「相模原障害者施設殺傷事件」と私たち

ブログ記事では、兼ねてから、世界各地に広まっているイスラム国によるテロを取り扱ってきましたが、日本では戦後最大と呼ばれる殺傷事件が起こりました(ウィキペディア)。しかもそれが、障碍者に対するものであり、世界にも大きな衝撃が走りました。

同じ境遇の者による攻撃

実は、先月22日に、ドイツで連続的にテロが起こった中で、必ずしもイスラム主義ではない事件が起こっています。マクドナルドにいるトルコ系のムスリムの子たちに向かって、イラン系の少年が銃乱射したのです。イスラムの聖戦主義であれば、同じムスリムを狙うことはありませんが、それとは違った系統です。実は、少数派が同じ少数派に対して差別をし、攻撃的になるという複雑な事情が背後にあるようです。イラン人の中に自分たちはアーリア系(白人)であると位置づける人種優越思想が流布しているそうです。それに感化された可能性があるそうです。同じように、欧州における反ユダヤ主義があり、それは少数派で差別を受けているムスリムが、同じ少数派であるユダヤ人を攻撃しているという構図があります。つまり、「いじめられている子が、いじめっ子になる」ということです。(参照記事:「ミュンヘン銃乱射事件の被害者9名のうち8名が「トルコ系」で7名はムスリムか」)

そして、今回の相模原市にある知的障碍者施設における殺害事件とその事件が重なりました。なぜなら、元職員が行なったもので、しかも、自ら精神疾患があり、優生思想に侵されていました。それで、上のミュンヘンでの事件と重なりました。

悪魔が正体を現す

世界の現象はイスラム主義が原因とされてきましたが、実はもっと霊的なことではないかと思います。

悪魔は初めから人殺しであり、真理に立ってはいません。(ヨハネ8:44)」

悪魔が、その正体と牙を表してきました。イスラム思想研究者の分析では、一匹狼型のテロには「呼応型テロ」という言葉が使われてきました。(関連記事:「イスラーム国の衝撃」)けれども、何に呼応しているのか?もはや、ジハード思想ではなく悪魔そのものです。実はイスラム国でさえ、思想による触発、呼応であっても、究極的には悪魔の呼びかけに応じているのです。「神に従いなさい。悪魔に立ち向かいなさい。」と主は言われました。私は、容疑者が罪を悔い改め、キリストの十字架のところに行くように神さまに祈りました。

優生思想に呼応

具体的には、相模原殺傷事件の容疑者は優生思想に感化され、呼応しています。彼が、「ヒトラーの思想がおりてきた」と言ったそうです(NHKニュース)。彼が行なったことは、「障碍者を安楽死させる」という思想に基づくものです。彼が書いた手紙には、その内容が克明に記されています。

植松容疑者の衆議院議長公邸宛て手紙の全文 障害者抹殺作戦を犯行予告

加えて話しますと、黒丸で伏せられている部分には、「フリーメイソンからなるイルミナティが作られたイルミナティカードを勉強させて頂きました。」となっているそうです。(参照記事:「植松聖はフリーメイソンとイルミナティ信者!手紙は陰謀? 」)これまで、ブログ記事などで取り扱いましたが、反ユダヤ主義、陰謀論やオカルトは日本において事件を引き起こしているものとして、危険な思想であることを取り上げました(「陰謀論と神の主権」)。この事件も同じで、基本として優生思想がありますが、それがフリーメイソンやイルミナティに関わる陰謀論とオカルトに混じり合い、さらに大麻使用によって促進されたようであります。

「役に立たないもの=無価値」という発想

ヒトラーは、優生思想に基づいて、ユダヤ人のみならず障碍者も組織的に虐殺したと言われます。「ナチスが立案したのは「T4計画」と呼ばれる非人道的な計画で、ゲルマン民族の血を「純粋に保つ」ため、精神障害者らを安楽死させようというものだった。第2次大戦が始まると、ナチスは各地の精神療養施設などから「生きるに値しない」と判断された障害者を集め、ガス室で殺害した。7万人以上の命が奪われたとされている。」(元記事

「優生思想」というのは、「障害の有無や人種等を基準に人の優劣を定め、優秀な者にのみ存在価値を認める」という思想です。実は、ナチスドイツに限らず、一般社会や、人の考えや心に通底として持っているものであります。(参照記事:「優生思想の本質」)その最たるものが、「出生前診断に基づく中絶」です。ダウン症だと分かったら、六人のうち五人は中絶を選択しています。(参照記事「新型出生前検査 導入から1年 ~命をめぐる決断 どう支えるか~」)

