以下は、私の勝手なつぶやき、独り事です。来年への抱負を含めて・・。 初めは、一キリスト者としての意見というよりも、一国民としての意見です。主に日韓関係のことですが、どちら側からも批判を受けそうです。(汗)独善も多分に含まれているかもしれません。
私の安倍首相に対する評価は高かったですが、今回の日韓合意でさらにアップしました。
それは政治家としての手腕です。おそらく個人的に持っている彼の思想というのは、かなり右寄りでしょう。私個人は、ちょっと付いていけないという思いを持っています。しかし日本の国益というか、日本の代表者としての使命(野望かもしれませんが)がその個人的信条を上回っています。もちろん、これからも一国民として注視していきますが。
そして、朴槿恵大統領もそのような人と私は見ています。
参考記事:「日韓慰安婦合意・歳暮のサプライズと「後暴風」」
慰安婦問題について、安倍首相と朴槿恵大統領はその問題意識について両極を示唆、発言しながら、実はその共通の価値を選択する政治を行ないました。たぶん、取引としては安倍首相のほうがやや勝っていた、しかし朴槿恵大統領も手腕を発揮しています。 このようなことは外交の場面で数々起こってきました。反共で知られていたニクソンが、72年に電撃訪中をしました。そこから今の米中関係の安定化が始まっています。1962年、シャルル・ド・ゴール大統領も、アルジェリア戦争でその独立を助けたことで、ヨーロッパ系の入植者が裏切られたと思いました。
73年に第四次中東戦争を起こしたサダト・エジプト大統領が、その戦争の成果で国民に英雄視されてのち、すぐにソ連からアメリカに路線変更、77年になんとエルサレムに訪問、そして中東の大国エジプトがイスラエルと和平条約を79年に結びました。それで67年の第三次中東戦争で失ったシナイ半島を外交努力で奪還しました。ベギン首相も、大イスラエル主義を綱領にしたリクード党の創始者でありますが、その彼がシナイ半島からの撤退を英断したのです。それで、中東全体の安定の基礎が築かれたのです。
安倍政権の世界戦略「価値観外交」
政治家というのは、いろいろな案件を持っています。だから、一つの案件にだけに固着していません。そして、何十年先にこの国がどうなるのか、どう進むべきかという視野を持っています。そういった意味で、私は安倍首相の外遊とその演説に着目していました。彼の国際戦略は、「価値観外交」「自由と繁栄の孤」です。そのためには、日本のリーダーシップについて、国際舞台の中で通じる言葉で話さなければいけない。彼はこのことにかなり神経を使っていた感じがします。
安倍首相を支持している人々は、不思議なことに韓国に対峙する人が多いです。しかし、私は彼は親韓だとずっと思っていました。朴槿恵氏が大統領に就任して直後に、韓国のジャーナリストを官邸に招き、長時間の取材を受け、歴史問題、竹島問題、それらの案件に積極的に返答していました。そして今の慰安婦問題の日韓合意を見ますと、突然行なったのではなく、初めから語っていたことでした。彼は初めから痛恨の思いを表明していたのです。ですから謝罪の思いは初めからあったと私は予測していました。
安倍氏や自民党の古い人たちは、自由・民主主義の勢力圏の防波堤のような地政学的位置に付いている国を、最も大事な隣国だと思っています。歴史的にも朝鮮は日本と交流があり、植民地時代に日本が精力を入れて統治した。戦後は、韓国の政界、経済界との太いパイプを持っていたのは、自民党の古い政治家たちです。その反面、社会党などの野党は親・北朝鮮でした。今は、日本の野党は韓国の野党とも協力できないでしょう、なぜならば、韓国の左派は右派よりもさらに民族主義的であり、日本に相対する朝鮮統一がその前提にあるからです。
支配者の心を動かす神
そして信仰者として話しを戻しますと、私はこれらの全ての政治家たちの思惑は、神が自由自在に彼らの心を動かし、ご自分のことをなされていると信じています。ここで、どちらが正しいのか、神の御心はどちらなのかという神義論で語るには限界があると感じています。 私は一国民として、自由・民主主義の勢力圏の中にいることを願いますが、しかし信仰の中では共産・社会主義圏、イスラム圏も含めて、すべては神の国の舞台です。神の目には、社会主義の中国と自由主義の日本は同じように見ておられると思います。事実、世界的に脅威とみなされる中国の拡張の中で、霊的には大いなる祝福であるリバイバルが中国本土と、国外の中華人たちに広がっています。 つまり、こうした政治の動きは何が正しいかということではなく(そして政治というのは、私たちの純粋な思い、信仰とは全く別の次元で動いていますから、往々にして「汚い」ですから)、このことを通して主が何をキリスト者に命じておられるのかに、耳を澄ませたいと感じています。
バビロンに取り囲まれたエルサレムの人々は、それから救われることを願い、それを果たそうとする者たちが王の周辺にいました。それを後追いしていたのが、多くの預言者らです。しかし、神の御心は、バビロンをご自分の僕として用いることでした。バビロンから救われるか、そうでないかは、神にとってどうでも良かったのです。それよりも、彼らが神殿礼拝の形態を持ちながら、心や生活は偶像で一杯であったこと、これが問題だったのです。そのための、バビロンによる包囲だったのです。 したがって、政治の動きで議論している中で、自分が正しいと思っていることは、神の義に照らしたら、蟻よりも小さい狭小な見方なのだということを忘れないようにしたいと思っています。ちょうどヨブと友人の議論のように、矮小な話なのだと。ソロモンが伝道者の書の最後でいったように、結局のところ、「主を恐れることが全て」なのだと。 来年も、目まぐるしく社会が世界が変化することと思います。すべきことをしっかりとわきまえていきたいと思います。
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