ビル・ストーンブレーカー、その息子でもあるバッド・ストーンブレーカーさんがいらして(参照記事)、そしてカルバリー・ホノルルの役員でもあり、かつYWAMハワイの総主事でもあるダニー・レーマン(Danny Lehmann)さんがいらしてくださいました。彼はカルバリーチャペルの初期、イエス革命が起こっている時に救われた人ですし、ハワイではYWAMで活動しながら、ホノルルの教会で神に仕え、地域教会の大切さを良く知っておられる方です。
テーマは「神に仕える人」で、テモテへの手紙第一を一章ずつ学び、セッションを6つ行いました。氷川キャンプ場のキャビンに、50名近くの男たち(しかも、体格の良いアメリカ人が多数!)が入って、肩を寄せ合いながら主を賛美して、御言葉を聞き、そして近くの温泉にも一緒に入って、牧者トラビスの作るハワイ風の味付け料理のてんこ盛りでお腹をいっぱいにする、霊肉共に内容の詰まったリトリートです。(ちなみに、リトリート(retreat)は英語で「引き下がる」という意味があり、日本の教会では「修養会」と訳されるのですが、修養ではなく日常の忙しさから離れて一緒に主にある交わりをするという意味合いから、そのまま英語で呼ばせていただいています。)どんな様子か録画しましたので、主にある楽しみが伝わってくれるのではないかと思います。
今回は、これまでに増してものすごく語られました。テモテ第一に書かれている内容と、山上の垂訓のテーマとが重なりあっていました。イエス様は福音に生きることを弟子たちに宣言し、最後に偽預言者たちを警告しましたが、まさにテモテの置かれていたエペソの教会では、終わりの日の徴でもある偽の教えが押し寄せていた状態です。教会の中における健全な教えからの逸脱という強い圧力の中で、なおのこと信仰の戦いを戦い、単純な、神の恵みのよる救いを固持していくことを、若き牧者テモテにパウロが信仰の息子として命じている手紙です。これまで私自身、心の中で呻くようにして一体、日本に置かれている教会としてどのような方向を主が示しておられるのだろうと探索していましたが、はっきりとその行くべき道が示されて、主をほめたたえました。
以上、二つの修養会を、一部の賛美も含めて説教をすべて録音しました。
そして、教会の兄弟が次のブログ記事で、写真付きで報告しています。
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