「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」①

サイクス=ピコ協定 百年の呪縛先日、池内恵氏による「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」を完読しました。

「いまや中東の地は、ヨーロッパへ世界へと難民、テロを拡散する「蓋のないパンドラの箱」と化している。列強によって無理やり引かれた国境線こそが、その混乱を運命づけたとする説が今日では主流だ。しかし、中東の歴史と現実、複雑な国家間の関係を深く知らなければ、決して正解には至れない。危機の本質を捉える緊急出版!」(新潮社のウェブサイトから)

終末論や陰謀論をまともに扱ったイスラム研究者

その前に、私の読書の中での池内恵氏との出会いを紹介したいと思います。その付き合いは、2001年の米国同時多発テロの起こった後に出版された、「現代アラブの社会思想 ― 終末論とイスラーム主義(本ブログ記事)」からでした。今でさえ、現実の世界趨勢として、差し迫った危機として一般社会でも認知されていますが、当時、「終末論」や「イスラム主義」を直球で、まともに取り扱っていたのは見ることはなく、私は、アメリカの聖書教師によるものしか知りませんでした。池内氏はキリスト者でもなく、ムスリムでもないのに、どうして、等身大のイスラムの世界をこれほどまで精緻に描写できるのか、とても不思議でありました。

現代アラブの社会思想アマゾンにおける本書の説明を見れば、イスラエルがアラブ諸国に六日で打ち勝ち、エルサレムを奪還した歴史的、預言的出来事が、イスラム世界における彼らの思想に多大な影響を与えたかが書かれています。そして、三大一神教における終末論を、ユダヤ教とキリスト教では聖書自体を含む第一資料から論じています。(キリスト教について言うならば、まだ研究が不足している感は否めませんが。)そしてアラブの大衆社会の中では定着さえしていた終末観と陰謀史観の紹介までしています。これを、まともな学術的文書として記したのですから、相当風当たりが強かったようです。

拙書「聖書預言の旅」も9.11テロの翌年に出版されました。聖書全体に流れる神のご計画、その終末における完成に視点を合わせたつもりです。ですから、いわゆる「終末論」に属する本だと思います。そして、イスラエルとパレスチナでは、あの「自爆テロ」という言葉が世界に広がった第二次インティファーダ(2000年から)の最中であり、ブッシュ米政権のイラク戦争もあり、戦争行為に対するとてつもない非難の嵐が吹き荒れていた時期です。私は、もっと冷静に見ていくべきだ、という慎重な意見を公にしたところ、キリスト教会関係者からの陰湿な攻撃を受けました。私個人にとって、人の闇の部分を見せられた衝撃的な出来事となっていましたが、今、池内氏のFBを眺めると、彼もイスラム研究の世界の中でこの著書のために陰湿な攻撃を受けていたようです。一つの時代性があったのだと思います。(池内氏自身による自己評価

現実化、可視化したイスラム国

そして、他にもいろいろ彼の著作は何冊か読みましたが、次に衝撃的な本となったのは、「イスラーム国の衝撃(本ブログ記事)」です。2014年にイスラム国が台頭することにより、彼のこれまでの研究の結果がそのまま、世界の舞台で、第三次世界大戦の断片であるとカトリック法王に言わしめるほどの力となって現れたのが、イスラム国です。イスラム教におけるジハード論に基づくテロ活動がどのように発展したのか、そしてイスラム国によるジハードが、組織による領域拡大以上の、「終末過激思想による呼応型のテロ」であることを、論述しています。

イスラーム国の衝撃ここで中東世界と聖書預言との関わりについて述べさせていただくなら、聖書にはイスラムについての言及はないので、それそのものについての預言はありません。ただ、その教えについていうならば、イスラム教はユダヤ教とキリスト教に対抗して現れた宗教であり、多分にその異端性や反キリスト性はあります。ただイスラム国の出現によって、「これまで見えてこなかった終末の絵図が、一気に見えてきた。」ということができます。

一つは、「御国の幻の反キリスト版」と呼んだらよいでしょう。私たちキリスト者は、キリストの地上再臨において可視化された神の支配の領域を見ることができることを信じています。しかし今は、神の御霊によって新しく生まれた者たちが、キリストを主として生きるところに、霊的に神の支配の領域が広がるのであり、集まったところが地域教会であり、そこに目に見えない形で霊的な御国が広がっています。

イスラム国はそれと似ています。確かに、アラブの春以降、国の秩序が崩れた隙を見て、イラク、そしてシリアに領域を広げていきました。しかし、彼らの本質はそこにはなく、「カリフ(イスラムによる支配)」に目覚めた世界各地のムスリムが、そこでジハードを起こすことによって、そこがイスラム国となる、という流れがあります。これをローン・ウルフ型テロ、呼応型テロと呼んでよいでしょう。分かり易く言えば、「通り魔殺人のイスラム版」です。また、元々存在していたイスラム過激集団が、イスラム国の呼びかけに応じて、自らをイスラム国の支部(県)であるとして領域を増やすこともしており、こうやって地理的な領域拡大が、思想という目に見えないものによって実現しています。彼らの動機には強烈な終末信仰があり、彼らの終末が超接近しているという確信があります。ゆえに、再臨のキリストと初臨のキリスト以後の教会の働きが、ほとんど同時進行で起こっているかのような、それがイスラム版で拡がっているという感触を得ています。

二つは、「イスラム国の描く支配領域」です。彼らの支配はイラクのモスルを拠点とし始まりとしていますが、そこはかつてのアッシリヤの首都「ニネベ」の遺跡が郊外にあります。そしてシリアも攻め入りましたが、そこはユーフラテスの上流であります。アブラハムに主が与えられた、「ユーフラテスからエジプトの川まで」という領域を思い出します。そして、イスラム国の描く地図を見てください。ISIS-MAP-329655

