リビアの海岸に流された聖い血

後藤さんのイスラム国による斬首に引き続き、ヨルダン空軍中尉の火あぶりの映像、そしてリビアにおいて、出稼ぎ労働者のエジプト人コプト教徒(エジプト発のキリスト教一派)21人が、リビアの地中海の海岸で斬首される映像が流れました。ヨルダンは前者により本格的空爆を開始、同じくエジプトもリビアにあるイスラム国支部の拠点への空爆を開始しました。(参照ブログ:「安倍首相の中東歴訪から見える聖書世界」)

我々キリスト者全てに対するジハード宣言

その映像に出てきた言葉、セリフは、政治的目的だけでなく、キリスト者に対する宗教的ジハードであることが明言されています。

「血で署名された十字架の国民へのメッセージ」

人々よ、最近あなた方は長い間十字架を掲げる者の斬首をする、シャムとダビク(シリアのこと)の丘の我々を見てきたが、今日、我々はローマの南側、イスラムの地、リビアにいる。ここからもう一つのメッセージを送る。

すべての十字軍へ:お前たちが我々に対して一つになって戦っているのであれば特に、安全があなたにあるようにと願いたい。お前たちがシャイフ、オサマ・ビン・ラデンの体を隠したこの海で、アッラーに誓って、それをお前たちの血も混ぜ合わせる。

私はこれまで、「主よ、来てください」という言葉を初代教会の信者たちに倣って使っていました。しかし、これほど重く、その言葉の意味が心に沈みこんだことはありませんでした。ある方がフェイスブックで以下の文を残していました。

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★「血で署名された十字架の民へのメッセージ」と題された映像。
エジプト人クリスチャンの殉教
「殉教者の血は教会の種。」(テルトゥリアヌス 160年? – 220年? キリスト教神学者)

「あなたがたによって殺害されるたびに、われわれは増えていく。キリスト教徒の殉教の血は、種である。」(テルトゥリアヌス)

「キリストの教会は、他のだれかではなく、自分の血を流し、その血を土台として築かれた。襲いかかるものに立ち向かうのではなく、耐えることによって築かれた。迫害が教会を成長させ、殉教が教会に栄光を与えた。」(ヒエロニムス 340年頃〜420年 キリスト教神学者)

主よ、あわれんでください。主よ、来てください。
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主の十字架を担いだリビア人

この写真にある、海岸線を首ねっこを掴まれて歩かされている、兄弟二十一人の姿を見て、私は聖書の世界を思い浮かべていました。
220px-CireneGinnasio1999
リビアの地中海海岸に、「クレネ」という古代ローマ都市の世界遺跡があります。

ウィキペディア(「キュレネ」)

「クレネ」・・この町は私たちの主イエスの十字架を、担いだシモンの出身地なのです。

そして、彼らが出て行くと、シモンというクレネ人を見つけたので、彼らは、この人にイエスの十字架を、むりやりに背負わせた。(マタイの福音書27:32)」

これが私たちの主と、クレネとの接触の始まりであり、クレネなどリビアにいるユダヤ人やユダヤ教改宗者の間でイエスをメシヤとして受け入れる人々が起こされました。

フルギヤとパンフリヤ、エジプトとクレネに近いリビヤ地方などに住む者たち、また滞在中のローマ人たちで、ユダヤ人もいれば改宗者もいる。またクレテ人とアラビヤ人なのに、あの人たちが、私たちのいろいろな国ことばで神の大きなみわざを語るのを聞こうとは。(使徒の働き2:10-11)」

聖霊がエルサレムの弟子たちに、五旬節の時に降った時にそこに立ち合わせていた者たちが、悔い改めて、この方を来るべきメシヤであると信じ、水のバプテスマを受けたのです。そして、彼らこそが異邦人への救いをもたらすのに福音宣教で用いられた兄弟たちなのです。

ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。(使徒の働き11:20)」

彼らの存在がいなければ、異邦人信者も混じったアンテオケの教会が生まれなかったのかもしれません。そして、指導者の間にはクレネ人がいました。

さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。(使徒の働き13:1)」

私は、あそこで首を切られた兄弟たちの血が、まさに私たちの主を間近で目撃したシモン、そしてこれら福音を語った兄弟たちと思いが重なりました。ゆえになおさらのこと、「主よ、来てください。」の言葉がずしりと重く自分に入ってきたのです。涙しながら「主よ、この言葉はそういう意味だったのですか、分かりました。」と祈りました。

リビアに対する神の裁き

かつては、初代教会の時代、中東全域に広がった福音は、その地にいる人々に受け入れられていきました。イラクではアッシリア人クリスチャンがおり、シリアにもシリアの正教会があり(パウロがダマスコに福音を伝えたとこから始まる)、エジプトはこのコプト教会があります。しかし、七世紀にイスラムが台頭してからイスラム圏の中に入りました。しかし、これらキリスト教徒は脈々と、少数派としての信仰生活を守ってきました。そして、その教会群の中で霊的復興が起こっており、数ある驚くべき御業を見ることができます。(参照ブログ:「今一番、世界が見ないもの その2」)

しかし、リビアに対しては終わりの日に裁きが預言されています。

ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。(エゼキエル書38:5)」

ヨセフスはプテをリブロス、すなわちリビアとしました。「プテ」は今のリビア、アルジェリア、そしてチュニジアの一部を含む国でした。マゴグ(南部ロシア)の地のゴグは、ペルシヤ(イラン)、ゴメルとベト・トガルマ(トルコ)、プテ(スーダンとエチオピア)などと一緒にイスラエルを攻めますが、その中にプテもあります。内戦状態になったリビア、そしてイスラム国が形成されつつあるリビアが、イスラエルを攻めることは容易に考えられることです。

そして、リビアは反キリストの支配下に入る舞台となります。

彼は金銀の秘蔵物と、エジプトのすべての宝物を手に入れ、ルブ人とクシュ人が彼につき従う。(ダニエル書11:43)」

この「ルブ」はリビアのことです。平和の君として世界に登場する、「荒らす忌むべき者」は全世界を掌握、自分を礼拝するように強制します。そして、反キリストは麗しい地、イスラエルに攻め入り、北・中部アフリカにも足を踏み入れます。引用聖句はそのことを言及している部分です。

しかし、主が憐れんでくださいますように。裁かれる地においてさえ、主は悔い改め、立ち返る者には、信仰によるアブラハムの祝福を受けるようにしてくださいます。

参照記事:BIBLE PROPHECY AND THE FUTURE OF LIBYA(聖書預言とリビアの将来)

「リビアの海岸に流された聖い血」への5件のフィードバック

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