共和党、民主党、キリスト者

寛容を掲げる人たちにある非寛容

米大統領選について。私たちの日本語の情報は、米国内の主要なマスコミに頼っています。そしてその情報によって、私たちはいつの間にか、米国政治のイメージを形成しています。共和党=タカ派、好戦、であり、民主党=ハト派、平和、であり、「キリスト者が共和党を支持するなんて、信じられない。」とまで思っている人もいるのでないでしょうか。

殊に、今回の候補は暴言で問題視されるトランプ氏です。共和党の中、保守派でさえ亀裂が走っている中で、トランプ氏を支持するキリスト者がいることについて、「福音の本質から離れている」など、まるで信仰を捨てたと言わんばかりの発言を、ある日本の信者の発言に読みました。

私は、どちらが攻撃的なのか?と思っていました。トランプ氏の暴言を批判するまでは良いのですが、その使っている言葉は負けず劣らず排他的であり、トランプ氏とその支持者を人格まで否定するものなのです。

ここに、社会実験をした方がいます。共和党と民主党のそれぞれの全国大会において、その会場でプラカードを掲げます。共和党全国大会では、「私はヒラリーを愛しています」と書かれたもの、民主党では「私はトランプを愛しています」と書かれたものを掲げました。

初めに出てくるのは、共和党です。どうでしょうか?この友好的な雰囲気は!「勇気ある行動、ありがとう。」とか、写真を一緒に撮ったり、一人は、「それでも、神さまは貴方を愛しているわよ。」と声をかけておられます。次に民主党です。唾はかけられるは、暴言の連続、取り囲まれて暴力に発展する危険さえあります。ここには出てきませんが、警官の数人が親指を挙げてくれたぐらいで、支持者が礼節を守っていた様子は無かったそうです。

共和党支持者も、ものすごい反ヒラリー批判を展開していますが、けれども、同意できない意見に対して、ビデオに出てくるような「余裕」があるのです。これが、私がアメリカにおいて経験した保守派の人々の姿であり、好戦的とは裏腹の友好的、平和を愛する人々が多いというイメージです。

かつて友人から聞いた話ですが、オバマ氏が大統領に就任した時、熱烈な共和党支持者の自分の兄弟がその姿を見て涙を流していたというのに対して、また別の兄弟で民主党支持者なのですが、ブッシュ元大統領を骨の髄まで憎んでいる発言をしていたそうです。こんな違いがあります。前者は「心」があるという印象、後者は「知的」ではあるけれども、相手を物か何かにしか考えてないのではないかという冷酷さです。

これが、「「相模原障害者施設殺傷事件」と私たち」のブログ内でお話ししたことです。そして、「「寛容」という名の「非寛容」」の中にも関わるでしょう。一度、胸に手を当てて、「ヘイトスピーチ」を言いながら、異なる意見の人をヘイトしていないか、排他的と言いながら、相手を排除していないか、考えてみるべきでしょう。

民主党支持者にいる寛容な、霊的な人たち

ちなみに、私は日本国民ですから選挙権はないし、米国政治にとやかく言う人間ではありません。共和党の主張の一部に同情的なだけで、支持している訳ではありません。そして民主党支持のクリスチャン、中道のクリスチャンからは、共和党支持者にある排他的態度や行動をたくさん聞くことができるでしょう。実際に、何人かから聞きましたし、クリスチャンの共和党支持者による反ヒラリー言説も酷いものです。

民主党支持者にも数多く、霊的な人、寛容な人は沢山いるのだと思います。最後に、民主党全国大会で、心のある涙の出るようなスピーチをご紹介します。以前、教会に銃乱射をした白人至上主義者による被害者の母親によるものです。(関連ニュース

彼女は、「赦し」のメッセージを、ヒラリー氏が正式に大統領候補者に指名される時に話しました。


Mom of SC Shooting Victim Tells DNC: America Must Humble Itself, Heed God

ちなみにご遺族の方々は、犯人に「私はあなたを赦します」と言い、悔い改めてキリストを受け入れるようにという言葉を、直接かけている、有名な動画がこちらです。

https://youtu.be/9Jecz2yrgJs

もう一つ、福音派指導者の夫人たちが、ずっとヒラリー氏との祈り会を持ってきたという記事もこちらにあるので紹介しましょう。

Exclusive: Hillary Clinton Prays with Conservative Evangelical Women

「共和党、民主党、キリスト者」への2件のフィードバック

  1. 寛容を掲げる人たちの非寛容、なるほどですね。
    「絶対」というのは絶対ない!と言っている、絶対的相対主義者、みたいな。
    自己矛盾というのは、なかなか本人は気づかないものですよね。
    伝統や慣習や保守的な人の目が基準になってしまっている律法主義的福音派、競争心やプライドや欲の塊で聖霊の働きまで人為的に演出しようとしている肉的聖霊派、自由自由と言いながら、罪の奴隷状態からいっこうに解放されない奴隷的リベラル派等々。
    似たようなパターンはありそうですね。。。
    他山の石として自戒しないと。

  2. 「伝統や慣習や保守的な人の目が基準になってしまっている律法主義的福音派、競争心やプライドや欲の塊で聖霊の働きまで人為的に演出しようとしている肉的聖霊派、自由自由と言いながら、罪の奴隷状態からいっこうに解放されない奴隷的リベラル派」

    その通りですね、上手に表現しておられます。

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