今の日本人キリスト者に迫る約20年前の出来事
(前記事の続き)
本日はお休みの日にしているということで、フェイスブックで、ある方の紹介で「神々と男たち」という題名の映画を観ました。次のような説明文があったからです。紹介されていた方のフェイスブックの投稿で、次のように説明しておられて、今日はこれを鑑賞しようと思いました。
「タイトルに関連した詩篇82:6,7から始まる、1996年に起こったノンフィクション映画です。最近のISISによる事件ともかぶるので観るのに気が重くもありましたが、永遠の視点について考えさせられる良い作品でした。
アルジェリアで現地のイスラム圏の人々に寄り添いながら神に仕えていたフランス人修道士8人。しかしクリスマスイブにイスラム武装派が修道院に乱入し、このことを機に軍と武装派との争いに巻き込まれることとなります。次の襲撃では殉教すると分かっている修道士たち。フランス政府からも勧告を受け、このままとどまるべきか退去すべきか意見が分かれ、悩み、祈り、もう一度人生を見つめ直します。
死を恐れるあまり夜中に神に助けを叫ぶ一人の修道士が、朝日が差し込む礼拝堂で静かに主の前にひざまずいて祈る姿が印象的でした。また、どのようにするか決断した時に修道院長が語った「野の花は光を追って動くことはない。神は花のある場所で受粉して下さる」。彼らは最後までキリストを見上げ、人生を御手に委ねていました。」
上の説明にもあるように、これはアルジェリアで起こったティビリヌの修道士殺害事件に基づいた映画です。イスラム国による後藤さんの斬首、エジプト人キリスト教徒のリビアにおける斬首を想起させ、決して日本人クリスチャンが無視できない課題を含んでいると思いました。
観た後の思いはとても重かったですが、しかし信仰者としての葛藤と、十字架に付けられた主に我が身を任せていくその麗しい姿の両方を見ることができ涙しました。
現地の人々と共に生きる使命
映画には、「その人々と共にいなければいけない」という使命を宣教師たちは何度となく語ります。自身、海外宣教の地にいた者として痛いほど伝わりました。そして宣教者と言えども、心にある葛藤、主の御心を知るまでの過程をしっかりと描いており、カトリック信仰と言えども、キリスト者全般に通じるテーマが貫かれていると思います。(私が違和感があったのは、イスラム教徒であっても分け隔てのない救いがあるようであるかのように話されていたこと、また死んだ人その人たちに対して祈りを捧げる、死者のための祈りなのか?と思われるような祈りがあることです。しかし、これらをもって、信仰者のあるべき姿勢を学ぶことはできないという事は決して言えません。)
原発事故後も残った宣教者たち
私はここで、あと二日後を待つ東日本大震災の第四年目を思わずには入られませんでした。私たちはその被害が津波だけでなく、原発事故もあったことをよく知っています。この事故で、人々の心自体が津波以上になおさらのこと明らかにされました。
私たちが見たのは、二種類の宣教師たちです。しばしば在日の外国人の動きについて語られたのは次のことでした。「東京国際空港の出発ロビーには出国を急ぐ外国人でごった返し、到着ロビーには救援活動をしようとするクリスチャンでいっぱいになった。」私が涙したのは、毎日、何十通の海外からのメールを受け取り、いかにして支援することができるのかを問い合わせる内容でした。約三週間後に、私たちカルバリーチャペルの仲間も、救援活動に行きましたが、そこで、涙を流している現地の方々の感謝は、私たちだけでなく背後で支援しているそのような兄弟姉妹に向けたものだと感じました。
参照ブログ:「仙台被災地救援旅行4月4日」「東松島・石巻救援旅行 4月5日」「石巻・東松島救援旅行 4月6日」「若林区&相馬救援旅行 4月7日」
私の周りには、深く信頼する宣教者たちがいます。このような危機において、「このような時にこそ、宣教者として来た意味がある。帰国しようなどという思いは全く起こらない。そのような行為は私の主に唾をかけるような行為だ。」と言っていた兄弟がいました。全く動じることなく、日本の人々と共にいたということ、そこに私たちは彼らにキリストご自身を見るのです。
そして私たちと共に救援旅行に行った宣教者たちも、福島第一原発からどれだけの放射能が出ているか分からない中で、むしろ主にある喜びをもって仕えていた姿を見ました。相馬市の農家で泥出しをして、それから東北自動車道に乗るために飯館村すれすれのところを西に横断したのですが、そこは放射能が流れていったと言われた所です。私も同じ思いでした。放射能に対しては「正しい恐れ」を抱くべきという専門家の言葉がありましたし、決して無視していませんでしたが、この時こそキリストの愛を示す命令を受けているという思いがありました。
逃げていった宣教師たち
そういう背景があったので、宣教師と呼ばれる人々で沖縄に逃げていったとか、帰国したとかいう話を聞くと、何とも言えない苦しさを感じます。欧米の宣教団体には、帰国命令を出したところが少なくなかったと聞きます。私たちの住んでいる近くには、韓国系の人たちが住む東京下町がありますが、お店を閉鎖したところが多いです。放射能を恐れてのことです。しかし、韓国人の牧会する教会で、同じように数多くが日本で閉鎖されました。彼らが帰国したからです。私は、残された日本人や韓国人の信者がどのような思いになったのか、想像ができません。
その中でも共に生きた、救援旅行も共にした韓国人宣教師や韓国から来た牧師もおり、やはりその人たちへの信頼は非常に強いものとなりました。
「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」(箴言17章17節)
そうした宣教師や牧師たちを裁いてはいけないと思っています。けれども、宣教という意味を考える中で、逃げるということはどういうことなのか、今回の映画のように真剣に考えてもらいたいと切に願います。
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