以前、記事「進化論・無神論にある恐ろしい哲学」で書きましたが、ダウン症の子であれば堕胎するという考えの背後には、「社会に役に立てない子であれば、生まれてこないほうがよい。」という発想があるからです。日本には「優生保護法」というものがあり、それは「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」--病気や障害をもつ子どもが生まれてこないようにする」というものでした(「「優性保護法」とは」)。そしてそれを今「母体保護法」と呼んでいますが、中身はそのまま受け継がれており、障害を持つ胎児を中絶、また産ませないように断種(不妊手術)する、というものなのです。

悪や欠陥を許容される神

ここから、私たちはキリスト教の価値観について、じっくり考えていく必要があります。実に、キリスト教に対する攻撃や批判、そしてキリスト者でさえ陥っている問題があるからです。それは、「悪を許容する神は、不公正である」という考えであります。

イエス様は、生まれつきの盲人について、「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。(ヨハネ9:3)」と言われました。これを読み、「生まれて盲目であったということ、その人生が神のわざが現れるためだというのは、何たる不公平な!」ということになるのです。しかし神は、アダムが罪を犯して以来の世界において、そこから派生する悪や災い、不条理について、敢えてそれらを無くすのではなく、むしろそれらと寄り添い、共にいて、ある時は直されるけれども、多くの場合は、ご自分の栄光のゆえに用いられるのです。

生まれつきの盲人

「生まれつきの盲人」という事実自体に、神の栄光が現れるのです。「目が見えない、というのは不幸だ」という考えが前提にあるから「不公平」に感じるのであって、それは優生思想にあるような「健常であること」に最大の価値観を置いているからです。

けれども健常であることが、最も幸せなことなのでしょうか?いいえ、健常であるからこそ、我々は自分で出来るという高慢に陥り、あらゆる問題を引き起こしているのではないでしょうか?神につながり、神の中に生きるということこそが、最も幸せなことであり、健常者はその幸福な状態からその健康な体によって自ら遠ざかっていく不幸があります。しかし、病身になったり、障害を持っている時に、その真実の幸福を見いだすことができ、アダムの罪以来入ってきた、罪や欠陥というものを神はむしろ、ご自分の栄光のために用いられているのです。

もちろん、イエス様が再び来られて、罪に満ちたこの世を滅ぼされ、新しい神の国を造られ、全てのものを贖われます。その時に病も障害も全てがなくなります。その前に、神の憐れみによって御霊によって、癒しを受ける人もいますが、全てが癒されるのは御国が到来してからです。しかし、それまでの間、神は悪を敢えて許容されることによって、むしろ神に立ち返る働きを継続しておられるのです。

ゆえに、日本においても、ハンセン氏病の人々の療養施設は、キリスト教関係者に拠るものが多いですし、障碍者の中にキリスト者が多いのもそのためなのです。私たちの全能の神、そして人となられたキリストこそが、健常者以上に、例えばダウン症の人を「あなたは、すばらしい。愛されている。」と大胆に宣言することができる力を持っておられるのです。

今回の事件を受けて、全国キリスト教障害者団体協議会の関係者がコメントされました。「会が神様が愛を持って人間を創造され、十字架の愛を持って救ってくださったことを、より一層力強くこの世に向けて語らねばならないと思わされました。」(クリスチャン新聞)すばらしいですね!健常者であっても障碍者であっても、全く同じ十字架を宣べ伝える使命を帯びています。

「~さえ無ければ、どれだけ幸せになれるか・・」

しかし私たちは、何か不都合なこと、不条理なことがああると、それさえなければ幸せになれる、という発想、今回の事件の容疑者と同じ発想を実に、自然に持ってやいないでしょうか?これは、キリスト教会の中にも、じわじわと浸水している恐ろしい現象だと思っています。

「神はなぜ元々、善悪の知識の木を園の中央に置かれたのか」という質問から始まり、そして「神が罪を犯すようにしなければ、問題が起こらなかったのに。」というつぶやきが始まります。けれども、ここまで説明してもうお分かりになったと思いますが、それは「問題がないことが、幸せなのだ」という発想であり、それは自分にとって不都合なものの存在を排除しようとする、危険な考えなのです。「神は神、人は人」であり、人には不都合に見えても、神は主権の中でそれを置かれています。私たちは、その力強い御手の下に服し続けなければいけません。

存在まで否定しようとする動き

相手の言っていることが間違っている、行なっていることは悪だというところまでは神の世界では許容されます。しかし、その相手までも無ければよいかのような勢いで非難することは、許されていません。これをしばしば、「悪魔化する(demonize)」と言います。神は理由があって、自分にとって煙たい人々や物を置いておられるのです。