これは、ほぼ聖書の描く世界そのものです。創世記のエデンの園は、東はアシュル(イラクからイラン)、アフリカの中部にまで至る広範囲の領域ですが、当てはまっています。聖書に出てくるクシュ、ルブなどは北・中部アフリカです。それから、ヨーロッパ大陸の南の部分も領域に入っていますが、聖書でもタルシシュ(スペイン北部と言われている)を地の果てとするヨーロッパの世界を描いています。

三つは、「イスラム国のキリスト者への迫害」です。イスラム過激派は、これまでアメリカを大悪魔とし、イスラエルを小悪魔として、強烈なイデオロギーによって、十字軍であるとか、キリスト教の世界に対抗していました。個々のキリスト者、特に中東にいるアラブ系のキリスト教徒は二流市民としてその存在は受け入れていました。ところがイスラム国は、その寛容の範囲が一気に狭まっています。そしてキリスト者であれば、イスラムに帰依しない時点で処刑されています。ここまであからさまに、中東のキリスト教徒が追放、迫害、虐殺という形で殉教している時代はないでしょう。

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国家の溶解、帝国の残骸

そして、池内氏による著作でおそらく、最も衝撃を受けたものの第三になるであろうものが、本書「サイクス=ピコ協定 百年の呪縛」です。以前、池上彰氏が、イスラエルとパレスチナの関係においてかなり乱暴な解説をしていたので、「ここが変だよ!池上彰さん (その3)」にて、反論を詳しく書きましたが、その内容と重なります。第一次世界大戦後のイギリス、フランス等による中東地域の国境の画定であった「サイクス=ピコ協定(ウィキペディア)」について、詳しく論じています。今年がちょうど100年目に当たります。NHKの番組でこの本が取り上げられたので、こちらのページをご覧になるとよろしいでしょう。

「サイクス・ピコ協定」締結から100年(国際報道2016)

けれども、その対になっている書物とでも言いましょうか、池内氏が編集を担当した以下の本が、あまりにも強烈でした。

「アステイオン084 特集 帝国の崩壊と呪縛」

池内氏による巻頭言の言葉をここに引用します。

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2016年は、1916年に合意されたサイクス=ピコ協定から100年の節目にあたる。おりしもサイクス=ピコ協定を基礎にして引かれた中東の国境線と国家の溶解が進み、中東の地域秩序が揺らいでいる。

揺らぎは一時的・過渡期的なものなのだろうか。あるいはあってはならない異常事態なのだろうか。

むしろ、われわれは近代の歴史を帝国の崩壊、それも繰り返し起こる崩壊として見てみることで、視界が開けるのではないか。

われわれは近代の歴史を、なんらかの「発展」として捉えがちだ。主権国家や国民や、自由や民主主義や人権といった、近代の発展の目的に向かって、個人が、人間集団が、社会が、国家が、国際社会が、それぞれに発展していくものとして歴史を見出していく。そこに障害がある問題が現れれば、取り除き、先に進めばいい。そのように考えてきた。

しかしここに考え直してみる余地がある。近代史はむしろ、前近代から引き継いできたものの絶えざる崩壊と見る方がいいのではないか。崩壊の後に打ち立てたと思った何ものかも、さほど時を置かずしてまた崩壊する。そして崩壊のたびに、近代国家ではなく、その前の帝国の残骸が現れる。帝国は繰り返し崩壊することで近代にその残影を晒し続ける。帝国の呪縛にわれわれは今も囚われている。

われわれが直面し、乗り越えようとしている様々な問題は、領土問題であったり、国境問題であったり、あるいは民族問題であったり、宗派問題であったりする。それらを、帝国の崩壊という共通の文脈の上に置き直してみることで、それぞれの異なる問題の背後に隠れていた、なんらかの共通の構図が浮き彫りになるかもしれない。そして、解決のためにあまりに多くの障害があると思われている問題にも、共通の理解が不可能であるかのように見えている問題にも、様々な帝国の崩壊と、それぞれの崩壊のさせ方から発生した問題としてとらえ直すことで、議論の共通の土台や、突破口が、見いだせるかもしれない。
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アステイオン84 【特集】帝国の崩壊と呪縛そして本書の中に、池田明史氏による「溶解する中東の国家、拡散する脅威」という題名の論考があります。この「溶解」という言葉に私の心は溶解しそうになりました。なぜなら、こんなキリスト者でもなく聖書信仰者でもない人から、紀元前605年直後にバビロン王ネブカデネザルが夢で見た人の像の足の部分の描写と同じようなことを聞いたからです。

あなたがご覧になった足と足の指は、その一部が陶器師の粘土、一部が鉄でしたが、それは分裂した国のことです。その国には鉄の強さがあるでしょうが、あなたがご覧になったように、その鉄はどろどろの粘土と混じり合っているのです。その足の指が一部は鉄、一部は粘土であったように、その国は一部は強く、一部はもろいでしょう。鉄とどろどろの粘土が混じり合っているのをあなたがご覧になったように、それらは人間の種によって、互いに混じり合うでしょう。しかし鉄が粘土と混じり合わないように、それらが互いに団結することはありません。(ダニエル書2:41-43)」

これは、復興ローマにおける状態ではあり、中東を必ずしも描いているのではないのですが、それでも世界帝国の行き着くところの、キリスト再臨直前の末期状態を指しています。それと百年前に、欧米列強によって策定された国境と国家は溶解して、第一次世界大戦時のオスマン帝国末期の残骸が見えてきたという現状が、酷く重なり合わさったのです。

池内恵氏による本書については、第二弾②で書き記したいと思います。

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