先日投稿したFBの記事です(一部編集)。
日本の福音派の一部による動きを見るにつけ、私は「本当にもったいない」という思いがしております。日本のことを思う思いは一杯あるでしょうに、それがあまりにも、偏りすぎた、この世にある政治活動と変わらないような形で行われているからです。しかし私たちキリスト者がキリスト者たらしめるものがあります。それはキリストを主と掲げる告白と、祈りと、賛美、そして福音宣教です。これこそが、この日本を救うという信仰は、キリスト者の内で一つに、強固に持っているはずです。
神だけに希望を置く祈り集会
世界には、それぞれの国で大きな危機、岐路に立たせられた時に、キリスト者が一つになって祈りを捧げるということが行われています。アメリカでは、Decision America Tourという全米各地での祈り会、自分たちの国のための祈り会が推進しています。アメリカを救うのは政治家でも大統領でもない、神ご自身だという信仰で祈り、そしてキリスト者が必ず投票に行き、また公職にキリスト者がもっとつくことができるように促しています。争点はそこでは話しません、たくさんの祈りを捧げることのほうに集中し、判断はキリスト者の内におられる聖霊にゆだねます。
上の写真を見てください、「私は共和党にも民主党にも希望はありません。この国の唯一の希望は神です。」と書いてあります。参院選を控えている私たち日本国民にも同じことが言えるのではないでしょうか?
「私は自公連立にも、民進共産の共闘にも希望はありません。我が国の唯一の希望は主イエス様です。」
彼らがどんな政治運営をするのかは注視しますが、決して忘れてはいけないのは、それを動かすのは神ご自身だということです。ですから、私たちが神に祈り、為政者の心と思いを動かしてくださるよう、知恵を与えてくださるよう祈るべきです。
通りで死者も出る危機の時に
そして、下ののビデオをご覧ください。これは2011年11月11日において、カイロ郊外のキリスト教徒の住むスラムの町にある「洞窟教会」にて、12時間連続の賛美と祈りの集会を行なった一コマです。合計7万1千人が集まりました。時はアラブの春、カイロではデモに対する鎮圧が行われ、キリスト者たちからも犠牲者が出ました。そしてイスラム原理主義組織、ムスリム同胞団が権力を握る危機があった時です。
しかし、彼らは反イスラムを掲げませんでした。むしろ、「悔い改めと神に立ち返る」という主題での祈りであり、ムスリムもクリスチャンも、国会議員も、みなに神の祝福があるようにという祈りで始まったものです。ビデオにあるように、とにかく、イエス様の名を掲げて、どんどん賛美して、それで祈り、時間を費やします。喜びと笑みに満ちた顔、それこそ危機の時にも大勝利を収めているキリスト者の表情ではないでしょうか!
結果、ムスリム同胞団のムルシ政権が誕生しました。しかし反クーデターが再び起きて、シシ軍事政権になりました。これは、中東の事情をご存知の方はよくお分かりだと思いますが、朗報なのです。自身ムスリムでありながら、イスラム過激主義のイデオロギーと戦えと聖職者らに訴え、コプト教会とムスリムとの和解を推進する大統領だからです。強権に戻ったと私たちの眼鏡でみたらそうでしょう、しかし、中東のキリスト教徒は、世俗の独裁政権によって自分たちの信教の自由がイスラム主義から守られてきていることを知っているからです。(参考記事)
対抗ではなく、執り成しを!
日本というものに対抗・敵対しないで、私たちの国を愛し、キリストを掲げる祈り会を開いていただけたら、と思います。映像にあるように、彼らは賛美・祈りの集会の中でエジプト国旗を元気よく振っています。決して矛盾しません、むしろエジプトの国のために祈っているのですから、当然のことです。我々は、本来なら日の丸を振り回してよいのです。日の丸に反対するのではなく、キリストの主権の下に取り組んでしまえばよいのです。
関連記事:「指導者への執り成し - 安倍首相のために祈る」
>私たちキリスト者がキリスト者たらしめるものがあります。それはキリストを主と掲げる告白と、祈りと、賛美、そして福音宣教
アーメン!その通りだと思います。
私事ですが、私の両親、特に母は礼拝よりも社会活動に勤しむバリバリの福音派でした。
勿論、福音派の方でも主だけに心を向けている方もいらっしゃるのでしょうが、
毎日、嫌いな政党、嫌いな政治家、そして母国である日本の悪口ばかり聞かされて「クリスチャンって何なんだろう?」と疑問に思いながら育ちました。
愛し合いなさい、敵をも愛しなさい、という聖書に書いてある事と、両親のしている事が全く一致していなかったからです。
特に神様は日本を嫌っている、と思い込まされた事は、長年私の心を苦しめました。
どんなに「許してください」と祈っても聞かれない、
いつ許してもらえるんだろう?
祈りが足りないのかな?
という、苦悩の連続だったからです。
そんな時期にある教会の牧師先生と関わる事があり、神様は既に日本どころか、世界中の人々を許して下さっていること、
それがイエス様の十字架の御業なのだと教えてもらった時の、あの解放感と嬉しさは忘れられません。
許しを得るために私が何の努力をする必要もなく、ただ無償で既に許して下さっていて、それを信じるだけで良かったからです。
それどころか、神様は日本を心から愛して下さっていただなんで。本当に驚きました。
今でも父は相変わらずなのですが、より激しく社会活動をしていた母は教会を移り、私と一緒に神様を賛美し礼拝する日々を送っています。
ただ主を求める生活は、困難もありますが充実感でいっぱいです。
母が変わったのだから、父も必ず、主を心から愛するキリスト者に変わると信じています。
まなこさん、貴重な神の恵みの証しを、大変ありがとうございます!