政治の世界では、例えば「アベを倒せば、日本会議を倒せば、なんとかなる」という声があります。しかし、本当に安倍政権が無くなれば解消されるのでしょうか?日本会議がなくなれば、問題が解消されるのでしょうか?無くしたら、その取り除いたと思われる悪がまさに自分たちの中にあることを、後で知るでしょう。「それがなくなれば・・」という「存在」に対する攻撃は、平和や正義を唱える人々の中にも見ることができます。

アメリカにおいても同じです。共和党の大統領候補トランプ氏の発言は排他主義、強権、人格否定などあまりにも問題が多いですが、しかし、反トランプ陣営の中にも、彼のする全てのことについて否定し、なぜトランプ氏の人となりを全て知っている訳ではないのに、言うことなすこと全てを否定し、見下げ、あらゆる努力を「やっても無駄だ」と一蹴する傾向があります。彼がトランプ氏に向けているその矛先は、実は自分の中にもあるのだ、根っこは同じなのだという発想が少しでもあれば、人は和むはずなのです。ところが、いつの間にか「自分は純粋」「相手の悪を取り除かないといけない」という発想に摩り替っています。

日本のキリスト教会の中にには、福音派の指導者の中に「これさえなければ、正義が来る」という発想で教えて、動いているいる人々がいます。「「人を殺してはいけない」のに、日本には自衛隊がある。これを、無いようにしていくように祈り求めるのが、キリスト者の役目だ」と教えます。そして、自己防衛や安全保障の話をするや、すべて悪であると裁断する声が、反射的に返ってきます。

そうなのでしょうか?戦争がなくなれば、平和なのでしょうか?戦争がないことが、正義の実現なのでしょうか?では、戦争に満ちている中東地域の人々は、戦後七十年以上平和を守って来た日本国より罪深いのでしょうか?絶対にそんなことはありません!平和の中に生きていた日本が、どれだけ神の御声に聞き従わず、反逆してきたでしょうか?イエス様は、「あなたがたも悔い改めなければ、同じように滅びるのです。」と言われたのです。

繰り返しますと、主は、ご自分の御国を来させることによって、キリストが王となられているので、国々は武器を取る必要はなくなります。しかし、それまでの間、神はアダム以降始まった悪について、それに付き合い、寄り添い、その中にいる人々を贖い出し、ご自分の栄光のために動かしておられるのです。それは、その悪を通して、私たち自身がへりくだり、練り清められ、真実に神の御心を知ることができるようにしようとされています。そして悪を通して、悔い改めない者には裁きを行なわれます。しかし、その悪については最終的にキリストは取り除かれます。

天使長でさえ悪魔を罵らなかった

「~を取り除けば、問題はなくなる」という発想が、いかに反キリスト的であるかは、ペテロ第二やユダの手紙を見ればわかります。ユダの手紙には、ミカエルが悪魔と言い争った時に、あえて相手を罵ることをしなかったとあります。権威は全て神から来るのであり(ローマ13:1)、悪魔でさえ、神の許しなしにはその力と権威が与えられていないのです。

しかし、それでも権威ある者を罵る偽教師たちが現れると書かれています。終わりの日に出てくる反キリストの特徴がまさにこれなのです。口が大きく、上にあるもの、神、キリストに対して罵る、冒涜することが彼の特徴であります。(ダニエル書7章、11章、黙示録13章)。

不都合を取り除く独裁者

私は、今回の事件について、ドラえもんの話を思い出していました。「どくさいスイッチ」です。

https://youtu.be/nuU86bi6dSM

急に和ませる話題に代わりましたが、実に教訓を持った話です。不都合な存在について、「消えてしまえ」と言ってボタンを押すと、その存在が消えます。最初は、ジャイアンでしたが、のび太はついに、「みんな消えてしまえ」と言ってしまって一人ぼっちになりました。これまで煙たいと持っていた人々がいなくなると、どれだけ淋しくなるか!そしてドラえもんが出てきます。実はこのスウィッチ、独裁者のために与えられたのではなく、どれだけその発想が愚かであるかを戒めるために作られたものだということです。

テロの専門家は、「テロとは、結局、それぞれの心の中にあること。」と言っています。そうです、今回の事件も、「結局、それぞれの心にある問題が拡大鏡で、目で見える形で出てきた。」と言えるでしょう。私たちの心の中にある同じものに気づいた時に、「存在を無くしたい」という思いから解放されることでしょう。(関連記事:「神はなぜ戦争をお許しになるのか」②

「「相模原障害者施設殺傷事件」と私たち」への2件のフィードバック

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