教会の最大の脅威:「イエス様のファン」

平和への妨げ「被害者意識」」に引き続き、「東アジア青年キリスト者大会(第六回2016年)」で語られたメッセージで、心に残っているものを紹介します。永井信義牧師(福音の群・東北中央教会牧師)によるものです。

音声:「イエスのファン? 」ヨハネ6章26-27節

クリスチャン新聞の記事:「恵まれるだけでなく、従って

nagai_shiぜひ音声を聞いてください、とっても面白いです!(中身は22分辺りから)とても深刻な(?)問題を、若者向けにチャレンジを与えるように語ってくださっています。福音書にある、イエス様に付いていっている群衆と、イエスの弟子との違いを話し、それから野球場における、ファンと選手の違いを話しました。ファンは「もらう」ためにイエス様を応援しますが、選手はイエス様のプレーの一部になることができます。自分を通してイエス様が生きて働いていること、その御業の中に入っていることを経験します。そこには「捧げる」ことが必要です。

多くの人が、教会から離れています。日本では福音的クリスチャンは0.5%、実に、教会に定期的に通っている人はそのうち50%しかいません!(資料)ここで、日本のクリスチャンを打ち叩きたいのではありません。いいえ、その反対に、日本でクリスチャンになったのは神が、御国の精鋭部隊にしたいから、神に選ばれて大きな期待が寄せられているから選ばれています。私たちの信じているのは「御国の福音」であり、神の国に入ることであり、ゆえに「忠誠」や「献身」がその特徴になっています。


【補足投稿】殺される前に殺す戦い(霊的に!)

時間のある方はお読みください。「敵を愛することと自己防衛」というフェイスブックの投稿について私が自分のフェイスブックに投稿した内容をこちらに転載します。

とても考えるのに良い論考。日本は、「自分たちを抹消、殺害する人々がいる」という前提が想像できないために、こうした自己防衛論の甲乙以前に、全く勘違いの、話のかみ合わない議論を展開しがち。聖書のイスラエルも、そして今のユダヤ人も歴史の中で、自分たちが生存していること自体が脅かされる中に生きている。日本人は危機管理で「最悪を想定できない」としばしば言われるが、最悪のシナリオを仮定することそのものが「そんなことを考えるなんて、とんでもない」と悪い事であるかのように考える。

このような戦いの概念しか日本人にはないので、霊的にも大きな悪影響を及ぼしている。

聖書に出てくる数多くのイスラエルの戦いが、相手が全滅を意図しているので、戦いの勝利そのものが「救い」という言葉になっている。罪からの救いを、戦いの勝利の中で使徒たちは語っている。悪の勢力をキリストが非武装化し、滅ぼされること、それ自体が「救い」である。しかし「私たちは本当に滅ぶのだ」ということを想定していないために、それでキリストの十字架の救いも理解できない。「自分は生存できる」という絶対的な前提で全ての物事を考えているので、クリスチャンになったと言っているのに、十字架の意味が分からない人が意外に多い。

ある牧師さんが書いた文章で、英国海軍の信条は「我が国の防衛線は我が国の海岸線ではない。敵国の海岸線である。」ということを書いていた。それに対して、「先制攻撃に結びつきそうで怖い。侵略にもなりそう。」というコメントを他の人がしていた。日本人は、後者のように考えるのが普通だろう。しかし、イスラエルも、四国よりわずかに広いぐらいの狭い土地であり全滅を意図している仮想敵国は十倍を下らないほどいる。先制しなければ全滅するという惧れがあって、それで防衛していく。今も、西岸にてイスラエルの諜報機関が、まだテロ行為を行なっていないのに、蓋然性のある者たちを摘発していくが、それもこの概念だ。

この概念には賛否分かれて然りだろう。しかし霊的には違う。「もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。しかし、もし御霊によって、からだの行ないを殺すなら、あなたがたは生きるのです。(ローマ8:13)」これはまさに、「殺すか、殺されるか」の世界である。こうした能動性と俊敏性、また、相手への先制的な攻撃性、これがあってこその御霊による勝利である。

日本人は、「自分が殺さなければ、相手に殺される」という前提が想像できないので、霊的にも受動的になり、迫りくる危機に対して後手後手になり、その場限りの対処しかできないことが多い。しかし日本は、猛烈に悪魔が要塞を持っている御国にとっての最大敵国の一つだ。何が敵かを明確にして、「自分は戦士として選ばれた」のだという決然とした覚悟を持ち、勇敢に戦うように実は召されているのだ。

日本でクリスチャンになったということは、とてつもなく大きな恵みであり、神の選びだ。他の国であれば、宣教師になるぐらいの献身が、新しい霊の誕生を経た時からすぐに求められる。まさに、日本でキリストの体、教会を建て上げることは、圧倒的な武力と火力を持つ敵陣の中に、小さな部隊が、包囲されたかたちで降下する空挺部隊のようなものである。迅速な準備と即戦力が求められる。しかし、神がこのことを知って私たちはこの地に置かれた。だから、そうした気概をもって、今週も主にあって勇敢に戦おうではないか!

「教会の最大の脅威:「イエス様のファン」」への3件のフィードバック

  1. とても興味深い論考です 安保法案についてどのようなお考えかお聞きしたいところですね キリスト者から初めてまともなお考えを伺ったような・・・

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